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5.現実的なファンタジー

 グラスの縁にもたれるように、一輪の花が咲いていた。月明かりに照らされて、何だか少し、不思議な雰囲気を醸し出しているように思う。


 その不思議な雰囲気というのは、見た目からは感じられないと思う。だってその見た目は、この世界でも見ることのできる、アケボノソウなのだから。


「持って、帰ってこれちゃった」


 そう呟くと、なんだ満足できたような気がして。私はリビングの明かりを着けた。


 あの後、ダンジョン――そう呼ぶことに決めた――から、あっさりと帰還した。少し上せてしまった私には、武器になるものを持ち込めるか確かめよう、という正木の提案に、反論することが出来なかったのだ。


 彼は今日、一日非番だったらしい。


 弁護士先生たちは片付けなければならない仕事があるそうで、今日はもう、此処へは来ない。


 それが少し寂しくもある。だって、いま思えばあれは、ピクニックみたいだったから。

 みんなで草原を駆け回るなんて経験、今までなかったし、みんなで怖がって、みんなで発見して、それがなんだか楽しかった。


 父親に抱っこされるのって、あんな感じなのかなぁ。


 私は少しだけ頬を赤くしながら、この年になって体験することではない、と思った。今晩の夕食は、その正木が、ご馳走してくれるらしい。


 十分ほどして、正木が部屋を訪れた。手にしていたのはビニール袋で、中身はコンビニのお弁当。


「え……、それ、本気?」

「本気。馴染みのレストランへ行こうと考えていたんだが、事情が変わった」


 それは、彼の背後から様子を窺う、女性に関係があるのだろうか。……だとしても、と思う。


「正木さん、モテないでしょ」

「そんなこと……、ないよな?」


 後ろの彼女は、曖昧に微笑んだ。


 年は正木よりも若そうだけど、彼も若々しい見た目をしているから、外見からは年の差を窺えない。智先生よりも若いだろうか。笑顔に愛嬌があって、親しみやすさが滲み出ている。保育園の先生にでもなったら、寒さを凌ぐペンギンのごとく、子どもの塊を作ってしまうことだろう。


 三人でダイニングテーブルを囲んだ。カルボナーラと、カレーライス、炒飯が並ぶ。


「好きなものを選んでいいよ」


 正木にそう言われて、私はカレーライスを選んだ。他の二つは、冷凍庫に常備されていた。


 正木は炒飯、女性はカルボナーラを前にして、少し改まった様子で私を見る。


「君のお祖父さんの協力者、なかなか深い所に居たみたいだよ」

「深い?」

「そう。つまり、お偉いさん。あんな上の上司と話すのは、初めてだった。いや、上司? 上司なんて気軽に言って良いのか?」


 彼の隣りに座る女性は、のんびりとカルボナーラに口を付けている。私もそれに習って、カレーライスを口に運ぶ。


「それは置いておこう。ダンジョンから、物を持ち出すことができただろう? 神郷先生の収入は、まさにそれだったそうだ」

「お偉いさんが、売り払ってらっしゃいましたの?」

「売り払うと言うか、有効活用だね。極秘事項で、俺も口酸っぱく口外するなと言われたよ」


 彼がそんな目にあったということは、今では私もその人たちから、監視をされている、ということなのだろう。


 彼らは、私が祖父の様に利益をもたらすことを期待している。そして、祖父の緩やかだった歩みは、そのリクエストに応えていたからではないか。


「それなら、私に対して、持ち帰ったものを下さい。そう言えばよろしいのに」

「ダンジョンのルール、忘れた? 信頼、信用。それは、持ち帰ったものにも適用されるらしい。受け取ることのできる人は、限られる。そこをスルーできれば問題ない。急に現れたお祖父さんのお仲間を、君は信用できる?」


 出来るほど、人間は出来ていないと思う。


 そう答えると、満足したように頷いた。


「だから、俺たちは窓口みたいなもの。智君たちの方も、今ごろは司法関係の協力者が話を持ちかけているんじゃないかな。こっちは医療関係者とも面会したから」


 そう言って、隣りに座る彼女を指差した。


「紹介が遅れたね。彼女、医者で医薬品の研究もしている井上さん」

「井上瑠衣です。よろしくお願いしますね」

「彼女が一緒にダンジョンへ挑戦してくれると、何かあった際に心強い。だから、親交を深めてもらおうと連れてきた」

「ふふ、なんだかお見合いの席みたい」


 私がそう言うと、彼女は笑ってこう言った。


「ご趣味は?」

「今のところ、特には。でも、人と話をするのが何だか好きで、一人暮らしは少し、寂しいかしら」

「電話とか?」

「電話は苦手。だって、相手が今どんな表情を浮かべているか、分からないから。それでは雰囲気が楽しめません。コーヒーを飲みながら、リラックスして、心地のよい音楽でも聴きながら、どうでもよい話をするのが好きなのです」

「雲は、上から見るのと下から見るの、どちらが好き?」

「下から見ると、乗ってみたいって思います。上からは見たことがないけれど、どう感じるのかしら」

「美味しそう、って思いました」


 そう、こういう感じ。こういう中身のない会話を交わすのが、私は大好きなのだ。


「流石は医者、なのかな? 人の話を引き出すのが得意らしい」


 正木は感心したように言うけれど、私たちはどの口が言うんだろう、と感じて笑った。


 その分野、警察が一番上手くなければならないだろうに。


「今日のところは、もうダンジョンへ行くのは諦めたほうがいいね。武器の類を持ち込むのは、近隣にあらぬ誤解を与えかねないって、怒られたよ」

「では、やはり現地調達なのね」

「智君が見つけた、花言葉が関係ありそうだよね。持ち込むべきは、その手の図鑑か。スマートフォンは通じないだろうし」


 智先生が常に同行してくれたら、そんなものはなくていいはず。それくらい、彼の知識量は並外れたものだった。


 けれど、そんな彼は犬山法律事務所のエースである。それなりに仕事も多く抱えているらしい。だから、そうやすやすとダンジョンに足を運ぶことは難しいだろう。


「君は持っている?」


 首を振る。


「私は持っています」

「花が好きなの?」

「ええ、ロマンチックですから」


 その空気がね。と私は見つめ合う二人を見て思った。一目惚れをするのは勝手だけれど、人の家でロマンスは辞めてほしい。


 食べ進めるカレーライスは、仄かに甘口だった。

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