6話 招魂術
わたしたちはエドヴィウスの執務室にいた。
ミレナと最初に来た部屋。
重厚なデスク、立派な椅子。
羽ペン、羊皮紙、ラグ紙の書類の束。
木と煉瓦でできた質素な部屋。
まるで本で見たヨーロッパの博物館の展示部屋のようだった。
もっと見たいと思ったけど、すぐに箱の中に閉じ込められる。
逃げないから、大丈夫なのに……
とはいえない。
いつまた猫に乗っ取られるかわからない。
そうなったら、予測不可能だ。
猫に意識を取られないようにしないといけない。
よし、大丈夫。
猫の意識や欲望は眠っているように出てこない。
もしかして、体を乗っ取ってしまった?
ごめんね……
猫になってからのことを考え始める。
そもそもなんで、猫になってるの? わたし……
夢じゃないよね?
そのときエイリスの思念が響いた。
「それは、私がアオイの魂を呼んでしまったからなのです」
「エイリス?」
どういうこと?
「私の魂が、ご隠居さまに傷つけられてしまったあと……」
エイリスは話し始めた。
ラドミールの手の者によってラトガル侯爵領からは逃げることはできた。
インゼルベルガ城になんとか戻り……
「招魂術を行ったのです」
「……招魂術?」
イタコみたいなもの?
「傷ついた魂を癒そうと、ご先祖様の助けを得ようとしました……」
エイリスは自室で魔法陣を作り、琥珀を触媒にして祖霊の魂を呼ぶ術を行った。
「そのとき、私の魂とそっくりなあなたが呼ばれてしまったのです」
「!」
「自分の琥珀のブローチではなかったから……」
老ラトガルに奪われた琥珀。
あの琥珀には何かの文字が刻まれていた。
「不完全だったのです……祖霊を呼び出すことができませんでした……」
エイリスの思念が後悔に染まる。
「冥府の扉が開き、魔力が溢れました。それに興奮したアウリが私の部屋の魔法陣に飛び込んできたのです……」
エイリスが寝ていた部屋に幾何学的な五芒星のような魔法陣が映像として浮かんだ。
胸元に琥珀のブローチがあった。
でもブルーアンバーではない。
虫も文字も入っていない普通の琥珀に見えた。
あのとき……あの事故にあったとき、確かに何かに呼ばれた。
ぼんやりと何かを思い出した。
抗ったけど強い力で引っ張られて、気がついたとき確かにあの部屋とエイリスを見た。
でもそのあとすぐ猫の中に入り込んだようで、それから記憶がない。
「琥珀を触媒にして、アウリが器になってしまいました。あなたの魂が猫に入ってしまうのを防ごうとしましたが、あなたの強い魔力に私も引き込まれて猫に入ってしまったのです」
「……」
「おそらく私が呼ばなかったら、アオイは冥府から出られず、そのまま亡くなっていたでしょう……」
「!」
まだ死んでない……?
多分、わたしの体はまだ病院にある。
夢で見た音は心電図のモニターだ、きっと。
意識不明のまま。
チューブに繋がれて……
じゃあ、元の世界に戻れるの?
戻ってまた目が覚めることができる?
「可能性はあります。私が私の体に戻り、アオイの魂を冥府に送ります。無事にあなたが自分の体を見つけることができれば……」
冥府って、霊界みたいなもの……?
「わかりません。死者がいくところですから……これが帝都の大学で覗いた冥府です」
そのときエイリスのイメージが飛び込んできた。
真っ暗闇の中に数多の亡霊が淡く飛び回り、腐り落ちた体でのたうち回る姿も見える。
嘆きと悔恨と恨みが渦巻く暗黒の世界。
「……ここに行くの? ……無理」
「ここは冥府の入り口です。ですが、ここを抜けなければなりません。その向こうは誰も知りません……」
やっぱり……死後の世界?
無事に抜けられなかったら?
「永遠に亡者として、そこにとどまることになるかもしれません」
「……」
その言葉にぞっとした。
でも、選択肢はそれしかない?
エイリスが自分の体に戻ったら、猫として生きられる?
「それは大丈夫です。もう一つ方法はありますが……」
他の方法?
「他の方法って? エイリス! 教えて!」
そうわたしが言ったとき、箱の蓋が開いた。
「にゃ!」
思わず声が出た。
気がついたら部屋の中には複数の騎士たちがいた。
「エドヴィウス様。この猫はどうなされますか?」
「ミレナに返す」
「にゃん!」
その言葉に安堵して返事をしてしまう。
エドヴィウスはエイリスを恨んでいるとしたら、この猫は殺処分されても仕方のない気がした。でもエイリスはすぐ否定した。
「それはないです。本当は優しいお兄様なのです」
「!」
わたしはエドヴィウスのブロンドの長髪と、くっきりとした顔を見た。
鎧兜は脱いで刺繍の入った赤色のロングコートと白いシャツ、ニッカボッカのようなズボンと皮のブーツを履いていた。
中世の衣装?
思わず見惚れる。
顔を上げると目が合った。
「言葉がわかるのか?」
「にゃん!」
わたしは首を何度も縦に振って、じっとその目を見つめた。
エドヴィウスの目がふいに優しくなった。
「本当にエイリスなのか?」
「にゃん」
エドヴィウスは机の引き出しから二つの指輪を出した。
「エイリスだったら、わかるだろう? 一つは、母上の形見だ。どちらだ?」
エドヴィウスは指輪を左右の手に乗せた。
わたしは猫の目で見る。
右側の指輪から愛おしげな思念を感じる。
左の指輪は、なんだか嫌な気配がして目をすぐに逸らして、右側だけを見つめた。
「そうです。アオイ、右側の指輪です」
わたしは兵士に抱えられたまま右側の指輪にちょんと触った。
「簡単すぎるな……よろしい。ではこの中で一番呪いが強いものはどれだ?」
エドヴィウスは棚にある木箱を持ってこさせた。
箱からただならぬ冷気が押し寄せ、わたしはぞっとした。
毛が逆立つのを感じる。
尻尾が太くなる。
その様子を見たエドヴィウスは満足そうな顔をした。
「戦利品だ。昔はエイリスに鑑定してもらっていたのだが……危なそうなものだけを従軍魔術師に命じて守護の箱に入れておいた」
「強い呪いがかかっておりますが、どれかはわかりませぬ」
そう言って黒いローブの魔術師が机の上に次々と、箱の中のものを並べていく。
部屋の温度が下がっていくのを感じる。
「だいぶ、溜まってしまった……」
「二年前まで毎年三ヶ月ほど城に戻っていたときに、お兄様の戦利品の鑑定をしていたのです」
宝石がたくさんついた短剣、血の跡でくすんだブローチ、木彫りの不気味な像、大きな血まみれの銀貨、色とりどりの雑多な指輪、何かの牙で出来た首飾り、鉄仮面、銀の鏡……
それぞれにいわくがありそうな強い思念を感じる。
でも博物館でも見られなさそうな品々に胸が高鳴った。
「猫の体では、私にはわかりません」
エイリスが溜息をつくようにわたしに言った。
でも、わたしには分かる。
わたしは身をよじってするりと従者の腕から抜け出すと机の上に乗った。
これは触れる。
わたしはまず宝石のついた短剣を前に押し出した。
血の跡が黒く染み付いているが、この短剣からは持ち主への深い愛情が感じられたからだ。
「ほう? これは問題がないのか?」
「そうです。私はいつもこうやって、問題のないものからお兄様に渡していたのです」
エイリスがそっと囁いた。
「この聖像も、問題がない?」
「にゃん」
わたしは像の裏側を爪で引っ掻いた。
中に何かがある。
重みのある像は、爪の先で厚い塗料を剥がすと背中側に嵌め込み板があった。
それを爪で開けようとするが猫の力では無理だった。
「中に何かが入っているのか?」
「にゃん」
魔術師が聖像を取り上げ蓋を外すと、中から古い綿に包まれた銀の指輪が出てきた。
それを魔術師が摘み上げて掲げた。
「これは……」
執務室がどよめいた。
騎士たちが一目見ようと集まってくる。
「これは、古代の魔術具ですぞ!」
「……一級品だな。魔術の触媒としても最高品質ではないか?」
エドヴィウスの顔がほころんだ。
「すばらしい文言が彫られております」
魔術師の顔も上気し、声がうわずった。
「ヴァイダ様がちょうど城に来ておりますれば、ご覧になられたらきっとお喜びになりましょう」
執務室のざわめきは止まらない。
そんなに高級品なの?
わたしの目には何の変哲もないくすんだシルバーのリングに見えた。
「古代の守護の文言が刻まれているのです。それにしてもよく分かりましたね?」
一見、不気味な木彫りの像にしか見えない。
でも、そこからは護りたいという強い思念を感じたのだ。
「お手柄だ。エイリス!」
「にゃん!」
わたしは頭を撫でられて喉を鳴らした。
ほかにも指輪のいくつかを前に押しやる。
銀貨も嫌な思念が残っており、思わず床にはたき落としてしまった。
ブローチもはたこうとして、思いとどまる。
あまり触りたくない。
鉄仮面と首飾りも嫌な気配がしている。
わたしがどうしても近寄れなかったのは銀の鏡だった。
この銀の鏡からは強い殺意を感じた。
ちらりと鏡面が見えた瞬間、死体の山が見えたように感じた。
恐々とまた見てみる。
その死体がぞわぞわと動いている。
尻尾がしおれ、耳が伏せられる。
ひっ……
「これは危険です! 亡者が出てきます!」
魔術師が銀の鏡を黒い布で包んだ。
「ヴァイダ様を早く!!」
そう魔術師が叫んだとき、布を通して黒い湯気が立った。
低い呻き声が鏡から響きだす。
この世に絶望し、すべてを破滅に導く。
そんなぞっとする声だった。
「シャアアア!!」
出てこないでーッ!
わたしがそう強く念じたとき、青い炎のようなものがわたしの体から立ち上った。
前脚で鏡の黒い湯気を振り払うように動かすと青い炎が黒い布にまとわりついていく。
炎が消えると同時に黒い湯気も消えた。
でも、まだ思念が鏡の奥底に渦巻いて残っているのを感じる。
「……何が起こった?」
「わかりませぬ」
わたしの背後でエイリスが震えているのがわかった。
「この魔力……アオイの強い魔力に引かれて亡者が出てこようとしましたが……」
「魔力?」
何が起こったの?
わたし、何をしたの?
「アオイの魔力のほうが強かったのです。一時的にですが、封印されています」
「……」
出てこないでって言ったから?
「私はアオイと亡者の強い魔力に当てられてしまいました……」
エイリスの思念が弱くなっていく。
ちょっと、待って……
「エイリス姫様の魔力ではありますが、少し違うようです」
「エイリスが助けてくれたのだな?」
「にゃ……」
いや、わたしのせいで亡者が出てこようとして、わたしが追い返しただけだよね……
「もう、大丈夫です。ヴァイダさまに至急、浄化してもらいましょうぞ」
「他のものは危険なのだな?」
「にゃ……」
エドヴィウスは魔術師の方を見た。
「残ったものはヴァイダ様の元に。鎮魂と浄化をしてもらいます」
魔術師が頷いて再び木の箱にわたしが触れなかったものを戻していった。
銀の鏡を触るときに、その手は震えていた。
エドヴィウスはじっとわたしを見つめていた。
「本当に……エイリスなんだな?」
「にゃん!」
エドヴィウスは何かをこらえるように目を閉じた。
わたしは媚びるように上目遣いで近寄ってその手を舐めた。
悪いけどミレナよりエドヴィウスの方が頼り甲斐がありそうだ。
ここでエイリスと認めてもらえれば強力な庇護者となってくれそう。
「エイリス……」
エドヴィウスの目が潤む。
猫を撫でる手が震える。
わたしは甘えるように寄り添って体をこすりつけた。
そのときエイリスの思念が薄くなっていくのを感じた。
「ごめんなさい、アオイ……私はもう無理です……」
「!?」
エイリスの魂が意識の底に沈んでいくのを感知した。
「エイリス? エイリス! え? 待って?」
わたし、一人になっちゃうの?
消えるのは、いつ戻るか言ってからにして!
それと他の方法って何!?
これから、どうなるの?
わたしは不安な目でエドヴィウスを見つめた。




