10.その先へ――。
まだ、このドキドキが収まらない。
それは何かを探しているように、早く動けと急かしているように、鼓動は益々早くなっているように感じる。危ない、これ以上は危ない。
私じゃない私が、勝手に走り出してしまいそうです。それを色んな感情をもった私が、必死で抑え込めているような。
分からない、これが何なのか分からないことが怖い。同時に、前向きな気持ちも込み上げてくる。そうだ、私の中に、何かが存在する気配がはっきりと解る!
「孝太っ!」
私の叫びに反応した彼は、すぐさま駆け寄って、刀身にその刃を振り下ろした。
まずは無効化。
正木が現れ、もう一度。これで無効化は効果をなくした。
最後は井上が振り下ろす。腰の引けた一撃だったけれど、それでも充分だった。これで、私の手から赤黒い剣は零れ落ち、私の胸の高鳴りも、潮が引くように静まっていく。
「大丈夫か?」
膝をつく私の背中を、正木が擦ってくれている。どうやら呼吸が速くなっているようだ。自分では、それがどこか他人事のように感じてしまって、心ここにあらず、まさにそんな状態だった。
「レジャーシートを敷きました、少し横になりましょう」
井上に従って、ゴワゴワしたシートに背中をつける。
「脈は正常ですね。神郷さん、何がありました?」
三人の目が、心配そうに降り注いでいる。質問の答えは、どうにも出せそうにない。
「よく分からないけど、心臓の鼓動が速くなるにつれて、何かが流れ出すような感覚があったの。同時に、何かはが入り込むような……。だから、なんとなく危ないと思った」
「呪いの武器ってことか? 堪らないな」
無造作に置かれた四本の剣を見て、孝太は言った。
「この武器は、もう使わない方が良いね。一から探すことになるけれど、要領は解った。花言葉は重要だ」
「ネガティブなイメージの言葉は、避けたほうがいいということですね」
おでこに当てられた井上の手が冷たくて気持ちがいい。熱があるのだろうか。ぼーっとするような、でも、まだ手に、あの開放感が残っているような気がする。
夢から覚めたアンニュイさと、夢を観るようなセンチメンタルと。後味は、爽やかなものとはほど遠い。
「でも、今日はここまでっすよね。さすがに。ネックレス、持ち帰られるんですかね?」
孝太が笑顔で私の鼻を摘んで言う。その花は摘む必要がない、と振り払う元気だけはあった。いつか写真で見た美しい母親の、シュッと高い鼻が羨ましい。
「試してみようか。セイナちゃん、帰還、出来そう?」
「だいじょーぶ」
まさに、酔っているような感じだろうか。だからこそ、私は此処から出ないといけない。覚めるのは夢ではなく……。
「ソーバーアップ」
正体を失わなかった私は強い。今はそう、ポジティブに。
その日はもう解散となって、正木を残してアパートを去った。
その場を見ていなかった加納と翔子は心配そうに私に寄り添い、家に帰ってもしばらくは一緒。
加納の作った温かいうどんを食べて、少しだけベッドで横になって。一人だけになった。風呂にも入りたいけれど、今は少し、このままで。
あの剣によって齎された興奮は、今はもう、何もない。けれど、私の中には別種の興奮があった。
(あれは、なんだったんだろう)
あの時、抜けていったものはなんだったんだろう。今まで感じ取ることのできなかった、けれど自分の中に確かにあった、何かが抜けていったように思う。
あの剣は、それを糧として炎を放ったのではないか。すると、それはエネルギーのようなもので、何かを発動させるための動力源であって……。
私の頭の中は、ファンタジーでいっぱいになった。
この力は、どのようにして使うことができるのだろう。これを制御できていれば、あの剣も思うがままに扱うことができたのか。
あるいは、その力をコントロールすることが出来れば、魔法が使える?
なんだか目が冴えてきてしまった。身体のだるさと言ったものは、まったく感じられない。居ても立っても居られないけど、このまま夜更かしをするのは、なんだか良くない気もしてくる。
なにより、夜更かしをして明日に響くと、折角の興奮が無駄になるような気がして。
私は少し落ち着こうと、シャワーを浴びるために寝室を出た。すると、インターフォンが鳴った。
モニターには智先生。直ぐにロックを外し、彼を部屋に呼び込んだ。
「先生! もう、今日は大変だったんですよ」
「そうらしいね」
喫煙用のゲストルームへ案内すると、彼は私の頭をそっと撫でて、早速、煙草に火を付ける。さっとライターを出して付けてあげたかったが、それでは媚び過ぎだろうか、と少し葛藤。
気が付く女性を演じたいけれど、彼はそのような行動に関心を示すようなタイプではない。自分から喋るタイプでもないし、話の殆どは、一方通行だ。
「先生はどう思います?」
一通り、私の主観での話な終わった。煙草一本分の面白さはあっただろうか。
「君の言う、そのダンジョン? やっぱりと言うか、簡単そうだよね」
酷いことを言う、と唇を尖らせる。
「呪いの武器の登場で、てんやわんやのドッキドキなんですよ?」
「面白い言い回しだね。てんやわんやってどういう意味?」
「えっと……」
「どうせ、特に意味は分かっていないけど、なんとなく伝わるから使っているんだろう? 現状と同じ。なぜ花言葉が重要なのか。その意味も分からずに、なんとなく行先を指し示しているから従っている」
智先生は、間違っていると言いたいのだろうか。自分で切り開いた指標なのに。
「何かの罠、なんですか?」
「いや、だから簡単だと言ったんだ。親切にも、それを調べれば先に進めて、敵だって倒せるようになる。安全設計だ。人が死ぬようにも思えない」
確かに、あの戦いを体感した限りでは、両親が死ぬような出来事があったとは思えない。
「十一頁、と言うのがポイントだろうか。一の位が進むにつれて、難度が増す。ゼロを超えるとリセットかな」
「今すぐ確かめたいっ! と思っても、長い道のりですね」
「そう。そこまで辿り着くのは大変だ。神郷先生は何を理由にして情報を残さなかったのか。その情報を、他に知っている人はいたのか。いや、隠したい理由なら、一つ、察することができる」
彼は煙草に火を付けて、私の視線を受け止めた。
「指定した日に買ったくじが当たったこと。義理の弟が、総理大臣になったこと」
「それって……」
「神郷先生が攻略したのは、八頁と九頁、九頁と十頁のどちらかだ。そのどちらにしても、十頁は特別なダンジョンだったことになる」
人の願いを叶えるような、何かがそこに?
「南部先生が総理大臣になったのは、おそらく必要だったからだろう。事情を知るものがトップに立っていたほうが、通りやすいこともあるだろうから」
「願いが叶うということが真実だったとして……」
「それが悪用されないようにコントロールをする、と言うことだろうね。どこまで事情を知る人がいるのかは分からないが、それは難しい立場だ。ま、全ては想像に過ぎないだろうけどね」
それでも、先に進めば答え合わせができる。
「早く突破をしたいのなら、その名前を、言葉を逃さないようにすることだ。まったく、なんで現代に通じる言葉が溢れかえっているのだろうね。過去から続いてきたものなのに、まったくの不思議だ。だから優しい」
「過去は、優しくないの?」
「僕たちは過去のことを、どれだけ分かっている? ツタンカーメンはすべてを語ってくれているかな? いるのなら、今さら発掘なんてする必要はないだろう? その点、未来は優しい。将来家を買いたいと願えば、今の自分がお金を貯めてくれるからね」
私の頭の中で、黄金のマスクが微笑んだ。
「先生は、お金を貯めているんですか?」
「ヤドカリ並みには、ね」
それって、買う気がないってことですよね? そう笑った私は、すっかりリラックス出来ていた。これなら、今日は気持ちよく眠られそうだ。




