第2話「辺境の村と、朽ちた畑」
ハルムという村に着いたのは、王都を出て三日目の夕方だった。
街道を外れて山道に入り、さらに半日歩いた先にある。地図には名前すら載っていない。道を教えてくれた旅商人が「あそこは何もないぞ」と言った理由が、村の入口に立った瞬間に分かった。
畑が、死にかけていた。
石垣で区切られた区画に、黄ばんだ作物がまばらに立っている。土が白っぽく乾いている。水はあるのに根が吸い上げられていない。土地が痩せているのではなく、何かが足りない。肥料か、あるいは別の何かか。
テアが俺の袖を引いた。
「あそこに人がいます」
村の入口近くに、老人が一人立っていた。背中が少し丸まっているが目は鋭い。白髪交じりの短髪、土仕事で節くれだった手。村長格の人間だろうと思った。
「余所者か」
開口一番がそれだった。
「はい。しばらく置いていただけないかと思って来ました」
「何ができる」
「料理人です」
老人が俺をじっと見た。目つきは悪くない。疑っているというより、値踏みしている。長年人を見てきた目だ。
「料理人。剣も魔法も使えんのか」
「使えません」
「役に立たんな」
「腹が減った人間に飯を作ることはできます」
老人がしばらく黙った。
「……ゴードンだ。この村の村長をやっている」
「ルークといいます。こっちはテア。俺の連れです」
テアがぺこりと頭を下げた。ゴードンはテアを見て、それからまた俺を見た。
「一晩だけだ。飯は自分で用意しろ。空き家を使っていい」
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空き家は村の外れにあった。
かなり年季が入っているが、雨は凌げる。かまどもある。水場は近い。俺には十分だった。
テアが荷物を下ろしながら言った。
「あの村長さん、怖い人ですね」
「悪い人間じゃない」
「でも一晩だけって」
「まず飯を食わせれば変わる」
テアが首を傾げた。俺は荷物から包丁を取り出しながら、窓の外の畑を見た。
この村で手に入る食材を把握する必要がある。明日の朝、一度外を歩いてみよう。
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翌朝、日が出る前に起きた。
村の外れから歩き始めた。畑の脇を通り、森の入口を少しのぞいた。野草の種類を確認して、土の匂いを嗅いだ。川沿いに行くと小魚が泳いでいた。
思っていたよりずっと、食材になるものがある。
村人が気づいていないだけで、この土地にはまだ使えるものが残っていた。森の縁に生えている草は、正しく調理すれば立派な香辛料になる。川の石の裏に張り付いている小さな貝は、出汁が出る。畑の隅に雑草扱いされている植物の中に、炒めると甘みが出る種類があった。
村に戻ると、テアが起きて水を汲んでいた。
「何か見つかりましたか」
「思ったより使えるものがある。今日の飯は楽しみにしておけ」
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朝食は村長のゴードンに持っていくことにした。
使った食材は、川で捕った小魚、森の縁で採った香草数種、畑の隅で拾った雑草扱いの葉野菜、それと持参の乾燥豆。
小魚は内臓を丁寧に取り除いて、香草と一緒に弱火でじっくり煮た。香草の選び方が肝で、互いの香りが喧嘩しないよう組み合わせを考えた。葉野菜は炒めて塩だけで味つけ。豆は前夜から水で戻しておいたものを潰して、焼いた。
品数は多くないが、それぞれがきちんと仕事をする献立だ。
ゴードンの家の戸を叩くと、しばらくして老人が出てきた。
「なんだ」
「朝食です。受け取ってもらえますか」
ゴードンが器を見た。小魚の煮汁から立ち上る湯気と、香草の匂いが漂っている。
老人が少し間を置いて、戸を大きく開けた。
「上がれ」
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ゴードンは黙って食べた。
俺は隅に座ってその様子を眺めた。テアはゴードンの向かいに座り、自分の分を少しずつ食べている。
小魚の煮物に箸をつけた瞬間、ゴードンの目が少し変わった。たぶん本人は気づいていないが、眉間の皺が一本減った。葉野菜の炒め物を口に入れたとき、箸の動きが少しだけ速くなった。
全部食べ終わって、ゴードンはしばらく器を持ったまま動かなかった。
「……この魚、どこで取った」
「川です。石の下の浅いところに固まっていました」
「あの魚は臭みが強くて食えたもんじゃない。村人が皆避けとる」
「香草の選び方次第で消えます。あと煮る火加減ですね」
ゴードンがまた黙った。それから俺を見た。
「この葉っぱは何だ。畑の隅に生えとる雑草じゃないか」
「そうです。炒めると甘みが出ます。捨てるのはもったいないと思って」
老人がため息をついた。怒っているわけではなさそうだった。
「……よそ者は信用できん」
「そうですね」
「ただし、飯の腕は別だ」
俺は頷いた。
「空き家、もう少し借りてもいいですか」
ゴードンがしばらく間を置いた。
「好きにしろ。ただし村の邪魔はするな」
「承知しました」
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その日の夕方、俺は村の中を一回りした。
住人は二十人ほどで、老人と子どもが多い。若い男は出稼ぎか戦に取られたのだろう。畑は五区画あるが、まともに機能しているのは半分だけだ。残り半分は土が固くなっているか、水はけが悪くなっている。
気になったのは、一番端の区画だ。
この畑だけ、土の色が他より少し暗い。水気もある。なぜここだけうまくいっていないのか、見た目では分からない。
しゃがんで土を手に取った。匂いを嗅ぐ。
悪い土ではない。むしろいい土だ。何かが欠けている。
明日、ここの近くで料理をしてみようと思った。
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三日後の朝だった。
テアが俺を起こしに来たのは日の出直後で、その顔が妙に興奮していた。
「ルークさん、来てください」
「どうした」
「畑が……畑が変です」
外に出て、俺は少し目を細めた。
一番端の区画の作物が、青くなっていた。
三日前まで黄ばんで萎れていた葉が、今朝は艶を取り戻している。茎が真っ直ぐに立っている。土の表面に細かい水気が宿っている。
死にかけていた畑が、一夜で息を吹き返していた。
「なんで……」
テアが呟いた。その目が俺とそれから畑を交互に見ている。俺にはその視線の意味が分からなかったが、テアは何かに気づいているような顔をしていた。
村人が数人、騒ぎを聞いて集まってきた。ゴードンも来た。
老人は畑をしばらく無言で見つめた。それから俺を見た。
「お前、何かしたか」
「いいえ。ここで料理を作っただけです」
ゴードンが眉間に皺を寄せた。
「料理を作っただけで畑が……」
「気のせいじゃないですか」
俺は立ち上がって、かまどの方へ歩き始めた。
「朝飯の時間です。今日は昨日と違う野草が見つかったので、試してみます」
背中の方でゴードンが何か言いかけて、飲み込む気配がした。テアが小走りで追いかけてきた。
「ルークさん」
「なんだ」
「……あの畑、やっぱりルークさんの料理のせいだと思います」
「そうか」
「そうかって、驚かないんですか」
俺は少し考えた。畑が青くなったのは確かだ。ただ、理由は分からない。食材の旨みを引き出すために火加減を調整しただけで、他に何もしていない。
「旨けりゃいいんじゃないか」
テアが「もう」という顔をした。
俺はかまどに火を入れた。今日の朝飯は何にしようか。昨日見つけた野草の根の部分、あれを使ってみよう。土臭さを抜いて、どんな味が残るか確かめたい。
小さな足音が隣に立った。テアが袖をまくって「お手伝いします」と言った。
「水を汲んできてくれ」
「はい」
走っていく足音を聞きながら、俺は包丁を取り出した。
悪くない朝だと思った。




