2.その部屋に現れたモノ
私の預金通帳に、十億円が転がり込んできた。
桁違いの表示を見せる通帳を見つめながら、私はソファーに深く身を沈めた。祖父の遺言に従ったら、とんでもない金額が、である。
「ちょっと、他の遺言を見るのが怖くなってきた」
口から漏れる不安。コーヒーを飲み干した犬山所長は、そんな私に優しくこう言った。
「先ずは、相続に関する障害を取り除いた、と言うことだろうね。あまりに非常識な方法だけれど、この先が気になる不思議でもある」
自宅で保管していた三枚の封筒。一人で開けるのが何だか怖くて、犬山法律事務所にお邪魔したのだ。
手が空いているのか、所長と唯一の所属弁護士、智先生が見守ってくれている。
私は勇気を出して、二枚目の封筒を開けた。
「コレクションルームに置かれているもの以外は、家、土地も含めて処分するべし。マンションは今までどおりに住み続けて問題ない」
つまり、相続出来るのはコレクションルームにあるものだけ? いや、相続してから売却することになる。そんな説明を受けた。
マンションについては、オーナーはお祖父様ではなく、親戚のなかの誰かだったように思う。そこまで考えていたのだろうか。
「コレクションルームにある品は、専用の部屋を買うか、借りるかして保管すべし。その際、一日だけ密室にすること。三つ目の封筒は、再びその部屋を空けた後に開くべし」
その他にも細かな注文があったものの、概ね書かれていたのは以上の内容であり、私たちはこの先の展開が気になってしまって、直ぐに行動を起こした。
家や土地に関しては、犬山所長の伝もあって直ぐに売却先が見つかった。家具の類も全て処分した。
コレクションルームにあるものは、本当に信頼が置けるものにしか見られてはならない、という注文があったために、私と智先生、犬山所長の三人で、自宅マンションの近くに借りた2LDKの部屋の一室に押し込んだ。
押し込んだと言っても、私たちなりに綺麗に展示をしたつもりだ。配置に関しても、注文をつけられていたのだし。
焼き物に掛け軸。衝立のような木目の美しい一枚板。年代物の武具の数々。土器や石器のようなものまであった。棚も含めて、すっぽりと収まるような部屋を探し出していた。
玄関を施錠して、封印をする。これで密室だ。
その言い回しをしたのは、祖母がミステリー小説をコレクションしていたからだろうか。厳選したコレクションだったらしく、数が少ないそれらは、今ではマンションの部屋に収められていた。
翌日、そこで何が起こるのだろう。所長も先生も気になっているのか、自宅に帰ることもなく、私の部屋で一晩を明かすことになった。
朝、目覚めてからゲストルームを覗くと、ベッドを占領する所長の大胆な寝相が目に入る。ソファーでは智先生が身を縮めていて、テーブルにはアルコール飲料の缶が、いくつか転がっていた。
二人して、だらしがない。
私自身、特に綺麗好きといった性格ではなかったものの、空いた缶、食べかけのもの、それらを放置しているのは我慢ならなかった。
だって、怖いでしょう? その後うっかり口にして、何かあったらとても怖い。かつて駄菓子屋で、賞味期限が一年も切れたお菓子を買ってしまって、それを食べてから。食品関係には敏感になってしまった。
だって、美味しくなかったもの。
それを片付けて、朝食の準備をする。
マンションの最上階、そのワンフロアが全て私の部屋であり、ダイニングキッチンはエレベーターホールから扉を開けて、玄関を越えてすぐの所にあった。
こんなマンションを建てるなんて、学者というものはそれほど儲かるのか、と私は呑気に考える。
まさか、祖父もくじで一攫千金を? だとしたら、超能力のようなものだろうか。
引っ越し作業が長引くことを考えて、この日も学校には休むことを伝えていた。それがなくとも、祖父の要求は気になって気になって、他のことなんてしていられない。
授業を受けて白紙のノートを産み出すよりも、きっと、こちらの方が建設的だろうし。
いや、でも、だ。今回ばかりは行ったほうがよかったかもしれない。
だって、このドキドキを抱えたまま、どうやって残りの時間を過ごせばいいのだろう。トースターが鳴った。トーストに載ったバターのように、時間なんて、直ぐに溶けてしまえばいいのに。
結局、男どもは昼まで眠っていた。意味もなく掃除をしていた私の苦労を、誰も見てはくれなかった。
弁護士という大変な職業、日頃の疲れが溜まっているのだろう。と思ったし、ただ、二人がだらしないだけなのではないか。とも思った。
昼食にはピザを取って、暇潰しにワイドショーを眺める。
「そう言えば、先生。お祖父様のことってニュースにならなかったと思うのだけど、有名ではなかったの?」
「その筋では、有名だったみたいだね」
「どの筋?」
「牛スジ、かな?」
つまり、誰もよくは知らなかったと。
時間になって、近くに借りた部屋まで移動した。最近出来たばかりのアパートで、二階建てで全八室。清潔感のある外観が話題となり、全ての部屋は埋まっていた。
一階の一番奥が、借りている部屋だ。
鍵を開けて中へ入ると、特に目立った変化は見られなかった。明かりもつくし、水も出る。エアコンだってきちんと作動した。
「では、お待ちかねのコレクションルームだ」
所長は待ちきれない様子でドアを開ける。彼はそのまま、声を漏らして後退りをした。
私は思わず、智先生に身を寄せる。彼は私を守るように、手を広げてくれた。そんな姿を、それはジッと、観察するように見つめている。
巨大な――、巨大な眼球が浮かんでいる。部屋の中は薄暗くて、石造りの神殿のような趣に変わっていた。中央には台座があって、一冊の本が浮かんでいる。
『契約の移行が確認されました。新たな契約者、セイナは、盟約の書にサインを』
眼球が声を発しているのだろうか。部屋の中から、反響するような声が聞こえる。
「せ、先生、どうしたら……」
「それは、しなければならないのか?」
庇うように、彼は言った。
所長は部屋の中に頭を入れて、周囲を探っているらしい。危険はなさそうだ、と親指を立てた。
『拒否した場合、契約に従わないかった場合、災いが世界に解き放たれます』
とんだファンタジーだ。智先生はお手上げだと言わんばかりに両手を上げて、私の肩を軽く叩いた。
「これが、神郷先生の秘密だったわけだ。僕らには、もう、どうしょうもないだろうね。まな板の上のトンカツだ」
「トンカツ? 鯉ではないの?」
「鯉は食べたことがないからね」
その冗談に、私は薄く笑った。お祖母様の得意料理は、鯉こく、だったから。




