8.準備を整えて
程なくして、井上の声が響いた。
初めて聞く彼女の大きな声だったけど、その声に狼のような化物は、まったく反応を示さなかった。そのことに加納は不思議そうに首を傾げている。
「普通の動物だったら、なにかリアクションを起こしてもよさそうなものよね」
「ずーっと、一定の距離を保つんですよ。で、近寄ると様子見程度の攻撃をしています」
ほら、と包帯に巻かれた腕を見せると、顔をしかめた。
「男の勲章だな」
「うっさい」
孝太を睨む。これは男らしさの勲章というよりも、焦った末の間抜けな勲章だから。
「にしても、凄い花だな。紫色が鮮やかと言うか、セイナ、こんな色の唇、していたことがなかったっけ?」
「派手なメイクを試したときに、やったような?」
「似合わねー、って言ったらしなくなったよな」
「あれ、ショックだったんですけど」
そんなやりとりを、二人の大人は温かく見守っていた。
「見つけたのは良いけれど、これ、出来れば素手で触りたくないの。触れただけで直ぐにどうにかなるものではないんだけど……」
「引っこ抜くのは、やめたほうがいい?」
花を触ろうとした手を、私は引っ込めた。
「ええ。手袋と、スコップ。最低でもその二つは持っておいたほうがいいかも」
「じゃあ、一度戻ったほうがいいね。私も制服で来ちゃったし、土仕事をするなら、着替えたいし」
「あ、それならさ、このアパートの部屋に着替え、置いておいてもいいか?」
孝太の提案に、私は人差し指を顎に当てて、思い出すように首を傾げた。
「タンスとか、家具の類は買っていなかったような……。まさか、こんなことになるとは思わなかったし」
私自身、あまり考える余裕がなかったというのもある。人も増えて、余裕もできて。一度立ち止まって準備を整えるのも良いかもしれない。
「もう一部屋あるから、そこをクローゼットとか、物置にしようか」
「必要なものは、こちらでリストアップしておきますね。百合奈さん、まだ時間は大丈夫かしら」
「ええ。何処か、飲みに行く?」
「ふふ、大人の時間、ですね」
大人は良いよなぁ、と孝太は呟いた。
「今後の相談のこと? お酒のこと?」
「もちろん酒。あーあ、後五年だぜ? 仕事終わりの一杯とか、憧れるわぁ」
「それで下戸だったら笑っちゃう」
「大丈夫。俺の親、酒豪だから」
そういうのって、遺伝するのだろうか。そんなことを考えながら、私は腕輪に触れて、酔いから覚めた。
その後、翔子にもダンジョンの中を体験してもらって、アパートを後にした。次にここを訪れたのは五日後。その日は休日で、大型の家具の搬入をカモフラージュにして、必要になりそうな道具を運び込む作業のためだった。
「孝太君、そっち大丈夫?」
「オッケーでーす。しっかり持っていますよ」
正木と孝太がタンスを運び込み、私たちは部屋に付属した収納スペースに、布団などを運び込んだ。
「いざとなったら、リビングに雑魚寝だね。楽しみだなぁ」
「イビキがうるさい人、いなければいいけどね」
翔子と一緒に食器を洗いながら、みんなで秘密基地を作るような作業を楽しんだ。
隣人には作業部屋として利用するため、その準備だと伝えてある。今後はその作業を行う小説家役として、正木が常駐することになる。
「刑事になって、まさか小説家のふりをすることになるとは思わなかったな」
差し出した麦茶を一気に飲み干し、彼は言った。
「お仕事は大丈夫なの?」
「今ではこれが仕事だよ。近々、相棒を紹介することになると思う。ま、そいつは担当編集者、って役になるだろうけどな」
「世を忍ぶ仮の姿、って感じがして素敵。ねぇ翔子、私たちは何かしら? アシスタント?」
「漫画じゃないんだから。よくて親戚のおじさんの所へ遊びに来る子供でしょ」
翔子の何気ない言葉で、彼の表情は凍りついた。
「俺も、もう、おじさんって年か……」
「正木さん、私の両親と同い年でしょう?」
そして、とどめを刺す。両親は二十歳の時に私を産んだらしいから、彼は今、三十五歳……かな? その手の計算は、やっぱり怪しい。極端に数字が苦手すぎる。
「スコップや鎌なんかは、目玉の部屋に入れられたわ」
目玉に見送られながら、加納と井上がダイニングにやってきた。麦茶を差し出して、私はその出来栄えを確かめていみる。
石造りの室内には、底板だけの棚が並び、そこには工具の数々。ロッカーのような長い棚には、スコップや高枝切り鋏などが立て掛けられていた。
無造作に置かれた金属バット、それにゴルフクラブ。これらを使う日は来るのだろうか。
私は頁に手を乗せて、一度草原へ行ってみた。周囲には草原、棚や道具の類はない。戻ってみると、ちゃんとある。
今度は手にした状態で。すると、ちゃんと持ち込めるようだった。
みんなに報告をすると、それならば、と正木が手を叩く。
「セイナちゃん、昼ご飯を食べ終わったら、ダンジョンで道具の使い心地を試してみようか。これから買い出しに行ってくるけど、何がいい?」
「ハンバーガー! チーズが入った、なるべく大きいやつをお願いします。ポテトとナゲットも」
「ははっ、了解。食べ盛りだね。飲み物は?」
「バニラシェイク」
正木と井上が車で出ていった、その部屋に残ったのは、高校生活を共にする友達と、教師。
「折角だから勉強でも――」
「あ、一応ボードゲームを買ったんだけど、ちょっとみんなでやってみようか!」
「そうだな! 勢いで麻雀とか買ってみたけど、俺、ルールとか全然知らないんだよなー。翔子は分かる?」
「知ってるけど……教えてあげない。運を頼りに適当にやってみたら?」
「いや、せめて終わらせ方は教えてくんない?」
「では、麻雀から派生した言葉の解説でも――」
加納教師は、ただでは転ばなかった。
昼食終わりにダンジョンへ入ったのは、私と正木、井上と翔子の四人だった。
女教師と二人きりの留守番だと言うのに、浮かない顔をする孝太の顔は、何度思い出しても笑いが込み上げてくる。
目の前のインパクトも合わせて、私の顔はもう、笑顔で固定されてしまいそうだった。
「トリカブトの生えていた地面を掘り返したら、武器が出てきた」
私は思わず、起きたままのことを口に出した。
鎌もスコップも大活躍で、まるで自然薯を掘り出すかのごとく、その長い刀身は日の目を浴びた。
柄を掴んでいた私は、それを持ち上げてみる。重さは殆ど感じられない。騎士が持つような十字の剣で、両刃のそれば赤く黒く濁っている。
「すっごく軽い。これなら振り回せそう」
「凄いな、これ。掘り出したばかりなのに、土が一切付いていない」
正木の感想に、驚くところはそこなのか、目を細めた。
私にも持たせて、という翔子に渡すと、彼女もそれを軽々と持ち上げた。
「これで倒せるか、試してみる?」
「いえ、それはまだ早いと思います」
井上が待ったをかける。
「少し調べたのですけど、カランコエという花、その花言葉は『あなたを守る』なんです。もしかしたら、防御に関係するなにかがあるかもしれません」
それは、あの時の化け物の行動から考えたのだろう。
戦い慣れていない現状では、向こうのほうが先に攻撃できてしまうかもしれない。うまく攻撃を防ぐことができれば、安全に、この剣の刃を食い込ませられるのではないか。
「では、カランコエを探す班と、トリカブトを探す班で分かれよう。武器は何本あっても良いからね」
「じゃあ、どんな花か分かる井上さんが、カランコエを探したほうがかしら。正木さん、ナイト役をやって差し上げたらどうかしら?」
「君はまた、そういうことを言う」
苦笑をしながらも、否定しない。そんな彼を翔子と一緒に笑いながら、彼女とこんな話をする。
「中学の頃に授業で習った剣道、活用できるかな?」
「流石に無理じゃない? 向こうは竹刀を持っていないんだし。そもそも……セイナって活用できるほど剣道が上手かったっけ?」
まぁ……、攻撃は最大の防御を実践しすぎて、返り討ちに遭うことが多かった、かな?




