第16章 哀歌②
ある日、パトロールから戻ると、小隊長から応接室に呼び出された。
まるでデジャヴだ。門亜はうんざりしながら応接室の扉を開けると、伯父がいた。そして、怪訝そうな顔をする門亜に、
「明日県警本部に行って、護送をするように」
と、いきなり指示を受けた。そして、スーツで行くように、と念を押された。
やれやれ。やっと落ち着いてきた同僚たちの目線地獄がまた復活するなぁ。本当にうんざりだ。
門亜は黙って頭を下げたあと、時間と集合場所を確認した。
――翌日。約束した場所に行くと、すでに門亜の伯父は待っていた。
「運転を頼む」
そう言うと、シルバーのセダンのカギを渡した。わかりました、と言うようにかるく会釈をすると、門亜は乗り込んでエンジンをかけた。
しばらくして、私服警官が2人、間に女性を伴ってやってきた。
門亜はルームミラーで女性の顔を見た。そして、あっ、と言うような顔をした。
髪の毛が伸びて雰囲気が変わっていたが、かりんだった。淡いイエローグリーンのワンピースを着たかりんは、新しい季節で芽吹くつぼみのようだった。
白いハンドバッグと靴が、ワンピースによく似合っていた。
ぎこちなく会釈をする様子が、門亜には垣根のように感じられた。そして……。
彼女はもう、かりんではないんだ。
門亜は声をかけそうになったが、黙った。
「これから護送を開始する。門亜、三戸署に向かってくれ」
伯父はそう言うと、助手席に乗り込んだ。門亜はすべてのドアが閉まったのを確認して。静かに車を走り出させた。
……静かだ。
車内は、エンジンの音と暖房が吹きだす音だけが響いていた。
会話のない車内は、不思議と空気の重苦しさはなかった。静けさをただ味わうだけの空間。まるで、何かの儀式のようだった。
門亜はちらり、とルームミラーで後部座席を見た。かりんはうつむいていたが、体を固くした様子はなかった。むしろ、何かを考えているかのようだった。
或いは、思い出を手放しているのだろうか……。
もう2度と戻ってくることのできないこの地を、ちらりとも見ることをしないかりんを見て、門亜はチクリ、と心に何かが刺さったような気がした。
伯父も、私服警官も、お互いにしゃべることはしなかった。
門亜は車を八戸方面へと走らせた。
国道45号線で七戸町を越え東北町へと走らせた。インターの手前で県道に入った。そして国道4号線へ。
雪はほとんど溶けていた。道路の隅に少しだけ、今年の雪の名残を残していた。
青森は、あなたにとって少しでもいい思い出はありましたか?門亜は心の中でかりんに問いかけた。
新しい土地で、新しい名前で、何も持っていくことが出来ないあなた……少しでも力になれたらよかったのだけど。
五戸町を越えると、しばらく山道が続いた。雪の重みで幹がばっきりと折れた針葉樹が門亜の目に入ってきた。
生々しい、そのベージュ色が、まるで見えない血を流しているように門亜には見えた。
山間部を越えるころ。案内表示が出てきた。
左――八戸。右――二戸、三戸。
カーナビでは案内の場所まで残り12.5㎞と指していた。
……口の中が渇いてきた。恐らく、この渇きは癒すことはできないだろう……。こんな、痛みとは違う感覚、知らなかったな……。
門亜はルームミラーでさりげなくかりんの様子を見た。かりんは相変わらずうつむいたままだった。その時、ハンドバッグを持つ手が、僅かに震えているのが見えた。
もし、ボクがこのままその手を取って逃げたら、きっとその手の震えもボクの渇きも収まるんだろうけど……。誰も幸せになれない。ボクたちですらも。
何度も考えた想いだった。
かりんの手を握って逃げる自分。そしてすぐに行き詰まる未来。何度想像してもかりんの表情は見えなかった。そして、暴対の刑事の
『責任って言うけど、無事に終わってから言うもんじゃねえんだ!』
と怒鳴る声が脳裏に聞こえて終わる。
無謀な、浅はかなボクを戒める怒声。聞こえるたび、ズキリとした痛みが走るけど……おかげで、踏みとどまれる。
門亜は視線を前に戻した。
柔らかい日差しを浴びて、気持ちよさそうに座っている老婆が見えた。店先で、なにやら笑いながら会話をしている夫婦が見えた。
普段は透明なフィルター越しに見える風景が、今日だけは門亜の目にモノクロームなフィルターがかかっているようだった。
門亜の左手を、青い列車が走りぬけていった。
……もう、直に到着する。
せめて1つだけでいい。信号待ちがあったなら。僅かの時間だけでも一緒にいる時間を増やしてくれないか……。
門亜のささやかな願いは、叶わなかった。無慈悲にもあっという間に三戸署の建屋が見えてきてしまった
10、9、8……門亜の脳裏にカウントダウンを告げる声が聞こえてきた。
ふぅ。落ち着け。心。
三戸署の駐車場にはいると、盛岡ナンバーの黒のセダンが停まっていた。
「あのセダンの脇に止めて。扉開けやすいよう、一台開けてな」
伯父はポツリ、と言った。
指示通りに門亜が車を停めると、伯父は車の中で待っているよう門亜に言った。
伯父は車を降りると、黒のセダンの運転席に声をかけた。窓が開き、伯父は一言、二言話をすると、ちら、とこちら側を向いた。
それが合図かのように、後部座席の私服警官が下り、続いて促されるようにかりんも降りた。そして、警察官に伴われて三戸署へと入って行った。
声、聞けなかったな……。なんて声をかけていいのか、分からなかったけど。
かりんが入って行った扉を門亜がじっと眺めていると、少ししてかりんが戻ってきた。そして、黒のセダンから同じようにスーツを着た警察官が下りてきた。
互いに近づくと、かりんだけが黒のセダンの警察官に向かって行った。
その時、かりんはくるっと振り向くと大きくお辞儀をした。そして、門亜に向かって小さく手を振った。
目で追っていた門亜は見逃さなかった。そして、目の前が淡くにじんだ。
……どうか……無事に。無事でありますように……。
軽く手を上げるとかりんはほんのり微笑んだ。
吸い込まれるようにかりんと警察官が黒のセダンに乗り込むと、タイヤが砂利を踏む音を立ててゆっくりと駐車場を出て行った。
規則正しく点滅するウィンカーと、鋭く放つ赤い光が、門亜への最後の合図に見えた。
読んでくださりありがとうございます。
今回は便宜上、実在する場所の名前を挙げてしまいました。
誤解はされないと思いますが、本作とは関係ありません。
ちなみに、事件の現場を避けてルートを決めました。




