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猫転生した古物商の魔術博物誌  作者: タキ マサト
第一章 猫の器

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5話 猫の脱走


「わたくしが今のラトガル侯爵様の元に嫁ぎます」

「ダメッ!!」


 エイリスの悲鳴のような叫びが頭に響いた。

 次の瞬間、エイリスの記憶が流れ込んでくる。


「エイリス……そなたの魔力……その魂……欲しい……」


 眼前に浮かんだのは年老いた男だった。

 豪奢なジャケットには色とりどりの刺繍と宝石、ブローチがあしらわれ、半ズボンからは白いタイツ。立派なブーツはいかにも金がかかっていそうな衣装。


 シワだらけのその顔には、黒い瞳が狂気を帯びている。


 エイリスの視線が下がる。

 そこには円状に蝋燭が灯され、何やら五芒星のような図案が床に描かれている。


「……嫌です! やめてください。ご隠居さま」


 シワだらけの手が伸びてくる。

 胸元の琥珀のブローチを強い力で服ごとちぎり取られる。

 そして腕を掴まれたとき、ビリビリと全身が痺れたように脱力し——


 その瞬間ブローチが青く光り輝き、視界が光で閉ざされた。

 

「ぎゃあッ!!」


 響いたのは老人のしわがれた悲鳴だった。

 光が消えたとき、老人は両手で目を覆い苦痛に呻いて床に這いつくばった。


 でもエイリスも同時に崩れ落ちる。

 掴まれた腕から力が抜けていく。

 エイリスは意識を失った。


 どのくらい寝ていたのかはわからないが、気がついたとき倒れている老人と二人きりだった。


 燃え尽きそうな蝋燭が石造りの狭い部屋を照らし出した。

 エイリスは老人の脈を取り生きていることにホッとした、そのとき。 


「老侯閣下! どちらにおわしますか!?」

「魔術部屋だ! 急げ!」


 早く逃げないと……

 でも……


「……私のブローチ……ない、どこ?」


 石畳に複数の長靴の足音が響いてきた。


 暗闇の中、ブローチを探す余裕はなかった。

 エイリスはそっと部屋を抜け出した。

 

「……」


 今の映像は何?

 わたしの知る範囲の歴史や風俗にこんなものはなかった。

 まるでファンタジー映画の世界……


「ご隠居さまに触られたとき、私の魂は傷をつけられたのです」

「……」


 じゃあ、ミレナがラトガル侯爵の元に嫁いだら……

 あのお爺さんに、同じように……?

 

「フェッフェッフェ」


 ミレナの懇願を聞いてヴァイダは目を丸くして笑った。


「エイリスは教養、魔力、人柄、申し分ないわな」

「……エイリスって、すごいのね」

「おまえさんは、エイリスの足元にも及ばん。ラトガルがお主を選ぶメリットはないわな」


 それを聞いてもミレナは負けなかった。


「だからこそ、なぜ、みな、そんなにも簡単にお姉様を諦めるのですか?」

 

 確かに。


 わたしはミレナの言葉に頷いた。


 このまま見殺しなの?

 酷くない?


 でもエイリスは言いにくそうに口ごもった。


「それは……」

「もし、体が元に戻っても老ラトガルに囚われるからじゃな。悪くしたら処刑もありうる」

「!」

「「うそ……」」


 わたしとミレナの声が重なった。

 ミレナは「そんなこと誰も教えてくれなかった」と呟き言葉を失った。


「エイリス……?」

「ご隠居さまを傷つけたのです。私はお尋ねものなのです。ですが……」


 エイリスの魂は震えているようだった。


「……ラドミールさまを助けるためにも、元の体に戻らないといけないのです」

「ラドミールさま?」

「現在のラトガル家当主です」


 ん? どういうこと?

 加害者である老ラトガルに助けを求めるなんて無理そうだし、今の侯爵様を助ける?

 

 だんだん複雑になってきた。

 ラトガル領ってどうなってるの?


「ラドミールさまは父親が亡くなって、家督を継ぎましたが実権はご隠居さまなのです」

「……」


 エイリスの記憶にある、あの狂気に満ちた目を思い出した。

 怖い。


 そもそも処刑って?

 魂を奪われて殺される?


 でも……


「だって。あんな酷いことされたのでしょ? こっちが被害者でしょ?」

「……被害者ではありますけれど」


 エイリスは困惑したように呟いた。


 そうか……身分差か。

 意に沿わなくても、傷つけた罪は重いのね……


 ヴァイダは溜息を吐いた。


「今、インゼルベルガはラトガル家への忠誠を試されておる」

「……お兄様たちですね?」

「そうじゃ。お前をラトガル領まで護衛することは無理じゃ……」

「……」


 ミレナが青白い顔をして俯き、ヴァイダが目を逸らしたそのときだった。


 一瞬の静寂。


「あ……」


 タウニに抱えられていた猫が突然、身を捻って飛び降りた。


「え?」


 窓辺に止まった小鳥を見た猫が自由になった瞬間、床から跳躍した。

 ヴァイダの机に前脚が乗ったと思ったら、軽やかに窓辺に飛び移る。


「アウリ!」


 驚いた小鳥は逃げ、捕まえようとした猫の手は空を切った。

 猫は窓から外に落ちていく。


 高い! ここ二階?


「きゃっ!」


 でも猫は身を翻すと前脚から草むらに着地した。


「アウリ! 止まりなさい!」


 エイリスの呼びかけを無視して猫は木立に駆け込んでいく。


 ちょっと! どうするの!?

 エイリス!  なんとかして!


 ミレナから逃げたら迷子になって、十日過ぎちゃう!


「アオイ! アウリを制御なさい!」

「無理無理無理! どうやってよ!?」


 猫は木立の奥に駆け込むと、落ち葉の上でごろごろし始めた。

 ようやく自由になれてリラックスしているようだった。

 

「言うことを聞いて! 戻って!」


 わたしは猫に叫ぶように建物に戻るように念じた。


 猫の目の前を蝶が舞う。

 トカゲが落ち葉をかさかさと揺らす。


 蝶はスローモーションのように飛んでいた。

 猫はどうやって遊ぼうかと考えているようだった。

 

 そのとき館の方からアウリを呼ぶ声が聞こえ、猫は耳を立てるとさらに木々の奥に入っていった。


 待って! 逃げないで!


 猫の足を止めないと。

 あのときみたいに猫を制御する?

 わたしの意識を持ったまま?


 でも、やるしかない。


「止まれ!」


 わたしは前脚に意識を集中した。

 猫の前脚は空中で棒のように固まり、そのまま顔から地面に突っ込んだ。


「フギャッ!」


 こけた?


「戻るよ! アウリ!」


 でも振り返ると周りは深い森で、どこから走ってきたのかわからなかった。


 耳を澄ます。

 左右の耳を別々に百八十度動かす。

 もうアウリを呼ぶ声は聞こえない。


「エイリス! どっち!?」

「……わかりません」

「早くしないと、また猫に……」


 そう言った瞬間、リスのような小動物が視界を横切った。


「……あ」


 猫は猛然とその太い尻尾を追いかけ始めた。


「ちょっと! 行かないでよ!」


 猫はリスを追って走り始める。

 木を登り枝から枝へと飛び移り藪を抜けるリスの尻尾の影を、猫は逃さず執拗に追跡する。

 

「無理! きゃっ!」


 目まぐるしく変わる視界は、まるでアクションカメラをつけた猫の動画を見ているようだった。


 って、猫か。


「あっ……」


 突然、目の前が広くなった。

 目の前に騎馬と徒士の集団が出現した。


 猫はそこに飛び込んだまま、驚いて固まった。

 リスはすでに向こうの森の奥へと姿を消している。


「エドヴィウス様! ミレナ姫様の猫です!」

「ふにゃ?」


 猫は従者の一人に抱えられた。


「エイリスの魂が入っているとかいう猫か……」


 遥か頭上に銀色の甲冑に赤いマントを羽織った一際立派な騎士が見えた。

 頬当てを上にずらし、目鼻立ちがすっと通った流麗な顔が浮かぶ。


 かっこいい……


 こんな時なのに思わず見惚れてしまう。

 でもそういったその顔は、疲れているように見えた。


「まったく。エイリスのせいで……」

「どうしましょう?」

「連れて帰れ」


 よく見ると、その鎧は傷がつきマントも汚れている。

 他の騎士や徒士たちにも疲労と怪我の跡が見える。


 暴れようとする猫は力強く従者に抱かれて、逃げ出せずにいた。


 お願い! 静かにしていて!


 わたしはまた猫に意識を集中した。

 猫の体を乗っ取るつもりで。

 視界がどんどんクリアになっていく。


 ごめん!

 勝手に動かれると困るの!


「にゃっ!?」


 突然、今まで自動操縦、遠隔操作だったものが自分で制御できるようになった気がした。


 鼻をヒクヒクさせる。

 尻尾を動かしてみた。


「にゃ~ん」


 わたしは甘えた声を出してみる。

 首を巡らすと、ありえない角度まで首が回った。


 そして、その目はエドヴィウスにロックオンされた。


 きれいな顔……


「アオイ? なにを見ているの?」

「はっ!」

「制御できたじゃない」


 よかった。

 これで迷子にならなくて済む……


 ほっとしていたら、エイリスの困惑が伝わってきた。


「でも、困ったわ」

「?」


 エイリスの思念が伝わったとき、一羽の鷹が空から舞い降りた。

 そのままエドヴィウスと馬を並べていた騎士の腕に止まる。


「手紙か?」


 その騎士は鷹の頭を撫でて、足に結わえられていた筒を開いた。


「騎士団長。次の討伐の要請か?」

「ラトガル侯爵より援軍の依頼のようです」


 騎士団長は取り出した紙をエドヴィウスに渡した。


 ラグ紙だ、あれ。

 クリーム色のごわごわした紙。


「次の遠征は長そうだな……」

「さようで……」

「ラトガル閣下からの出頭命令だ……十日後にラトガル城に着くようにと」


 騎士団長の鎧にも血の跡が付着し、疲れたような顔で溜息をついた。

 エイリスはその会話を聞いてさらに困惑を深めたようだった。


「……何が、困ったの?」

「一番、話がわかる優しいエドヴィウス兄様がこんな状態……」


 何かとの戦いに巻き込まれてる?

 本当だったら、助けてくれたかもしれないの?


「そう……猫と私の体を持ってどこに行くにも護衛が必要でしょう? もっとも帝都に行くにはもう間に合わないですけれど……その上、遠征ではもう無理です」


 でもどうせ助かってもエイリスは処刑されて、わたしは猫のまま……

 でもなんで婚約していたのに、あんな事になったの?


「老ラトガル侯は私の魂を手に入れて、魂が抜けて操り人形のようになった私を現ラトガル侯に嫁がせようとしたのでしょう」

「!」


 酷い……


「ちょっと待って。侯爵って、縁談を破談にされて怒ってるんじゃなかったの?」

「それはご隠居さまのポーズです。現当主のラドミール様とは……」


 そこでエイリスは言葉を切った。


「愛し合っていたのです……」

「!」

「だからあの後、あの人は私を逃がしてくださったのです」

「……」


 騎士団は猫を連れたまま城に入っていく。


 ラドミール侯爵だったら、わたしたちを助けてくれるの?

 でもまずはそのラドミールさまを助けないといけない?


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