第3章 踏界ノ憐憫【トウカイノレンビン】①
翌週末。
今日も門亜抜きか。いつもより早く音環はスタジオに着くと、すべっタローの姿を見て悟った。すでに来ていたすべっタローは、椅子に座って肩を落としていた。
なんかの像に似ているな、と音環は思った。そうだ。考えていないロダンの像だ。
すべっタローは、スマホの画面を見てはため息をついた。まるで、返事をよこさない恋人からの、返事を待つ男のようだ。
たまに女子行員で見かけるけど……何気に時間を食いつぶすんだよな。
まあ、大河たちが来たら無理にでも歌わされて元気が出るだろう。俺だって、門亜のないギターは味気ないんだ!
ギターをアンプにつないでチューニングを音環が始めた時、やや強めにドアが開いた。
……門亜?
門亜の姿を見たすべっタローの顔がぱっと明るくなった。
ツカツカと門亜はコンセントの近くまで行くと、自分のアンプを繋ぎ、ベースをそれにつないだ。
そして簡単にチューニングを済ませると音環に目線を送った。まるで、自分にギターを合わせろ、と言っているかのようだった。
珍しいな。こうも門亜が自己主張するなんて。
音環がそう思っていると、突然、門亜はベースを弾き始めた。
……スラップだ。
音環は、親指で弦を叩き残る指で引き上げる音を聞いた瞬間、熱いものが体の中を走った。荒々しい音と激しいリズムに、音環はギターを構えた。
ただ、曲が分からなかった。何となく聞いたことがあるリズムで、即興ではないことが分かった。
自分の知らない曲を門亜が合わせるように言うことはないはずだ。テンポが違うとイメージが変わるな……。音環は一心に耳を傾けた。
門亜は3回くらい最初のフレーズを繰り返していたが、音環がなかなか入ってこないのを見て歌詞を奏で始めた。
……2026年デジタルとの邂逅か!
コミカルな曲をスラップで弾くなんて……最高にファンキーな、クリエイターを愛した画面向こうの「僕」の邂逅になるぞ!
音環はふいっと門亜の音に入り込むと、カッティングを始めた。
ベースが華やかに主張している分、俺まで主張を始めると聞いているほうが疲れてしまう。今日は、俺が門亜の音を支えるほうだな。華を添える、というか。
音環は軽く音を鳴らすと、少しして音を短く刻み始めた。時折、音を止めては門亜のベースの音をひときわ目立たせた。
軽さを得た門亜のベースは唸りをあげると、テンポを上げ始めた。
かき鳴らし、渦を巻き起こす音は、まるで1人注目を浴びながら艶やかなドレスで踊っているかのようだった。
門亜の口から笑みがこぼれるのを、音環は見た。
……たまにはいいな。こういうのも。
曲は最後のサビに差し掛かった。音環は再びギターの音を止め、門亜の音をトン、と背中を押すように解放した。
そして、2回目の繰り返しの時、音環もスラップでギターを弾き始めた。
異なる2つの音の掛け合いは、無数の糸が絡みつき、回転ブランコのように回りだした。
それでも、楽しい時間には終わりだ、というように音環はスラップからカッティングに戻すと、途端に音が醸し出す空間は無機質なオブジェクトが置かれているだけの部屋と変わった。
画面の向こうのクリエイターを愛したなんて……それこそ、そのクリエイターは人かデジタルそのものか分からないと言うのに。
音環のメッセージが届いたのか、門亜は名残惜しそうにベースの音を緩めて行った。そして、チャッ、と短く音を切ると、演奏を終えた。
ふぅ。門亜は吐息を漏らすと座り込んだ。音環はまだ口をつけていない冷えた炭酸水を門亜に渡した。
門亜が一気に炭酸水を飲んでいると、カチリ、という音がしてすべっタローが録音の機械を止めているのが見えた。音環は音に気が付いてすべっタローの方を見た。
「いつもの曲だけどさ……弾き方が違うとこうも世界観が変わるんだね」
ぽつり、とすべっタローは言うと、手早くファイルをまとめてカズヤに送信した。
「なんだ、なんだ、2人で楽しみやがって。今度俺とも合わせろよ」
いつの間に来たのか、大河と空河がドア口にいた。大河は門亜に向かって声を上げた。
あはは……門亜は軽く笑うとベースを構えた。
「ちょ!ちょっと待て!俺たち全然セッティングしてない!」
じゃあ、早くしなよ。そう言うかのように門亜は目線を大河に送った。そして、再び音環に目線を送ると、弦を弾き出した。
待て!俺か!まだアクエリアス、飲み終えてないぞ!しかも面倒な……逢瀬だ。すべっタローもマイクを構えてやがる!
音環はうんざりした気持ちでギターを構えた。そして、すべっタローの歌が始まると、陰鬱なリズムをなぞるようにギターを奏で始めた。
――研修、大変なのか?音環はギターを弾きながらちらり、と門亜の様子を見た。
門亜がこうも怒りをぶつけるのは、俺が知る限り過去に2回だ。小学校の時と、冬にオレオレ詐欺の時で危ないことをしたときと……。
まあ、様子を見てちら、とでも聞いてみよう。力になれなくても、知ってはおきたいかな。
門亜のベースの低音と、一緒に弾き出す乾いた音が2人分のリズムを賄っていた。
門亜はちらり、と音環に目線を送っていた。皮肉がちょっと入ったような目線は、まるで音環のギターを可愛らしい、と言っているかのようだった。
読んでんで下さりありがとうございます。
第3章は4つに分かれます。
たまたまですが、スラップと言う技法を知り、YouTubeで聞いてみました。
とても華やかですね。勉強になりました。




