4話 猫の器
4話 猫の器
翌朝。
わたしは暗澹たる思いで皿の上にある腸詰が消えていくのを見ていた。
せめて、茹でて欲しい……
魚の方がいい。
ぴちゃぴちゃと血生臭い腸詰が噛み砕かれ、口の中に入っていく。
猫は夢中で食べている。
わたしが意識を取り戻せる時間の一つ。
わたしは昨晩のエイリスと名乗った金髪美少女が言ったことを思い出してみた。
わたしの体に魂を戻してください?
どうやって?
もし魂を元に戻したら、わたしはどうなるの?
「アオイ。心配しないで。あなたも助けるから」
「!」
背後からエイリスの声が聞こえてきた。
「エイリス! そこにいるの?」
「ええ、魂の奥底に……」
「……」
助けるって元の体に戻れるの?
自分が猫そのものになったら、その時点で終了。
というか元の体が死んでしまう。
元の自分が何をしていたか、ここの世界も全てがどうでも良くなってしまうのは明らか。
エイリスも助からない。
あの金髪美少女が死んでしまう?
恐怖が胸を襲う。
助かるものなら、助かりたい。
元の自分に戻りたい。
覚悟を決めた。
このまま猫と自分を行ったり来たりして悶々としているのは、辛かった。
「エイリス? どうしたらいいの?」
「帝都のカリウス師のところに行ってください」
帝都?
帝都って、どこ?
どうやって行くの?
「わたしの妹、ミレナに連れていってもらうのです」
ああ、あの子……ミレナって言うんだ。
そのとき静かに近づいてきたミレナに頭を優しく撫でられた。
ビクッとしたが、そのあとが衝撃だった。
「アウリ。今日は、お城のおばあさまのところに行くのですよ」
「!」
言葉がわかるようになってる!
「にゃん!!」
思わず返事をしてしまう。
そして、ミレナの目を期待を込めて見つめた。
「アウリ? いいえ……もしかして、お姉様?」
「にゃん!」
そうだけど、そうじゃないけど、そう。
ミレナはわたしを抱え上げた。
「エイリスお姉様……」
ミレナは猫を強く抱きしめる。
ダメ、苦しくなると猫に戻っちゃう。
「ミャッ!!」
「ごめんなさい」
嫌がって鳴くと間一髪で猫になる前に下ろしてくれた。
完全に猫に戻ったら意識がなくなる。
「アウリ? 本当にエイリスお姉様なのですか?」
ミレナはわたしの前にしゃがみ込んだ。
ふわふわの膝丈のスカートが目の前に広がる。
「エイリスお姉様だったら、こちらの手を触ってくださいませ」
わたしの前に両手が差し出されて、躊躇いなく右の手をチョンと触った。
「お姉様!! 言葉がわかるのですか!?」
「にゃん!」
ミレナはわたしが猫の手を引っ込める前に両手でぎゅっと握った。
「本当にお姉様なのですね?」
猫がものすごく嫌がってるのがわかる。
ミレナの目が潤んでいく。
力強く猫の右前脚を掴んでいる。
ダメ! 早く離して!
離して……
「ニャーッ!!」
「ッ! 痛いですわ」
また意識が猫に飲み込まれた。
猫はミレナの手に噛みついたらしい。
ただ映画を見ているように何もできないもどかしさ。
でも意識はまだある。
「アオイ? もう大丈夫そうですね……」
「?」
エイリスが後ろから話しかけてきた。
振り向いたけど、その姿は見えない。
何が大丈夫なの?
「こうして、意識を保っていられますから」
確かにエイリスを感じて、エイリスの言葉が聞こえるようになってから、考えることができる時間が増えている。
でも、猫は勝手に動き回る。
「私たちは猫という暴走馬車に乗って、御すこともできない乗客みたいなものです」
「なるほど」
と言いつつわたしは意識の中で首を傾げた。
なんで言葉がわかるの?
「わたしの魂を記憶と一緒にアオイに少し移しましたから……」
そんなことできるの?
でもわたしはエイリスの記憶や経験はわからないまま。
「エイリスはわたしの記憶がわかるの?」
「……名前しか」
そうか。
言葉とか文字とか基本的なことだけ?
でもこの猫の体を動かせないと困るよね。
「エイリスは……猫を操れないの?」
何度か自分の意思で猫の体を動かせた。
肖像画を見ようと思ったときとミレナの手を触ったとき。
エイリスが動かしてくれた方が、楽なんだけど……
「私の魂は傷ついています。あなたの魂の力は強いのです。私はあなたに守られているのです」
そうだ。
その言葉で思い出した。
なぜかわたしは昔から、霊感が強かった。
叔父さんの死期がわかったときから、モノを通して似たような経験は何回かあった。
モノを通してモノの蓄積されてきた「時間」、作った人の意図、そして持ち主たちの想いを感じてきた。
わたしはそれを無差別に受け続けてきて、疲れ切っていた……
でも自分の事については何にもわからない。
まさかあんな事故に巻き込まれるなんて……
モノの声がわかると言っても、何もしてあげられない。
そんな自分が嫌で、猫になりたいと思ったんだった。
でも、実際に猫になってみると不自由だ。
自分の意識があるのに猫になるのは、思ったより辛い。
「エイリスお姉様? さあ着きましたよ」
「にゃ?」
猫はいつの間にか箱に入れられて、どこかに移動していた。
やがて、がくんと止まる。
そして扉が開く音がした。
「ヴァイダ様。ミレナでございます」
「私たちのおばあさまです。凄腕の魔術師なのです」
エイリスがそっと囁くように教えてくれる。
箱の隙間から大きな人影が見えた。
ミレナは跪いているようだった。
「おお、ミレナかい? 大きくなった」
「エイリスお姉様のことでお願いがあって参りました」
「ヴァイダ様は、数年に一度しか城には来ないのです」
エイリスの声がそっと囁いた。
大きな黒い影が箱を睨み、猫が怯えているのがわかった。
「その箱の中にいるね?」
「はい。先程、お姉様とお声を掛けたら、返事を返してくださったのです」
「どれ、見せてごらん」
蓋が開けられ、布に包まれたまま外に出される。
黒い影が両手を突き出した。
「ほうほう、確かにエイリスじゃが、二人分の魔力があるの」
「……二人分ですか?」
黒いフードにすっぽりと頭まで覆われ、深いしわが刻まれた顔が見えた。
突き出した枯れ木のような指には大きな指輪がいくつも光っていた。
その指輪からなんとも言えない陰鬱な気を感じる。
まるでいろいろなものを、その指輪に閉じ込めているようだった。
猫の耳は伏せられ、尻尾は力なく垂れ下がる。
「フェッフェッフェッ」
老婆は、おかしそうに笑った。
「ヴァイダ様……どうしたらお姉様が元の体に戻るのですか?」
「この猫の器は小さいのう……もう十日もすれば、魔力が溢れてこの猫は死ぬわいな」
「!」
「そんな……」
猫が死んじゃう……?
そんな……と泣きたいのはこちらだ。
あと、十日……
そうしたら、わたしたちも死ぬ……?
「アオイ……思ったよりあなたの魔力は大きすぎたのです」
「魔力って何? 霊感なら強いけど……」
「同じです。冥府の力です」
冥府……? 霊界みたいなもの?
「あと十日……早く私は、私の体に戻らなければ」
「わたしはどうなるの? エイリスの体に入るの?」
エイリスが体に戻ったら、この猫の中に一人ぼっちにされてしまう。
それだけはなんとしても避けたい。
エイリスの体に一緒に入れない?
その思考を読まれたかのようにエイリスは答えた。
「普通、体には魂は一つです」
「でも同じような魂なんでしょ?」
「もし私の体に入ったら、あなたは一生、私に閉じ込められて出てこられません」
それは嫌……
「ですが……」
そしてエイリスは絶望的な声を出した。
「帝都へは早くてもひと月半はかかります」
「!」
どう考えても、間に合わない……
「そんな……ヴァイダ様……十日しかなかったら、帝都に着く前に猫が、お姉様が死んでしまいます……」
ミレナはヴァイダに泣きそうな声で訴えた。
「ヴァイダ様! お願いします! お助けください!」
がんばれ! ミレナ!
わたしはミレナを応援した。
お願い。
帝都のなんとかという魔術師と会うことができないと、わたしたち死んでしまう。
猫は嫌だけど、そのまま死んじゃうのはもっと嫌。
でも凄腕の魔術師だったら、ヴァイダ様が何とかしてくれるのでは?
「ヴァイダ様の魔術でお姉様の魂を戻せないのですか?」
ミレナも同じことを考えたらしい。
でもヴァイダは首を横に振って無情に言った。
「無理じゃ」
そして慰めるように続けた。
「じゃが、可能性があるとしたら引退した先先代の侯爵の老ラトガル。あの者は招魂術の大家じゃ」
「先先代様にお頼みすれば良いのですか?」
ミレナはきっ、と前を向いた。
「ではわたくしが、お姉様の代わりにラトガル家に嫁ぎます! ですから! どうかお助けくださいませ!」




