第8章 破片と断片③
「このお店。津軽びいどろが置いてあるの」
そう言うと、かりんはいくつか並んでいる店のうちの1つに入っていった。そして、かりんはグラスが並んでいる棚の前で止まった。
そのグラスは、色とりどりの紙吹雪が着地するその直前で時を止めたようだった。
淡い光に透けて落ちたオレンジや青と言った色が、冬の訪れの前のわずかな季節を描いていた。
「モーアちゃん、お揃いのグラスにしない?」
そう言うと、かりんは青の紙吹雪のグラスと、黄色の紙吹雪のグラスを取った。そして、そのままレジで会計を済ませると門亜のもとに戻ってきた。
「はい。黄色。青はモーアちゃんのイメージに似てるなって思って……」
そう言うとかりんはぱっと店の外に出た。門亜は慌ててかりんの後を追った。
――このまま帰しちゃいけない。門亜は直感で思った。
このブーツ、走りづらい!
幸い、広場の途中でかりんに追いついた。手を握ると、かりんは振り向いた。
目が赤くなっていた。
「好き……」
かりんはそう言うと、そっと門亜の唇に自分の唇を重ねた。
「かりん、て呼んで……」
そう言ってうつむくと、ありがとう、とつぶやいて再び走って通りに出た。そして、そのままタクシーを呼び止めると去って行ってしまった。
門亜は立ち去るタクシーを見ながら呆然と立ち尽くしていた。
――夜。門亜はアパートの自室でかりんにもらった津軽びいどろを眺めていた。
人差し指でふちをなでると乾いた鈴のような音がした。
門亜は包帯が巻かれた薬指を見た。少し前、外してみたがまだ血が滲みだしていた。
結構深かったんだ。門亜は自分に呆れていた。
どこかぼんやりしていたのだと思う。グラスを3つも割ってしまった。片付けていたらざっくりと指を切ってしまった。
今日は帰ったら?呆れたような顔をした男性キャストに言われてしまった。
……頭の中がぐちゃぐちゃだ。
ごろん、と門亜はベッドに転がった。気持ちは、うすうす気が付いていた。でも、こんなに展開が早いなんて……。逃げたい、そう言っているように思える……。
きっと、誰かに逃がしてもらおう、そう言うつもりではなくて、気持ちだけ逃げたいんだろうな。その一瞬、その時間だけでも。
ふぅ。門亜は深く息を吐き出した。そして、唇を閉じたとき、昼間の唇を重ねた感触がよみがえってきた。
そして、消え入りそうな声で「好き」とつぶやく声。それらが門亜の中で交互に繰り返された。
好意を寄せられているのに……応えられない自分。せめて、男だってばれていいなら、安全な場所へ逃がして上げられたらいいのに……。
ふいに、門亜は部屋の灯りがまぶしく感じた。仮の姿を演じている自分が灯りで心まで暴かれそうで、闇が恋しくなった。
慌てて灯りを消すと、ベッドに横たわってぼんやりと天井を眺めた。
――最初は輪郭を持たないただの暗闇だったものが、目が慣れてくると色を帯びてきた。ほんのり青みがかったものが、天井を彩りだした。
駐車場に入ってくる車からの光が、一瞬、天井を照らした。
そのたび、手足に力が入ったが、エンジンを切ってアパートのどこかの扉の鍵を開ける音がすると力がふっと抜けた。
やがて、それもなくなり、時折聞こえていた隣室の歩く音も、いつの間にか聞こえなくなっていた。
喉が渇いてきた。多分、夜もかなり更けた頃だろう。あと一時間ちょっとすれば、新聞配達のバイクが走り出す……そんな時間だ。
門亜は静かに目を閉じた。少しでも体力を戻しておかなくては……何かあっても対応できるように……。
好き、の言葉とキス。
好き、の言葉の裏にあの男。
……かりん、あなたはどうしたい?ボクに何ができる?
門亜の頭の中で言葉がぐるぐる回りだした。時折目を開いては、悪いほうに考える気持ちをシャットダウンした。
そして再び目を閉じた。
そんなことを繰り返し、ようやくウトウトすることが出来たのは、青白い光がカーテンから漏れ出る明け方のころだった。
門亜はドアをノックする音で目が覚めた。
誰だ?足音を立てずに玄関へ行ってドアスコープを除くと、スマホをいじる音環が見えた。
え?なんで?
門亜はそっとドアを開けた。
「中に入って。音環、何できたの?」
門亜は低い声で言った。昨日、ボクはもう来るな、とメッセージを送ったはずだ。
「ん?だって、来るなって言ったじゃん。だから来たよ」
意味が分からない……危険が来た時に、ボクじゃ守れないんだよ!
がっくり、と門亜はひざをついた。
「とりあえず、上がらせてよ。ちゃんと食べてる?スーパーのだけど、弁当買ってきたよ。あと、たらこと豆大福も」
あはは……ボクの大好物じゃないか……なんで、こんな時に……。
「音環、ボク、潜入捜査しているって言ったじゃないか。もしかしたら、誰か見張ってるかもしれないって言ったじゃないか。
音環が危ない目に合うのは嫌なんだ。だから来ないでって言ったのに……」
門亜はひざを抱えた。音環は弁当をテーブルに置くと、聞こえなかった風に答えた。
「俺、門亜のいないSAKIOTTEは続ける気ないし、きちんと就職したのだって青森市に帰ってきたかったからだよ。
門亜がいなかったら、もう、どうでもいいんだよ。じいさんたちもいないしさ」
ふぅ。音環は門亜の前に座り込むと両手で門亜の頬を包み込んだ。そして、次の瞬間。軽く押し付けるとぎゅっと前に出した。門亜の唇はひよこの口ばしのようになった。
「門亜。嫌がらせしようぜ。門亜をここまで弱らせたの……伯父さんだろ。何の潜入捜査してるんだか知らないけど、何のフォローもなく放っておいたようなもんなんだろ」
すべっタローが言ってた、と音環は続けた。
門亜はぽろり、と涙を流すとうなずいた。ただ、潜入しろ、と言われた。隣のお店の子と仲良くなれれば半分成功、と言われた。でも指示はそれだけだった。
事件が起きたときも外に出してもらえなかった。
ボクは何をしにここに来たんだよ。
「嫌がらせってどうやって?」
音環が手を離したタイミングで門亜は聞いた。
「例えば……あの服を着てさ、大量に写真をスマホに送りつけたり、カバンに忍ばせたり……少し奥さんにひっかかれてこいってんだ!」
ふん。と、音環は腕を組んだ。
「あはは。そうだね」
何があるかな、と門亜は立ち上がった。そして、ロリィタ服を手にすると、ふっと音環の方を向いた。
読んでくださりありがとうございます。第8章③です。
長くなってしまい申し訳ありません。
ガラス製品、壊してしまいそうでなかなか増やせないのですが、儚さと美しさに虜になっています。




