第6話「この辺境に、初めて本物の食卓ができた日」
難民が来てから一週間が経った。
九人のうち、三人は体力が回復してから先へ旅立った。残りの六人はハルムに留まることになった。老人が二人、若い母親と子どもが三人、それから二十代の男が一人。男の名前はロッツといって、もともと農夫だったらしい。
ゴードンが彼らの落ち着き先を世話した。空いた物置を整えて、毛布を集めた。愚痴一つ言わなかったが、夜に俺のところへ来て「野菜が足りなくなる」と言った。
「分かりました。考えます」
「考えてくれ」
ゴードンはそれだけ言って帰った。
翌朝から俺は行動範囲を広げた。今まで行かなかった森の深い場所に入った。川の上流を歩いた。村から半日の距離に、誰も手を入れていない野生の畑のような場所があった。野草が密集していて、その中にいくつか食用になるものが混じっていた。量は多くないが、続ければ積み上がる。
エルナが護衛についてくるようになった。
「森の中は魔物が出ることがある」と言った。「一人で入るのは危険です」
「今まで一人で入っていましたが」
「今まで運が良かっただけです」
言い返せなかった。
それからは二人で森に入った。俺が食材を探して、エルナが周囲を警戒する。俺が採取に集中している間、エルナは一言も余計なことを言わない。必要なことだけ言う。そういう同行者は、実は悪くない。
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難民が来て十日ほど経った頃、テアが言い出した。
「収穫祭をしませんか」
俺とエルナとゴードンが、テアを見た。
「収穫祭」とゴードンが繰り返した。
「はい。村の人と、隣から来た人と、エルナさんと、みんなで一緒にご飯を食べる日を作ろうと思って」
ゴードンが眉根を寄せた。
「今年は収穫が少ない。祭りができるほどの余裕はない」
「余裕がなくてもできます」テアが言った。「みんなで少しずつ出し合えばいいんです。先日の夜みたいに」
先日の夜。難民が来た日、村人が食材を持ち寄った夜のことだ。
ゴードンが黙った。
「ルークさんが料理を作ってくれれば、量が少なくても大丈夫だと思います。あの料理を食べると、なんか、元気になるから」
エルナが俺を見た。俺はテアを見た。
「お前が企画するなら、俺は料理を作る」
テアの顔が明るくなった。
「ゴードンさんは?」
ゴードンが少し間を置いた。
「……場所を用意してやる」
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収穫祭の準備は三日かけた。
食材集めはテアが仕切った。村人に声をかけて回り、何が出せるかを一軒ずつ確認した。難民のロッツが「俺も手伝う」と言って、テアと一緒に村中を歩いた。テアが「こちらから先に行った方が効率いいです」と言い、ロッツが「なんで子どもにそんなにてきぱきされてるんだろう」と笑った。最終的に集まったのは、野菜各種、豆、干し肉、川魚の干物、木の実、それから誰かが蜂蜜を一瓶持ってきた。
場所の準備はゴードンが仕切った。村の中央にある広場の枯れ草を刈って、平らにした。長机になる板を倉庫から出してきた。誰かが火を囲む石を並べた。カルたちが枯れ枝を集めてきた。カルが積みすぎた枝を崩して、ネムに笑われていた。
エルナは食材の運搬と、森からの薪集めを一人でこなした。文句一つ言わなかった。ただ一度だけ「重い」と呟いていたが、俺が聞こえたふりをしなかったら、二度は言わなかった。三日目の夜に「明日のために少し早く寝ます」とだけ言ってから、誰よりも早起きして戻ってきた。
前日の夜、俺は一人でメニューを考えた。
集まった食材で、何人分の、何品を、どういう順番で出すか。制約が多いほど、料理は面白い。あれが使えないなら、これを使う。量が足りないなら、味で補う。一品一品を豪華にするのではなく、全体の流れを設計する。最初に軽いものを出して、中盤で温かいものを、最後に甘みで締める。
食べる人の顔を思い浮かべながら考えた。
ネムは甘いものが好きだと、先日見ていて分かった。ゴードンは脂が多いものを好まない。老婆は歯が弱そうだから、柔らかく仕上げた方がいい。ロッツは農夫だから量を食べるだろうが、それより質で満足させたい。エルナは好き嫌いが多いが、出したものは全部食べる。
王宮で料理を作っていたとき、こういうことは考えなかった。考える必要がなかった。誰が食べるか分からない料理を、ただ作り続けていた。
蜂蜜があるのは助かった。最後の一品に使える。
紙に書き出して、材料の振り分けを確認した。
悪くない献立ができた。今まで作った中で、一番良い献立かもしれないと思った。』
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収穫祭の当日は、朝から仕込みを始めた。
野菜は種類ごとに切り分けて、火の入り方に合わせて大きさを変えた。豆は昨日から水に浸けてあった。干し肉はもどして、余分な塩を抜きながら旨みを引き出す。川魚の干物は薄く裂いて、出汁用と具材用に分けた。木の実は炒って、香りを出してから砕く。
テアが「何か手伝えますか」と来た。
「野菜の皮を剥いてくれ。この向きで、この厚さで」
「はい」
少しして、エルナも来た。
「私にもできることはありますか」
「魚の干物を裂いてもらえますか。繊維に沿って、なるべく細く」
「……やってみます」
エルナが干物を手に取った。慣れない手つきで、それでも丁寧にやっていた。
ロッツも来た。農夫だけあって、野菜の扱いが俺より上手かった。黙って仕事をする人間で、テアと息が合っていた。
昼過ぎには、難民の老人が二人、椅子を持って広場に来て座り始めた。祭りが始まるまで、日向ぼっこをしながら待つつもりらしかった。ネムがその隣に座って、老人と何か話していた。老人の顔が、俺がここへ来た時より柔らかくなっていた。
夕方に向けて、料理が仕上がっていった。
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日が傾いた頃、全員が広場に集まった。
ハルムの村人が二十人ほど。難民が六人。エルナ。テア。俺。合わせて三十人近い。
長机の前に、思い思いに座った。椅子が足りない人間は、板を敷いて地面に座った。子どもたちは最初から地面に座った方が楽だと言って、村の端に固まって座っていた。
俺と、手伝ってくれた者たちで、料理を順番に出した。
最初に出したのは、木の実と野草を合わせた小さな一皿だ。炒った木の実の香ばしさと、野草の青みが混ざる。量は少ないが、最初の一口はこういうものがいい。
「旨い」とロッツが言った。「なんだこれ、こんな組み合わせがあるのか」
「木の実を炒るときの温度次第で香りが変わります」
「へえ」
次に、豆と野菜のスープを出した。難民が来た夜に作ったものと同じ材料だが、今日は時間をかけて丁寧に仕込んだ分、深みが違う。干し肉から出た旨みが全体を包んでいて、野菜の甘みがそれを支えている。
老婆が一口飲んで、目を細めた。
「これは」と言いかけて、止まった。それから「昔、母親が作ってくれたやつに、少し似ている」と続けた。
「そうですか」
「似ているけど、もっと旨い」
俺は何も言わなかった。
川魚の干物を使った炒め物を出した。繊維に沿って細く裂いた干物が、野菜と絡んで旨みを広げる。エルナが手伝ってくれた分だ。エルナがそれを口に入れて、少しだけ固まった。
「……私が裂いたものですか」
「そうです」
「自分で作ったものが料理に入っているのは、初めてです」
「味はどうですか」
エルナが少し考えた。
「……普通じゃないと思います。私がやったとは思えない味がします」
「食材がいいので」
「それだけですか」
「あとは、裂き方が丁寧だったのもあります」
エルナが黙った。それから静かに残りを食べた。
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食事が進むにつれて、広場の空気が変わっていった。
最初は少しよそよそしかった。村人と難民は、まだ完全に打ち解けているわけではなかった。席も、自然に分かれていた。
それが、スープが二杯目に入った辺りから変わり始めた。
難民の老人が、隣のハルムの老人に「どこから来たんだ」と話しかけた。ハルムの老人が答えた。難民の老人が「うちの方も昔はそういう土地だったが」と続けた。気づけば二人が話し込んでいた。笑い声まで出ていた。最初、この二人が同じ机に座ることを想像できなかった。
ロッツが、カルに農作業のことを教えていた。カルが「じゃあこっちの畑を見てくれないか」と言っていた。ロッツが「明日行く」と答えた。カルが「本当に来てくれるか?」と念を押した。ロッツが「嘘をついても腹は減らん」と言って笑った。
難民の若い母親の子どもが、ネムの手を引いて走り回り始めた。ネムが笑いながら走っていた。母親がその様子を見て、俺の方を見た。何かを言いたそうだったが、言葉が出ないようだった。代わりに、ゆっくりと頭を下げた。俺は頷いた。それで十分だった。
テアが俺の隣に来て座った。
「ルークさん」
「なんだ」
「なんか、家族みたいですね」
俺は広場を見た。
三十人近くの人間が、一つの場所で飯を食っている。血のつながりはない。出身地も違う。王都からの追放者と、辺境の村人と、隣の領地からの難民と、王国の騎士。ばらばらの人間が、今夜だけ同じ食卓にいる。
「……そうかもしれないな」
俺は言った。
「そうかもしれない、じゃなくて、そうです」
テアが言い切った。
「ルークさんが作った飯を食べているから、みんな家族です。今夜は」
俺はその言葉を聞いた。
今夜は家族。
大げさかもしれない。明日になれば、また別々になるかもしれない。でも今夜この瞬間は、確かにそうだった。
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最後の一品は、蜂蜜を使ったものにした。
木の実を砕いて、蜂蜜と混ぜて、薄く伸ばして焼いた。シンプルなものだ。ただ、蜂蜜の甘みは最後に出すと一番映える。疲れた体に甘みが染みる。
子どもたちが一口食べて「甘い」と声を上げた。
ネムが俺のところへ走ってきて、服の裾を引っ張った。見下ろすと、小さな手で空になった皿を差し出していた。
「おかわり」
「今日はこれで最後だ」
ネムが唇を尖らせた。それから諦めたように皿を胸に抱いた。
カルが「ネム、しょうがないだろ。全部出しきったんだから」と言った。ネムがカルを睨んだ。カルが苦笑いした。
ゴードンがそれを見ていた。
老人は今夜、一度も「悪くない」とは言わなかった。何も言わなかった。ただ、俺が今まで見た中で一番穏やかな顔をして、広場を眺めていた。
俺はその顔を見て、十分だと思った。
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火が落ちてきた頃、人が少しずつ帰り始めた。
子どもたちが眠くなって、親に連れられていった。老人が「腰が冷えてきた」と言って立ち上がった。ロッツが後片付けを手伝ってくれた。
気づけば広場に残っているのは、テアとエルナと俺だけになっていた。
焚き火の前に三人で座った。火がぱちぱちと小さく音を立てている。
テアがいつの間にか、俺の肩に頭を乗せて眠っていた。
エルナが火を見ながら言った。
「アッシュフォード」
「はい」
「今日の飯は、今まで食べた中で一番旨かったと思います」
「食材が揃っていましたから」
「食材だけの話じゃないと思います」
エルナが静かに続けた。
「王宮でも、あなたの料理を食べていました。旨いと思っていました。でも、今日とは違う」
「何が違いますか」
エルナが少し考えた。
「……今日は、一緒に食べている人間が見えます。その顔が見えます。この人たちのために作ったと分かる」
俺はその言葉を聞いた。
王宮では、誰の顔も見えなかった。作った料理がどこへ行くか、誰が食べるか、どんな顔をするか。厨房の奥から、料理だけが出ていった。
ここでは顔が見える。
ネムが皿を差し出す顔。老婆が「母親に似ている」と言った顔。エルナが「自分で作ったものが入っている」と驚いた顔。テアが「家族みたいですね」と言った顔。
「……そうですね」
俺は言った。
「今日の方が、旨く作れた気がします」
エルナが少し目を細めた。
「私、ここにいていいですか」
「ゴードンがいいと言っているなら」
「そうじゃなくて」エルナが少し声のトーンを変えた。「あなたに聞いています」
俺はテアの頭が肩に乗ったままなのを確認して、それからエルナを見た。
「ここにいてください」
「……理由は」
「食える人間が増えた方が、料理のしがいがある」
エルナが少し間を置いた。
「……それだけですか」
「あとは——」
俺は少し考えた。
「剣が使える人間がいると、俺が森に集中できます。それは助かっています」
エルナがふっと息を吐いた。苦笑いに近い、でも悪くない顔だった。
「承知しました」
エルナが言った。
「ここにいます」
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その夜、夢を見た。
王宮の厨房だった。長い廊下、裏口、鉄鍋、薪の匂い。
十年間過ごした場所だ。悪い場所ではなかった。ただ、誰の顔も見えなかった。料理が出ていくたびに、その先が見えなかった。
目が覚めたら、空き家の中だった。
テアが隣で丸まって眠っていた。外から虫の声が聞こえた。風が少し冷たい。秋が近い。
俺は天井を見た。
ここが、今の俺の厨房だ。
顔が見える。名前が分かる。腹が減ったと言う顔も、旨いと言う顔も、皿を差し出してくる小さな手も、全部見える。
ここでいい、と思った。
追放されたことを悔やんでいるか、と聞かれたら、今は違うと答えられる。王宮にいたままだったら、この場所には来なかった。この飯は作れなかった。この顔たちは見えなかった。
それだけのことだ。でも、それだけのことが、今の俺には十分だった。
明日も飯を作る。テアとエルナと、ゴードンの村の人たちと、難民の人たちのために。それだけでいい。
そう思って、また目を閉じた。
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翌朝、夜明けよりも早く起きた。
昨日の収穫祭で使い切れなかった食材が少しある。野菜の切れ端と、干し肉の端の部分。捨てるには惜しい。朝のスープに使えば、今日の朝食分になる。
かまどに火を入れた。水を汲んだ。野菜を刻んだ。
包丁の音だけが、静かな朝の空き家に響いていた。
テアがまだ眠っている。エルナは外に出ているようだった。早朝の見回りを自分で決めてやっているらしい。言ったわけでもないのに、必要なことを探してやる人間だと分かってきた。
スープが温まってきた頃、外から馬の蹄の音がした。
起き上がって外に出ると、王国の紋章を持った使者が馬から下りるところだった。
息が上がっている。夜通し走ってきたらしい。
「アッシュフォード・ルークはここにいますか」
「俺ですが」
使者が、折り畳んだ紙を差し出した。
「至急の勅命です」
俺は紙を受け取った。開いた。
短い文だった。
王の花押が押してある。
『国王陛下が倒れられた。料理人ルーク・アッシュフォードを、直ちに王都へ連行せよ』
連行、という言葉が目に入った。
来い、ではなく。来てほしい、でもなく。
連行、だ。
俺は紙をゆっくりと折り畳んだ。
連行、という言葉を、もう一度頭の中で繰り返した。
来い、ではなく。来てほしい、でもなく。連れてこい、だ。
昨夜の食卓が、まだ目に浮かんでいた。ネムの顔。老婆の顔。
テアが「家族みたいですね」と言った顔。エルナが「ここにいます」と言った顔。
その顔たちを置いて、連行される気には、なれなかった。
「少しよろしいですか」
「……はい」
「今夜の仕込みがまだ終わっていないので」




