3.いざ、その中へ
自慢じゃないけれど、私の学力はそれほど高くはない。けれど、まぁまぁ暗記は得意であったため、成績自体は、なんとかカバーが出来ていた。
最初のテストも、まぁ、なんとかなって。苦手な教科に対する評価は諦めがついている。そんな割り切りの良さも、私の長所であると思う。
反面、諦めがつかないこと、人に明かせないことに関しては、ずるずると考え込んでしまう癖があるかもしれない。
「セイナ、何かあった?」
ぼーっと俯いていれば、覗き込もうとする綺麗な顔。幼稚園からの付き合いである、翔子だった。
「うん? 特に何もないよ。ちょっと疲れただけ。色々とあったからねぇ」
友達には、少しフランクになってしまう。祖母の顔が脳裏にチラついたけれど、今日ばかりは許してほしい。本当に、色々あったのだから。
「大変だったね、なんて軽々しく言うのは、無理解かな?」
「翔子なら、いつでも歓迎だよ」
「じゃあ、放課後、遊びに行ってもいい?」
一瞬の表情の強張りを、彼女は見逃さなかった。
「私は、貴女が話してくれるのを待っているよ。何があったのかは分からないけど、孝太も心配しているから」
対角線上に離れた席で、友人と話していたらしい男子が、ちらりとこちらに視線を向けたことに気が付いた。
派手さはないけれど、中々シュッとした顔立ち。三人の幼馴染は、地元ではちょっとした評判で、私はそれが恥ずかしくって、二人の陰に隠れていたのを憶えている。
「様子がおかしいって、やっぱり分かる?」
「分かる。ほら、私、髪の毛を茶色に染めてみた。校則では禁止されていなかったからね。もう少し派手なのも憧れるけど……それに全く触れないんだもの」
お揃いの長髪。彼女はよく首元で束ねる程度のアレンジしかしないけれど、私の髪をアレンジするのが、彼女の楽しみでもあるようだった。
「あ、似合っているよ。似合いすぎて気が付かなかったな」
などと感想を言っていれば、あっという間にツインテールが視界に揺れる。
「気のない返事。折角の青い瞳、黄色く点滅しちゃうぞ?」
「赤にはならない?」
「泣きたいなら、この胸においで」
泣きたくなくても抱きついちゃうよ。なんて、戯けて言うけれど、彼女は笑いもせずに、私の頭を撫でてから、席へと戻っていった。
私の頭の中では、今、三つ目の封筒の中身のことでいっぱいだった。
曰く、封印されし七十ニ柱の魔神が産み出す魔境を突破することが、代々契約を結んだ者に課せられた使命。
祖父はそれを両親に受け継がせようとして、その魔境を体験させようとして……。
だから、祖父は最後まで、自分の力で解決をしようと努めていたらしい。けれど、それも上手くいかず、一番信頼を寄せるものにしか引き継がせる術はなく、それは、結局は守りたいと思っていた家族しかいなかった。
だから、私は――、祖母は――、あの部屋にはいることを禁じられていたのだろう。
「神郷さん、どうしました? 大丈夫?」
目元に溜まった涙に気が付いたのだろう。担任で、現代文の教師である加納は、心配そうに見つめていた。
まだ若い女性教師で、正義感は抜群。校則の厳しい学校ばかりを経験したせいか、比較的緩いこの高校では戸惑っている姿が多く見られる、可愛らしい人。
「あ、すみません。目にゴミが入ったみたいで」
「そう……。何かあったら、何でも相談をしてね。――それでは、授業を続けます」
申し訳ないと思いつつも、私の頭のなかに浮かぶのは、封筒の中身のことだけだった。
祖父が踏破出来たのは、三つに満たない。全体では、十。一人の人生で攻略できるのは、それくらいだという指標なのだろう。
あの空間を生み出しているのは、一冊の古文書であり、数種類ある神器と共に配置をすると、魔境に繋がる部屋が作り出されるのだという。
とある国の発掘作業に関わった際に、親交を深めた現地の人物から託されたそうだ。
武器となるものは、現地調達。魔法というものもあるらしいのだけど、それらも自力で習得しなければならない。
契約者が本当に、信頼を置く人物以外にもその存在を知らせてしまうと、魔神はその人を唆して、世界に災いを解き放つ。そんな言い伝えも、あの空間の目玉に教えられた。
私はそっと、袖の下に隠れた手首を見る。
二つの輪っかが組み合わされた腕輪は、契約者の証。受け継がれるまで、外すことはできない。
早く家に帰りたいなぁ。
私は静かに、ため息をついた。
帰宅すると、見知った男性が一人、エントランスのラウンジでコーヒーを飲んでいた。
常駐するバリスタとは顔見知りで、軽く頭を下げると、早速コーヒーを淹れる準備を始めた。
「正木さん! お久しぶりです」
「やぁ、久し振り。去年の命日が最後だったかな?」
正木は父の親友だったそうで、小中高の同級生。毎年、命日には仏壇に線香をあげてくれている。職業は、刑事だ。
「智君から相談されて、ね。でもなぁ、俺にはちょっと、荷が重いと言うか、なんというか、ね」
「先生たちは?」
「先に向こうへ行っている。俺も見させてもらったけれど、あの中、見れはするし覗き込むことは出来るけど、入るのには契約者が居ないと無理みたいだね」
「だから、急いで帰ってきたんです」
直ぐに着替えてきます、と声をかけて、私はエレベーターのスイッチを押した。
動きやすい服装に着替えた私は、直ぐにラウンジに戻り、バリスタからコーヒーを受け取って口に含みつつ、彼にその服装を見せびらかす。
「じゃーん。ちょっとお高めのTシャツとジーンズです。動きやすいですよ」
「お金は大事に使いなさい。ゴミになっても知らないよ」
「これくらいは許してください。車なんてまだ、買っても意味がないんですもの」
べー、と舌を出して、早く行こうと彼を急かす。
運動不足の弁護士たちよりは、刑事の方が頼りになる。いくら憧れの人が混じっていたとしても、さすがに命の危機が目の前にぶら下がっていれば、より逞しい方を重視せざるを得ない。
まだ分からないことが多いのだから、と自分の中で言い訳をして。
アパートの2LDK。その一室。その中で、私は巨大な目玉と対峙をしていた。
『一度に入室できるのは、最大で四名です』
順番に足を踏み入れれば、最後の正木で警告がなされた。今回は丁度であったけれど、関わる人が多くなるようなら、注意しなくてはならないだろう。
『魔境は試練。全てをその中で賄って頂きます』
本を捲る。十一頁。タイトル『彷徨える草原』。
『帰還は、腕輪に触れて合言葉を唱えてください』
それは、昨日のうちにこの目玉から説明を受けていた。
「合言葉って?」
「ソーバーアップ」
正木に教えると、彼はどこの言葉だ? と智先生に訊いていた。私には、何故訊かない? 学力が漏れている?
「酔いが覚める、ってことさ」
「あぁ、そういう皮肉」
さぁ、では酔いに行こうか。溺れないように、気を付けながら。




