7話 伯爵家の晩餐
「ミレナ。この猫、アウリは私がもらう」
「……そんな、お兄様?」
日が落ちて城の寒々とした広い食堂にわたしはいた。
まだエイリスは魂の奥底で、思念は感じない。
二十人は座れるような重厚なテーブルがあり、燭台が空間をぼうっと照らしている。
薄暗くて不気味な雰囲気だった。
テーブルの上座の中央には、立派な朱色のマントを羽織った体格の良い髭面の中年男性が席についていた。
「ヴァイダに聞いたが、その猫があの古代の守護の指輪を見つけたらしいな」
「伯爵。古代魔術が刻まれた指輪の価値は、この城よりも高いわな……フェッフェ……」
伯爵と呼ばれた髭面の中年の左隣にヴァイダが黒い影のように席についていた。
「その指輪があれば、老ラトガルの無理難題を退けられるのではないか? ヴァイダ師」
そう顔を上げて口を開いたのは、伯爵の右隣にいる青年だった。
冷たい印象を受ける整った顔立ち。
その口が歪んだ。
「エイリスのせいで我が伯爵領は危機に瀕している。だから早くエイリスの体だけでもラトガル家に戻した方が良いと私は思っております。父上」
その向かいに座っている若い貴婦人が頷いた。
貴婦人の隣には幼い子どもたち。
子どもたちの好奇の目が、わたしにちらちらと突き刺さる。
やめて。
こないでね。
「それは、ダメです! アウリとお姉様の体を離したら、戻れなくなってしまいます! それにもう時間がありません!」
伯爵の斜め向かいに座っているミレナが叫ぶように訴えた。
それを聞いた伯爵は不快そうに顔を歪め、エドヴィウスがミレナを叱責した。
「ミレナ。行儀が悪いぞ」
そしてエイリスの体をラトガルへ送りつけると言った青年に向き直った。
「とはいえアルヴィダス兄上。エイリスの才能は切り捨てるにはあまりにも惜しいと存じます」
「にゃん!!」
わたしはエドヴィウスの腕に抱かれて、全力で同意の鳴き声を上げた。
その鳴き声に皆の視線がわたしに集まった。
「……お姉様」
ミレナは滲む目でわたしを見ている。
ごめん、ミレナ。
わたしは目を逸らした。
エドヴィウスの方が頼れるから。
でも、ミレナは伯爵になおも言い募った。
「その指輪で、ラトガル様のお許しはいただけないのでしょうか?」
「エイリスの体を隠していることが問題なのだ。四万の領民の命とエイリス一人の体、どちらが重い?」
アルヴィダスは冷たく言い放った。
沈黙が薄暗い食堂に落ちる。
「先に食事だ」
伯爵は議論を止めさせるように手を叩いた。
給仕が頷いて、それぞれの銀杯にワインを注ぎ入れていく。
ミレナの前にも薄めたワインが置かれた。
給仕が次々と料理を並べていく。
黒パン、赤いスープ、スペアリブのロースト、各種チーズ、蒸し野菜。
「先祖に感謝を。冥府で祖霊の魂が迷わぬよう」
伯爵が銀杯を掲げ、左手で胸元の琥珀のブローチに触れた。
周りも同じように掲げて、ブローチに触れる。
そのブローチにはそれぞれ違う文字が刻まれていた。
わたしにはテーブルの上の皿に、ミルクが注がれた。
ミルク!
そういえばお腹が空いていた。
わたしはテーブルの上におそるおそる前脚を乗せた。
お行儀悪いけど、怒られない?
でも注意はされなかった。
ヴァイダが苦笑してわたしを見て、頷いた。
わたしは飼い猫のマグの水の飲み方を思い出して、ペチャペチャと飲んでみた。
乾いた喉にミルクが染み込んでいく。
エドヴィウスはスペアリブを切り分けていた。
わたしはそれを横目で見ながら、意外に美味しそうな食事だと思った。
いいなあ、食べてみたい……
飲み干したミルクの皿を舐めていると、魚の切り身を与えられた。
刺身!
寄生虫がいたらと思ったが空腹には逆らえない。
味はよくわからないが、川魚の匂いがサーモンのようで美味しそうだ。
そして、わたしは一瞬で平らげてしまった。
隣の肉の塊を物欲しそうに見るとエドヴィウスが苦笑して切り分けてわたしの皿に乗せてくれた。
本当に優しい!
わたしは感動して肉の塊を噛みちぎる。
旨味と肉汁が溢れて思わず夢中になってしまうが、はっと気がついた。
やばい! 猫に戻ろうとしてる。
ここで猫に戻ったら、エイリスじゃないと判断されてしまうかもしれない。
そうなったら、どうなるかわからない。
空になった皿にミレナがお代わりの肉を乗せてくれたけど、わたしは我慢した。
ミレナが食べようとしないわたしを見て、悲しげに眉を寄せた。
あ、違うから。
本当は嬉しいから、そんな顔しないで。
「……この指輪は老ラトガルには、もったいないのう」
ヴァイダがワインに口をつけて、おもむろに話し出した。
「古代の皇帝が身につけるような逸品じゃ」
「それほどまでか?」
「絶対にこの文言を唱えるな。唱えたものが持ち主となり、死ぬまで続く」
指輪に刻まれた文字が黒く怪しげに輝いている。
「あらゆる災厄から身を守る守護の指輪じゃ」
それを聞いたアルヴィダスの目が光った。
肉の脂で唇が赤く色づいている。
「ならば、皇帝陛下を動かすこともできるのではないか?」
伯爵が打算的な顔を上げてヴァイダを見る。
「残念じゃが時間がない。もう十日も持たずにこの猫の器は弾ける」
「……」
エドヴィウスが、フォークとナイフを置いて伯爵に向き直った。
「ラトガル家から当家騎士団に招集状が届いております」
後ろに立つ騎士団所属の魔術師が、エドヴィウスに何かを囁いた。
「老ラトガルは魂術の大家と聞き及びます。この指輪を差し出し、代わりにエイリスの体に猫から魂を呼び戻してもらえないか、と」
それは、ダメッ!!
せっかく逃がしてくれたのに、また老ラトガルに会ったら今度こそ魂を抜かれてしまう!
絶対にダメ。
あのエイリスが見せてくれた不気味な老人を思い出し尻尾が縮こまっていく。
ヴァイダが首を横に振った。
「それは危険じゃ。指輪は取られ、エイリスは魂を抜かれる」
「現ラトガル侯爵に助けを求めます」
エドヴィウスの言葉にヴァイダは溜息をついた。
「現ラトガル侯爵はまだ若いと聞く。実権はないはず」
「ヴァイダ様の魂術でなんとかなりませんか?」
ミレナはなおも言い募った。
「わしが術を使ったら、エイリスの魂は冥府に行ってしまうでな。……それにしてもこの指輪はどこで見つけたのか?」
ヴァイダは指輪を眺めながら、話題を変えた。
くすんでいた銀の指輪は、刻まれた刻印が命を吹き込まれたように脈打つように光っていた。
「東の遺跡です。ヴァイダ様。根城にしていた野盗どもを討伐した折に見つけました」
「あの銀の鏡も同じ場所じゃな?」
「はい……」
銀の鏡!
あの不気味に動く死体を思い出して、毛が逆立った。
あれはなんだったの?
ヴァイダはわたしの反応を面白そうに眺めながら話し出した。
「あれは冥府の邪な屍、悪霊どもを、この世に呼び出すための触媒じゃ……」
「!」
ゾンビ! レイス……?
やっぱり……
「エイリスの魔力で封印されておるというが……」
ヴァイダは首を傾げて言った。
「エイリスにはそんなことは出来ぬ」
そうなの? エイリス?
でもエイリスからの返事はない。
「老ラトガルの手に渡ったら、身の毛もよだつことになりかねん」
「……」
陰鬱な食堂がさらに暗くなった。
あの亡者の集団が出てくるの……?
恨みと怒りと憎悪、狂気の魂……
あれだけには絶対に近寄りたくない。
「あれほどの呪い……止まることを知らずに溢れ出てくるじゃろうな」
「……浄化はできたのですか?」
エドヴィウスがヴァイダに確認をした。
「できんかった……」
「……」
「今は新たに守護の魔術で封印しておる」
エドヴィウスが伯爵に向き直って話を戻した。
「ラトガル領への道は比較的、危険が少なくなっています。エイリスの魂を元に戻すまでは我が騎士団が守りますゆえ……」
エドヴィウスはわたしの頭を優しい目で撫でた。
「父上……エイリスの体とこの猫をラトガル城に連れていき、老ラトガルと交渉し元に戻す許可をいただきたいのです」
「老ラトガルにそのまま引き渡してしまえばいいのだ」
アルヴィダスはそう言って鼻を鳴らした。
なんだか雲行きが怪しくなってきた。
「ふうむ」と伯爵が何かを考え込む。
「老ラトガルであれば、猫から魂をエイリスの体に戻す術は使えるじゃろうが……」
ヴァイダが肉の塊にかぶりついてそう言った。
わたしが不安になったとき、暫く考えていた伯爵が一つ頷いて言った。
「現当主のラドミール殿とは親交があるのだったな?」
「はい、父上。大学でわずかな時間ではありましたが」
伯爵がエドヴィウスに確認するように聞いた。
「……わかった」
その眉間には深い皺が刻まれていた。
「エイリスの体と猫を連れてラトガル家に赴け。現当主と交渉し、できるならば指輪と引き換えにしてでもエイリスを救え」
「はっ!」
だが、アルヴィダスは不服そうな顔だった。
「父上! それは……守護の指輪は皇帝陛下にこそ……」
「私の命令だ」
「……仰せのままに」
アルヴィダスは指輪に執着しているようだったが……居住まいを正して頭を下げた。
もう決定事項らしい。
ああ……どうなっちゃうの……
あの老ラトガルの元にまた行くの?
えーと、誰だっけ?
カリウスだっけ?
カリウスがいれば、こんな面倒なことにならなかったんでしょ?
エイリス! 早く起きてよッ!




