第4話「スキル鑑定士が言うには、これは神の料理らしい」
ゴブリンが引き返した翌日から、村の空気が変わった。
子どもたちが空き家の前に集まるようになった。以前は窓から匂いを嗅ぐだけだったのが、今は戸口の前で待っている。何人かは名前を教えてくれた。一番年長の男の子はカルといって、十歳だと言った。一番小さい女の子はネムといって、何も言わずただじっと俺を見上げていた。
村の老婆たちも顔を出すようになった。最初は遠巻きに見ているだけだったが、三日目には「今日は何を作るんだい」と聞いてくるようになった。
ゴードンだけは変わらなかった。
朝に持っていく料理を受け取って、「悪くない」と言う。それだけだ。ただ、受け取るまでの間が以前より短くなった。扉を開けるのが少し早い。それが村長なりの変化だと、俺は思った。
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ゴブリンが引き返してから五日目の昼、村に旅人が一人やってきた。
年は四十前後、背中に大きな荷物を背負っている。外套は旅慣れた感じに使い込まれていて、腰に短剣を一本。商人ではない。かといって兵士でもない。
男は村の入口でゴードンと少し話してから、まっすぐ俺のところへ来た。
「スキル鑑定士のオルブレヒトと申します」
丁寧な口調だった。「各地を旅しながらスキルの調査と鑑定を行っています。あなたのお名前は」
「ルーク・アッシュフォードです。料理人です」
「王都からの報告書を受け取って来ました。ゴブリンを退けた一件です」
俺は少し眉を上げた。
王都の伝令が報告書を出した、それがすでに各地の鑑定士に届いている。それなりに動きが早い。
「鑑定、していただけますか」
「それが目的です。ただし強制ではありません。お断りになっても構いません」
俺は少し考えた。断る理由がない。自分のスキルが何なのか、正直なところ気になっていた。
「お願いします」
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鑑定は空き家の中で行われた。
オルブレヒトは荷物の中から水晶のような石を取り出した。拳ほどの大きさで、中が乳白色に曇っている。
「手のひらを石の上に置いてください。少し時間がかかります」
言われた通りにした。石が少し温かくなった。それだけだ。
テアが戸口の陰から覗いている。ゴードンも来ていて、部屋の隅で腕を組んでいた。
一分ほど経って、オルブレヒトが石から手を離した。手帳に何かを書き込み始めた。筆の動きが、だんだん遅くなった。途中で止まった。
「……もう一度、確認させてください」
「どうぞ」
もう一度、石に手を置いた。また一分。オルブレヒトがまた手帳に書いた。今度は途中で書くのをやめて、俺を見た。
不思議な顔をしていた。驚きと、困惑と、それから少しだけ興奮が混じったような顔だ。
「アッシュフォードさん」
「はい」
「あなたのスキルは——」
男は一度言葉を切った。
「『料理付与・神級』です」
部屋が静かになった。
テアが息をのんだ音がした。ゴードンが腕を組みなおした。
俺は首を傾げた。
「料理付与というのは」
「食材の持つ潜在的な魔力を、調理の過程で最大限引き出し、料理そのものに付与するスキルです。通常の料理人が持つ『料理補助』スキルの、上位に当たります」
「それが神級というのは」
「鑑定記録の中に前例がありません」オルブレヒトが静かに言った。「少なくとも私が携わった三千件以上の鑑定の中では、初めて見るランクです」
俺はその言葉を聞いた。
前例がない。三千件以上の中で初めて。
「……そうですか」
「それだけですか」オルブレヒトが少し目を丸くした。「驚かないんですか」
「驚いても飯が旨くなるわけじゃないので」
後ろでテアが「ルークさんはいつもそれを言う」と呟いた。
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オルブレヒトはその後、三十分ほどかけて説明してくれた。
俺のスキルの仕組みはこうらしい。食材にはそれぞれわずかな魔力が宿っている。植物は土と水から、魚は川や海から、獣は草や虫から摂取した魔力だ。通常の調理ではその魔力の多くが熱で散逸してしまう。ところが俺が料理をすると、火加減と食材の組み合わせが、魔力を散らさずに料理の中に閉じ込める働きをするらしい。
俺が「香草の使い方と火加減だ」と思っていたことが、実際に魔力操作になっていたということだ。
「ただし」とオルブレヒトは言った。「意識的に制御しているわけではないようです。無自覚に、自然に行われている。これがいわゆる天賦の才というものです」
「つまり俺は、何もしていないのに」
「何もしていないわけではありません」鑑定士が首を横に振った。「十年間の積み重ねがあってこそです。才能と鍛錬が組み合わさった結果です」
俺は少し考えた。
十年間、火加減を覚えた。食材の組み合わせを試した。香草の種類と量を調整した。それが全部、魔力の付与に繋がっていたということか。
「ゴブリンが退いたのも」
「おそらくは。魔力を帯びた料理の香りが、魔物の本能的な危険察知を刺激したと考えられます。結界と同等の効果を、料理の匂いで生み出した形です」
「畑が青くなったのも」
「同様です。土に染み込んだ調理の際の蒸気と残り香が、植物の魔力循環を促した可能性があります」
俺は頷いた。
「よく分かりました」
「……本当に、それだけですか」
オルブレヒトが困ったような顔をした。もっと別の反応を期待していたのだろう。
「他に何が必要ですか」
「普通は、もっと驚くか、喜ぶか、あるいは今後の身の振り方を考え始めるか——」
「飯の作り方は変わりません」
俺は言った。
「今日と明日で、やることは同じです。食材を探して、火加減を整えて、腹が減った人間に食わせる。スキルの名前が分かっても、それは変わらない」
部屋がまた静かになった。
それからゴードンが、部屋の隅で短く息を吐いた。笑ったのか、ため息だったのか、分からなかった。
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オルブレヒトが帰り支度を始めたとき、テアが俺の袖を引いた。
「ねえ、ルークさん」
「なんだ」
「神級のスキルって、すごいことなんですよね」
「らしいな」
「すごいことなのに、なんでそんなに落ち着いているんですか」
俺は少し考えた。
なぜ落ち着いているのか。自分でも正確には分からない。
「飯を作ることには変わりないから、じゃないか」
「それだけですか」
「それだけだ」
テアが俺を見た。まだ何か言いたそうだったが、やめた。
「……わたし、ルークさんの料理が世界で一番好きです」
「そうか」
「神級とか関係なく、昨日も今日も、明日もそう思うと思います」
俺はその言葉を聞いた。
世界で一番好き。
大げさな言葉だとは思う。この子はこの辺境から出たことがない。食べてきた料理の数は限られている。比較の対象が少ない。
それでも。
「……ありがとう」
俺には、その一言しか出てこなかった。
テアが少し目を丸くした。俺が礼を言うのは珍しいらしい。
「どういたしまして」
テアが嬉しそうに笑った。
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オルブレヒトが村を出る前に、俺に小さな紙切れを渡した。
「連絡先です。何かあればここへ。それと——」
男は少し声を落とした。
「この力を持つ者が現れたと知れれば、王都だけでなく、他の国からも人が来るかもしれません。気をつけてください」
「どんな人間が来ますか」
「様々な人間が。あなたの力を国のために使いたい者、研究したい者、あるいは独占したい者」
「独占」
「料理人一人で魔物を退け、土地を豊かにできるとなれば、放っておく権力者はいません」
俺は紙切れを受け取った。
「分かりました」
「くれぐれも」
「はい」
オルブレヒトが荷物を背負って村を出ていった。その後ろ姿が小さくなっていくのを見ながら、俺は今日の夕飯のことを考えた。昨日見つけた川上の浅瀬に、大きめの魚が数匹いた。今日捕れれば、干物にせず生で使える。下処理に少し時間がかかるが、その分旨みが違う。
「ルークさん」
ゴードンが隣に来ていた。
「なんですか」
「お前のスキルのことは、村の者には言わない方がいい」
「そうですか」
「騒ぎになる。よそから人が来る。この村は静かな方がいい」
俺は頷いた。同じことを今考えていた。
「承知しました」
ゴードンが少し間を置いた。
「……それと」
「はい」
「空き家の裏の薪が切れかけている。切っておいてやる」
老人はそれだけ言って、背を向けて歩いていった。
俺はその背中を見た。
薪を切ってやる。それがこの人にとっての礼の言い方だということは、一週間いれば分かる。
「村長さん、すごく素直じゃないですよね」
テアが隣で言った。
「人それぞれだ」
「ルークさんも似たようなものだと思いますけど」
俺は返事をしなかった。
川に行く支度を始めた。魚を捕るのは今日中にやっておきたい。下処理して一晩置けば、明日の朝には使える。
「手伝います」
テアが後ろからついてきた。
「魚は捕れるか」
「……捕ったことはないです」
「じゃあ水場の脇で待っていろ。捕ったものを受け取ってくれ」
「はい」
川に向かう道を、二人で歩いた。
鑑定士が来て、スキルの名前が分かった。神級と言われた。前例がないと言われた。独占したい権力者が来るかもしれないと言われた。
色々あった一日だった。
ただ、夕飯の仕込みはまだ終わっていない。
今は川に行って、魚を捕って、下処理をして、明日に備える。それだけだ。
悪くない一日だと、俺は思った。




