8話 黒い馬車
「わたくしも、行きます!」
食後のお茶が給仕された直後に、それまで黙っていたミレナが立ち上がって訴えた。
「フニャッ?」
それを聞いて、わたしは思わず変な声が出てしまった。
エドヴィウスを見上げると眉を寄せて迷惑そうな顔をしている。
「ミレナ! 慎め」
でもミレナは止まらなかった。
「だってお姉様のお体も一緒に行くのでしょう? お姉様の侍女は大学入学で少なくなりました。それに婚約後は侍女たちはまだラトガルに留まっているはずです。旅の間、お姉様のお体のお世話をする人が必要なのです」
ミレナはわたしを見て微笑んだ。
確かにエイリスの体を馬車で運ぶとしても、むさ苦しい騎士たちに囲まれて侍女もいなければ心配になるのはわかる。
わかるけど……ミレナの方が心配だよ。
「それにもし老ラトガル様が、お姉様を助けてくれなかったら、わたくしがラドミール様と婚約してでも、この伯爵領とお姉様を助けるのです」
健気……
でも、危険だよ、それは……
「許可はできん。危険すぎる」
「騎士団には何台も馬車を護衛する余裕はない」
伯爵とエドヴィウスが言下に否定した。
そりゃそうだ。
だって、ミレナをお世話する人も連れて行かなければならないでしょ?
「一台でいいのです。わたくしとタウニがいれば何とかなります」
ミレナはなおも言い募った。
後ろに控えているタウニの顔が引き攣っていく。
エドヴィウスが深くて長い息を吐いた。
「それにアウリ……エイリスお姉様の入っている猫も、わたくしが責任を持ってお世話いたします」
「いいのではないですか? 父上」
アルヴィダスが冷たい笑みを見せた。
「ラトガル家との繋がりがなければ、我が領地は苦境に立たされる。老ラトガルも高齢。いつまでも出しゃばってはいられないのではないですか?」
「娘二人をラトガル家に取られるか……」
伯爵の眉間の皺がさらに深く刻まれていく。
心なしか胃の辺りを押さえているように見える。
それを見たヴァイダが徐に手を上げた。
「わしも行くでな」
「! ヴァイダ様……?」
ヴァイダが唇の端を上げた。
「わしの馬車なら魔術具を大量に積めるほど大きいし、守護の魔術もかかっておる。それに……」
ヴァイダはすっと目を細めた。
「老ラトガルに、一つ物申してくるわ」
それを聞いた伯爵が頭を抱えた。
そして目を閉じて強いストレスを溜め込んだような息を吐いた。
「……まったく、うちの家系の女どもは」
アルヴィダスとエドヴィウスも額に手を当てて首を振った。
結局、ヴァイダが同行することでミレナの同行が許された。
翌日の午前中に出発となることが決まり、執事や騎士団長、従軍魔術師が慌ただしく食堂に呼ばれ、簡単な打ち合わせが行われた。
それで伯爵家の晩餐はお開きになった。
その晩はミレナの部屋で寝た。
天蓋付きの寝台に連れて行かれる。
「お姉様……」
強引に胸に抱かれ、苦しくなる。
耳が伏せられる。
反射的に爪が飛び出てくる。
引っ掻きたいが、その衝動をかろうじて抑えた。
ミレナの目から涙が溢れていたからだ。
ミレナ……
「お姉様。わたくし、本当は行きたくありません。でもお兄様たちは、きっとお姉様を切り捨ててしまいます」
ミレナの腕は震えていた。
「エドヴィウスお兄様も、口でなんと言おうが、お家が一番大事なのです」
大丈夫だよ、ミレナ!
きっとエイリスがなんとかしてくれる。
だってラドミール侯爵と愛し合っていたのだから。
そうだよね? エイリス……
でもエイリスからの思念の返事は来なかった。
わたしは溜息をつくように力を抜いた。
なるようにしか、ならない。
いつの間にか寝てしまったミレナの腕から這い出して、わたしもその隣で丸くなった。
その夜は久しぶりに夢を見ずにぐっすりと眠った。
でも朝、目が覚めても意識はぼんやりとしていた。
想像以上に心が疲れてる……
それはそうだ。
気がついたら猫になってて、中世ヨーロッパみたいなところにいる。
何度、夢だと思ったか知れないけど、昨日の肉の味はリアルだった。
昨日、エイリスが猫の体から抜け出して、本来の体に戻れるかもしれないと言ってた。
でも自分が今まで何をしていたのか、あまり覚えていない。
記憶がだんだん薄れているような不安が押し寄せる。
冥府に行って、自分の体を探し出す……?
どこに行けばいいの?
そう思ったとき、昨日の戦利品の鑑定を思い出した。
あの鏡……冥府と繋がっている?
裏面は錆びてはいたが細かな彫刻が施されていた。
持ち手のない直径二十センチほどの黒ずんだ鏡。
まるで昔の蔵から出てきたような……
古い物にまつわる仕事をしていた……?
ミレナが起き出して、わたしは思考を止めた。
わたしは伸びをしてあくびをする。
猫の体は言うことを聞いて、ホッとした。
夜中、猫が勝手に起きて、トイレなどを済ませたのをうっすらと覚えている。
でも朝起きたときには、ちゃんとベッドまで戻ってミレナの足元で寝ていた。
「アオイ……大変なことになったわね」
「エイリス! やっと起きたのね!」
エイリスは疲れている様子だった。
意識の奥の方から弱々しい思念が響く。
「昨日の鏡の呪い……今は邪悪な魂にあまり耐えられません……」
わたしの意識の底にいるといっても、むきだしの魂なんだ……
その弱々しい思念に不安になった。
「晩餐でのアオイの記憶を見ました……」
「大丈夫なの?」
エイリスの思念は弱くなっていく。
「ちょっと、エイリス……?」
「もう少し休みます……」
エイリスは苦しげに最後に言った。
「……ヴァイダ様でしたら、大丈夫です。信じてください……」
エイリスの思念は、はかなく消えて行った。
どうしよう……
朝食のあとタウニは旅支度をしていた。
下男に指示をしてこまごまとしたものを運ばせている。
「姫様……このような長旅、姫様には耐えられるとは思えません」
「タウニ、頼りにしています」
「まったく、姫様は昔から無茶ばかりです」
少し白髪が見え始めた顔は中年ほどに見える。
逞しい二の腕を腰に当てて、タウニは溜息を吐いた。
「大体、伯爵様も伯爵様です。ヴァイダ様も止めるどころか……」
「伯爵様が決めてしまったのです」
「はい。存じております」
旅支度を整えたミレナはわたしを抱いて城館前の広場に出た。
すでに遠征隊は勢揃いしていた。
馬が嘶き、下男が荷物を荷馬車に積み込み終わったところだった。
そこに漆黒の二頭立ての大きな馬車がミレナの前に進んできた。
そして黒いローブを羽織った小柄な御者が二人降りてきて、ミレナの前で跪いた。
「「姫様。我々はヴァイダ様の弟子、エグレとライマでございます」」
高く澄んだ幼い女児の声は、歌のように綺麗に重なった。
同じ顔で同じ仕草で、どちらがどちらかわからない。
「すでにエイリスの体は積んである。早く乗らんか」
ヴァイダが馬車の後方の扉から顔を出して、ミレナに手招きした。
馬車には精緻な彫刻がびっしりと刻まれている。
木の窓には琥珀が埋め込まれているのが見えた。
「守護の魔法陣じゃ」
中はモノで溢れていた。
中央に黒い棺桶が固定されている。
「……お姉様は、この中ですか?」
「この棺の中じゃったら安全じゃ」
「……棺」
ビロードの布が貼られた小ぶりな椅子が二脚前方に向かい合わせに置いてあった。
ミレナとタウニに、その椅子に座るようにヴァイダが声をかける。
二人は木箱や樽をすり抜けて前まで進む。
でも、わたしはミレナに抱かれたまま固まっていた。
荷物の中にエドヴィウスの部屋で見た、あの守護の黒い箱があったからだ。
上部に魔法陣のような模様が新たに描かれている。
でも、冷たい嫌な気配がそこからドライアイスのように漏れ出しているのがわかる。
毛がぶるぶると逆立ってきた。
あの呪いの銀の鏡がある……
エイリスが出てこれなくなっちゃう……
ヴァイダは棺の上のクッションに胡座をかいていた。
「エイリスや、こっちへおいで」
「にゃん」
わたしは軽やかに棺の上に飛び乗って、ヴァイダの太ももの上で丸くなった。
エイリスが出てこない以上、ヴァイダが一番頼りになりそうだった。
なるべく、あの黒い箱は見ないように。
耳が垂れる。
顎を撫でられていると知らずに喉が鳴った。
気持ちいい……
「フェッフェ……あの箱が気になるのかい?」
「にゃーお」
返事をすると低い声が漏れた。
「わしはラトガル領に行った帰りに拠点に戻るでな。危険なものは持ってかえらにゃならん」
「にゃ?」
「フェッフェ。大丈夫じゃ。そう心配せんでも」
そのとき前方の窓からエグレとライマの声がユニゾンで聞こえてきた。
「「お師匠様、出発でございます」」
黒い馬車は静かに動き出した。
やがてざわめきの中、漆黒の馬車は城門を抜けた。




