表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された宮廷料理人の俺、辺境の食材を調理したら魔王も惚れる最強バフ飯になりました。  作者: あおしぃ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/9

第5話「元同僚の騎士が、追ってきた理由」

 鑑定士が来てから三日後、また村に見知らぬ人間が現れた。


 今度は馬に乗っていた。


 遠目で見て、俺はすぐに分かった。姿勢だ。背筋が鉄の棒でも入っているかのように真っ直ぐで、馬上でも一切ぶれない。あの乗り方をするのは騎士だけだ。しかも相当に鍛えた。


 馬が村の入口で止まった。


 赤みがかった茶髪を後ろで束ねている。長身で、旅慣れた外套の下に鎧の気配がある。兜はない。顔が見えた。


 俺は包丁を置いた。


 「エルナか」


---


 エルナ・ヴァルトは、俺が宮廷にいた頃の同僚だ。


 料理部と騎士団は普段交わらないが、宴の警護で顔を合わせることがあった。無口で、仕事に厳格で、誰に対しても敬語を崩さない。感情を表に出すことがほとんどない。ただ、俺の料理を受け取るときだけ、手の動きが少し早くなった。好き嫌いが多いくせに、俺の出したものは必ず全部食べた。


 一度だけ、深夜の厨房で鉢合わせしたことがある。宴が終わった後、片付けをしていた俺のところへ、警護を終えたエルナが来た。「残り物はありますか」と聞いた。あった。冷めたスープを温め直して渡した。エルナはそれを立ったまま飲んで、「ありがとうございました」とだけ言って去った。それだけだったが、翌日の警護の間、いつもより俺の方をよく見ていた気がした。気のせいかもしれない。


 その女が今、馬から下りて、真っ直ぐこちらへ歩いてくる。


 「アッシュフォード」


 「ヴァルト」


 「……久しぶりですね」


 声が少し固かった。いつもの敬語のトーンだが、どこか違う。緊張しているのかもしれない。


 「はい。久しぶりです」


 俺は答えた。


 エルナが俺を見た。それから俺の手元に目をやった。包丁と、切りかけの根菜が板の上に並んでいる。


 「……仕込み中でしたか」


 「昼の分です。話があるなら中に入ってください。腹が減っているなら、ついでに食っていきますか」


 エルナが少し間を置いた。


 「……お言葉に甘えます」


---


 テアは最初、エルナを警戒していた。


 王国の騎士だと分かると、さらに警戒した。目が俺とエルナの間を何度も行き来していた。


 「テア、外の薪を確認してきてくれ」


 「でも」


 「ゴードンが切ってくれたやつが、どのくらいあるか数えてほしい」


 テアが俺を見た。それから頷いて、外に出た。


 エルナが「連れですか」と聞いた。


 「辺境に来る途中で拾った」


 「拾った」


 「路傍で倒れていたので」


 エルナがわずかに眉を上げた。それだけだった。


 俺は昼の仕込みの続きをしながら話した。手を止めると感が狂う。


 「それで、用件は何ですか」


 「スキル調査の件は聞いています。その報告も兼ねてですが——」


 エルナがそこで言葉を切った。


 珍しかった。この人が話を途中で止めるのは珍しい。


 「本来の用件は、別のことです」


 「どうぞ」


 「……王都の食事が、崩壊しています」


---


 エルナが話した内容はこうだった。


 俺が追放されてから、宮廷の厨房は再編された。料理人の数は半分になり、残った者で回すことになった。食事の量は確保できている。栄養も問題ない。見た目も悪くない。


 ただ、何かが足りない。


 最初に異変に気づいたのは騎士団だった。食事の後、体が重い。疲れが抜けない。魔法の行使に妙に力がいる。最初は季節の変わり目のせいだと思われた。やがて数人が同じことを言い始めた。


 次に気づいたのは王族だった。陛下が「食欲がない」と言い始めた。侍医が診ても異常なし。しかし徐々に食が細くなり、起き上がるのが辛いと漏らすようになった。


 宮廷の医師が調べた結果、判明したことがある。騎士たちの魔力循環が、以前に比べて低下していた。原因として有力視されたのが——食事だ。


 「つまり」と俺は言った。「俺の料理には魔力の付与があったが、残った料理人の料理にはそれがない。だから体が変調を来している」


 「そういうことです」


 エルナが静かに頷いた。


 「……王都の食料備蓄も、今年の干ばつで減っています。騎士団の半数が不調で、陛下が伏せっていて、食料も足りなくなりつつある」


 俺は根菜を切る手を止めた。


 止めたのは初めてだった。


 「王国は今、そういう状況ですか」


 「はい」


 「それを俺に話しに来たということは」


 「……戻ってほしいと、上の者たちが言っています」


 エルナの声が少しだけ揺れた。わずかだったが、俺には分かった。


 「あなたを追放した人間が、戻ってくれと言っている。それが、どういうことか分かった上で言っています」


---


 俺はしばらく黙っていた。


 根菜が切りかけのまま、板の上に並んでいる。


 王都の状況は分かった。陛下が伏せっている。騎士団が不調だ。食料も足りない。俺が戻れば、少なくともいくつかは解決するかもしれない。


 「断ります」


 俺は言った。


 エルナが表情を変えなかった。来る前から分かっていたような顔だった。


 断ることに迷いはなかった。


 王都の状況が深刻なのは分かる。陛下が伏せっているというのも、騎士団が弱っているというのも、もし本当なら大変なことだ。俺が戻れば、少なくとも食事の問題は改善するかもしれない。


 それでも、今ここで俺が必要だということも分かっていた。


 テアがいる。ゴードンの村がある。畑が回復しかけている。先日来た難民のことも、エルナがここに来るより前から頭にあった。隣の領地が荒れているという話は、ゴードンから少し聞いていた。


 今ここを離れたら、誰がこの飯を作るのか。


 「理由を聞いてもいいですか」


 「ここに俺の料理に依存している人間がいます。急にいなくなれば、そのぶんの穴が空く。ゴブリンも来る。畑の管理も途中です」


 「……それだけですか」


 「それだけです」


 エルナが少し間を置いた。


 「アッシュフォード。正直に聞かせてください」


 「はい」


 「あなたは、怒っていないんですか」


 俺は少し考えた。


 怒っているか。


 追放されたとき、怒ったかどうか。今でも怒りがあるかどうか。


 「怒ってはいない、と思います」


 「なぜ」


 「デレク部長は悪意でやったわけじゃないから」


 エルナが目を細めた。


 「それが分かっているんですか」


 「十年一緒にいれば分かります。あの人は国の命令に逆らえない人間だった。それだけです。嫌いじゃない。ただ、だからといって戻る理由にはならない」


 「……そうですか」


 エルナが視線を落とした。手が、膝の上で少し固くなった。


 「私も」


 小さな声だった。


 「私も、止めることができた。でも止めなかった。あの日——あなたの追放が決まったとき、私は命令に逆らう理由が見つけられなかった」


 俺はエルナを見た。


 「だからここに来た、ということですか」


 「……半分は、命令です。半分は」


 エルナが顔を上げた。


 「謝りに来ました」


---


 俺はしばらく何も言わなかった。


 エルナも何も言わなかった。


 かまどの火がぱちりと音を立てた。切りかけの根菜が板の上で乾き始めている。仕込みを再開しなければならない。


 「ヴァルト」


 「はい」


 「俺はあなたを責めていません」


 「……それは」


 「責める理由がない。あなたは命令に従っただけです。騎士がそうするのは当然だ」


 「でも」


 「ただ」と俺は続けた。「謝りたいと思って、ここまで来たなら、それはそれで受け取ります」


 エルナが唇を少し動かした。声にはならなかった。


 「戻ることはしません。でも、謝罪は聞きました。それで十分じゃないですか」


 部屋が静かになった。


 エルナがゆっくりと息を吐いた。固く結んでいた手が、少しだけ開いた。


 「……ありがとうございます」


 俺は頷いて、仕込みを再開した。


 「昼飯、食っていきますか」


 「……お願いします」


---


 昼の飯は四人で食った。


 ゴードンも声をかけたら来た。「たまたま通りかかった」という顔をしていたが、椀を受け取る手は早かった。


 テアが外から戻ってきて、エルナを見て、俺を見て、エルナを見た。それから「どうぞ」と器を差し出した。テアなりの歓迎だった。


 エルナは一口食べて、止まった。


 「……変わっていませんね」


 「何が」


 「味が。王宮にいた頃と」


 「そうですか」


 「いや、変わっているか。なんというか——」エルナが少し考えた。「前より、旨い」


 「食材が違うので。辺境の方が香草の種類が豊富です」


 「なるほど」


 エルナがまた食べた。黙って、きちんと食べた。好き嫌いが多いはずだが、器に残さなかった。それも昔と変わらない。


 テアがエルナをじっと観察していた。エルナがそれに気づいて「何ですか」と言った。テアが「強そうですね」と言った。エルナが「一応騎士ですので」と答えた。テアが「ルークさんを守ってくれますか」と言った。


 エルナが少し固まった。


 「……それは」


 「ルークさんが危なくなったら守ってほしいです。わたしには剣がないので」


 エルナが俺を見た。俺は根菜の残りを食べていた。


 「アッシュフォード」


 「はい」


 「この子は」


 「テアです。さっき言いました」


 「そうじゃなくて」


 「真っ直ぐな子です。言ったことは本気です」


 エルナがまたテアを見た。テアがまだじっと見ていた。


 「……考えます」


 エルナが言った。


 テアが「よかった」と言って飯の続きを食べた。


---


 食事が終わってから、エルナが言った。


 「今日はこの村に泊まって、明日王都に戻ります。断られたことを報告して、次の指示を待ちます」


 「分かりました」


 「ただ、その前に——今見ておきたいものがあります。あなたが話していた畑と、ゴブリンが引き返した地点です。報告書に詳細を加えたい」


 「ゴードンに許可を取れば見られます」


 「承知しました」


 エルナが立ち上がって、外に出た。テアがぱたぱたとその後ろについていった。


 俺は片付けをしながら、窓の外を見た。


 エルナは真っ直ぐ歩いている。テアが隣でなにか話しかけている。エルナが困ったような顔で答えている。テアがまた話しかけている。


 悪い組み合わせではないな、と思った。


---


 夕方になって、村の外れから人が来た。


 最初の一人は老人だった。見たことのない顔だ。ハルムの村人ではない。旅の老人かと思ったが、足元がひどく弱っている。杖もなしに歩くのが精いっぱいといった様子だ。


 次に若い母親が来た。背中に赤子を背負い、手に幼い子どもを引いている。三人とも顔色が悪い。


 その後も、ぱらぱらと人が来た。七人、八人。全員がひどく疲弊している。


 ゴードンが俺のところへ来た。


 「隣の荒れた領地から来た人間らしい」


 「領地が荒れているというのは」


 「干ばつだ。今年の夏は雨が少なかった。あちらはうちより土地が低いから、川の水も届かない。作物がほぼ全滅した」


 俺は人々を見た。


 腹が減っている。それだけじゃない。疲れ果てている。どれだけ歩いてきたのか。どこまで追い詰められれば、見知らぬ村にたどり着くまで歩き続けるのか。


 「泊まる場所はありますか」


 「ない」


 「飯は」


 「うちの村も余裕があるわけじゃない」


 俺は少し考えた。


 今夜の俺の食材は、俺とテアとエルナの分だ。三人分ある。来た人間は今のところ九人。倍以上だ。


 「何かありますか。この村で今日使えるもの」


 「保存用の豆がある。干し肉が少し。あとは——」


 「それをもらえますか。後で返します。今日だけでいい」


 ゴードンが俺を見た。


 「九人分は無理だ」


 「薄めます。汁物にすれば量は増やせる。腹を温めるだけでいい。今夜は」


 ゴードンが黙った。それから村の方へ歩いていった。


 しばらくして、豆の袋と干し肉の塊を持って戻ってきた。それと、別の老婆が自分の家の野菜を少し持ってきた。どこから聞いたのか、村の子どもたちも手に何かを持ってきた。芋が二つ、葱が一束、乾燥させた茸が一掴み。


 カルが「俺も入れてくれ」と言って、芋を置いた。一番小さいネムが、何かを両手に抱えて来た。見ると、庭で採ったらしい小さな葉っぱの束だった。食材になるかどうか分からなかったが、俺は「ありがとう」と言って受け取った。ネムが笑った。


 気づけば、かなりの量になっていた。一人では集められなかった量が、村の人間が少しずつ出し合って揃った。


 「火を起こします。大きめの鍋を貸してもらえますか」


 ゴードンが鍋を出してきた。エルナが「私も手伝います」と言った。テアが水を汲み始めた。


 日が落ちる前に、大きな鍋に汁物が出来上がった。


 豆と干し肉と野菜と茸。それだけだが、香草を少し加えて、火加減を丁寧に管理した。具材の旨みが溶け出した汁は、薄いけれど深みがある。


 隣の領地から来た人々に器を渡した。


 全員が黙って飲んだ。


 老人が、飲みながら少し泣いた。若い母親が、赤子に汁を少し飲ませた。幼い子どもが「おかわり」と言って、テアに笑いかけた。


 テアが俺を見た。


 「ルークさん、これで足ります?」


 「今夜はこれでいい」


 「明日は」


 「明日は明日の分を考える」


 テアが頷いた。


 エルナが俺の隣に立っていた。鍋の番をしながら、難民たちを見ていた。


 「……アッシュフォード」


 「はい」


 「私、明日王都に戻るのをやめます」


 俺は少し驚いた。


 「命令があるのでは」


 「あります」


 「それでも」


 「……ここの方が、今やるべきことがある気がします」エルナが静かに言った。「王都に戻っても、私にできることは報告書を出すことだけです。でもここには食える人間がいない。私は剣を使えます。ゴブリンがまた来たときに、少なくとも役に立てる」


 「無断でここに残れば、問題になるんじゃないですか」


 「なります。でも」


 エルナがまっすぐ俺を見た。


 「今日あなたが言った言葉です。急にいなくなれば、そのぶんの穴が空く。そういう理由で断ったんでしょう」


 「そうです」


 「私も同じです。今ここにいなくなれば、穴が空く」


 俺はエルナを見た。


 この人が命令に逆らうのを、俺は初めて見た。


 「……ゴードンに話してください。この村に世話になるのだから、村長の許可が要る」


 「承知しました」


 「あと、飯はちゃんと食べてください。好き嫌いが多いのは知っていますが、出したものは残さないように」


 エルナが少し目を丸くした。


 「……覚えていたんですか」


 「一緒に仕事をしていれば分かります」


 エルナが短く「はい」と言った。声が少し柔らかかった。


 鍋がまだぐつぐつと音を立てていた。


 腹が減った人間に食わせる。それだけをやっていたら、人が増えた。それだけのことだ、と俺は思った。


 テアが「ルークさん、わたしのおかわりは?」と言ってきた。


 「少し待て。こっちを先に回す」


 「えー」


 「我慢しろ」


 テアが頬を膨らませた。エルナが「この子は……」と呟いた。


 難民の老人が、空になった器を両手で持ったまま、何かを呟いていた。聞き取れなかったが、声の感じから祈りか礼のようなものだと思った。若い母親の子どもが、いつの間にか眠っていた。母親がその子の頭に手を乗せて、目を閉じていた。


 腹が温まれば、人は少し楽になる。それだけのことだ。


 でも、そのたった「それだけ」が、今夜この場所には必要だった。


 悪くない夜だと、俺は思った。


 一週間前、ここには俺とテアの二人しかいなかった。


 今は、ゴードンがいる。難民の九人がいる。エルナが明日からここに残る。村の子どもたちが毎日顔を出す。


 腹が減った人間に食わせる。それだけをやっていたら、人が増えた。それだけのことだ。


 それだけのことが、少しずつ、この場所を変えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ