第3章 踏界ノ憐憫【トウカイノレンビン】④
門亜は音環の隣にちょこんと座ると、箸を取り出したりかいがいしく世話を焼きはじめた。
「門亜、そのアングルはちょっとやばい。」
大河が静かに言った。門亜がひょい、と隣を見ると、音環が困ったような顔をしていた。
ぷぅ、と頬を膨らませると、ピッチャーから水を汲んで大河、空河、すべっタローと次々に水の入ったコップを置いた。
「音環と態度が違う……」
すべっタローはしょんぼりとした。
あまりの肩の落とし方に音環は気になった。門亜が来るまでのしょんぼりの仕方といい。
……いいや、冬にも俺たち4人でワイワイとしていたら、いじけて波打ち際で遊んでいたな。大河に送ってもらうとき、心なしか嬉しそうだったっけ。
気のせいか、目の下のクマがうっすらだけど目立つ。大丈夫なのか?
「すべっタロー、元気ないけど、大丈夫か?」
音環は声をかけた。
すると、すべっタローはにこっと笑って
「今年豊作だったから。忙しかったんだよ。その疲れかもね」
と言いながら指先をさすった。ふっくらとした、昔と変わらないきれいな指だった。
アンバランスだ。音環は漠然とした違和感を感じていた。
「もう若くないからね。僕たちも。ゆっくりできるときはするんだよ」
と空河は言った。まるで、空河が教室で児童に言い聞かせるような話し方に、小学生じゃないよ、と音環は言おうとしたが、すべっタローの笑顔に突っ込むのはやめた。
――スープの最後の一滴まで飲み干すと、音環は体の芯から温まるのがわかった。
スタジオは暖かかった気がしたが、それでも冷えていたんだな。音環は今更空河の言葉が沁みてくるのが分かった。
ほぅ。門亜は軽く息を吐きだした。そして、
……今日の夜でも明日の朝でも、また、弘前に帰らなくちゃいけないんだよな。
門亜は無意識に音環のジャケットの袖をつかんでいた。
そんな門亜の姿を、大河は見なかったことにした。嫌なら音環が言うだろう。放っておこう。
「そう言えば……」
大河は口を開いた。
「学生の時に家庭教師をしていた教え子のうちの1人がやばいことになっているらしい」
少し声を潜めて大河は話し出した。幸い、店の喧騒に大河の声に耳を傾ける者はなかった。
「弘前の大学に行っているんだが、先日薬物で入院したんだ。別の教え子から聞いた」
そう言うと門亜に目線を合わせて言った。
「門亜、知っているか?」
心なしか怒り交じりの目線を向けられて、ドクン、と門亜の心臓は大きく響いた。
――しまった。完全に気を抜いていて、スイッチを切り替えるのが遅れた。
「薬品をしみこませたタバコ、と言っていた。そんなものに手を出す子に見えなかった」
大河は目を伏せた。その沈黙に悔しさがにじんでいた。
門亜の脳裏に、伯父の言葉が浮かんできた。
『ゾンビたばこだ。先日、昏睡した大学生が病院に運ばれたが、どうもゾンビたばこをやっていたようだ。まだ意識が戻らない』
……このことだったのか。まさか、ここでつながるとは思わなかったよ。
門亜はうつむいた。
タイミングを逃してスイッチがなかなか切り替わらなかった。今、それを追っているんだ、と言いたかったが、口にすることはできなかった。
「すまない。門亜は交通だったな。つい……熱くなってしまって」
大河はすまなそうに言った。その様子に、門亜はうつむいたまま静かに首を横に振った。
……変だ。すべっタローも門亜も。
直感的に音環は思った。何か隠している。もし、聞いている話通りなら、ここまで秘密にしないよな……。
とは言え。踏み込んではいけない領域だろう。向こうから言い出すまで。すべっタローも門亜も。
ふぅ。音環は誰にも気づかないほど小さくため息をついた。
アイテテ……。
翌朝、音環はリビングのソファで目を覚ました。
何でこんなところで寝ているんだ?俺?……飲みすぎたな。おでこと頬がバリバリ言ってる。
うーん、と体を起こそうとして、音環はとんでもないものを目にした。
窓辺に座っていたソレ。逆光で輪郭しか見えないが、長めの黒髪がつやつやと光っていた。そして、手持ちの鏡を見ながらスキンケアをしている……いや、誰だよ。
音環は体の血液がサーっと引いていくのを感じた。俺、誰を連れ込んだ?
ズキズキと痛みが響く頭を押さえながら、音環は昨夜のことを反芻しだした。
すべっタローや大河たちと別れた後、駅前のバーで門亜と飲んでいたのは覚えている。
俺、カルヴァドスだろ……チャンポンはしなかった。門亜は大吟醸を冷酒で頼んでたな……。
門亜が何もしゃべらないからただ飲んでいただけだったな。俺たち。だから相当飲んだ気がするぞ。
しかも、帰ろう、と言ったのに門亜はもう一杯だけ、なんてするからどんどん……。
そのうち門亜が頭を俺の肩に乗っけてくるから「もういい加減帰ろう」と言った。ここまで覚えている。
うん。代行を呼んだ。代行は男だった。じゃ?こいつは?
ソファからゆっくり起き上がり、頭を抱える音環に
「水、飲む?」
と、聞いたことのある声がした。
……門亜か!
「お、おまっ!」
――心臓に悪い。
一気に力が抜け、音環は床に崩れ落ちた。
読んでくださりありがとうございます。
この章はこれで終わりです。
黒髪つやつや……羨ましいです。




