9話 禁術
インゼルベルガの城門を抜けると森が広がった。
黒い馬車は森の中の街道を進んでいく。
馬車の開け放たれた窓から騎士たちに護衛されているのが見える。
前後に数台の馬車が連なっていた。
ミレナが退屈そうに足をぶらぶらさせ始める。
最初は物珍しげに青々とした森を見ていたが、大きな溜息を吐いた。
「ねえ、タウニはラトガル領には行ったことがありますか?」
「はい、姫様。ラトガルのお城はバートル海を望む風光明媚なところです。今は夏ですので、たくさんの交易船が見られるでしょう」
海?
バートル海って……バルト海?
わたしの耳がぴくりと立った。
「海! わたくしは海を見たことがありません」
「内陸のインゼルベルガとは違って栄えてはいますが、夏はたびたび北の異民族が攻めてきます」
「だから……お兄様が援軍として呼ばれた?」
「それはわかりません……冬は雪と氷に閉ざされますけど……」
バイキングみたいなのが攻めてきているの?
ファンタジーの世界と現実の歴史がごっちゃになる。
ほどなくして馬車は集落に出た。
麦畑が広がり、丘には羊や牛が放牧されているのが見える。
牧歌的で平和な光景だった。
振り返ると山の上に無骨な石造の城が見えた。
インゼルベルガ城だ。
「城下町です。姫様」
「インゼルベルガの村も初めてです」
城壁を越えると町だった。
石畳が敷かれた大通りを行くと、中心部には市場があり、大きな石造の建物が並んでいる。
「聖堂……?」
「あれは冥府を鎮め、祖霊を敬う場じゃ。大規模な魔術を行う場でもある」
ミレナの呟きにヴァイダが片目を開けて答えた。
その建物だけ漆黒の石でできていた。
荘厳な雰囲気が漂っている。
黒い巨大な立方体。
わたしの目は釘付けだった。
その建物だけ異様だった。
歴史的建造物に似たようなものはない。
「お城のより大きいですね」
「インゼルベルガは、魔術の本場じゃからのう……」
「あそこでお姉様の魂は戻せないのですか?」
ヴァイダが首を振った。
「移魂の術は、禁術じゃ。認められん。インゼルベルガには使える者はおらん」
「……」
「魂を移したら体を乗っ取ることもできるでな」
やっぱりファンタジーの世界だ……
わたしは顔を伏せた。
「老ラトガルはできるのですか?」
「奴はかつて冥王側の『印』を得ておった……」
「……」
そんな……
冥王なんて、存在がいるの?
冥王側……?
そして本当にエイリスの魂を体に戻すなんてしてくれるの?
絶望的な気持ちになる。
「他に方法がないとも言わないが、リスクが高すぎる」
「他にも方法があるのですか?」
ヴァイダは溜息をついた。
「エイリスは自分の琥珀を持っていなかった。老ラトガルに奪われたか。いずれにしろ自分の琥珀がなければどうにもならぬ」
「……」
馬車は町の城門を抜けた。
麦畑が広がる向こうには深い森が見える。
エドヴィウスが馬を寄せて、窓から声をかけてきた。
「ミレナ……本当に行くのか。引き返すなら今のうちだ」
「エドヴィウスお兄様。わたくしは行きます」
ミレナのきっぱりとした言葉に、エドヴィウスが面倒臭そうな顔をして首を横に振った。
「本当にエイリスにそっくりだな……」
「ラトガル城まで、どのくらいかかるのですか?」
エドヴィウスは顎を撫でた。
兜をつけてはいるが、頬当ては下ろしていない。その端正な顔が遠い目をした。
「騎士団だけならば七日だが、ミレナの体調を考えて、休みながらだと八日だな」
「八日……」
ちょっと! 八日って!
待って……あと九日でこの猫の体が死んじゃうよね?
ギリギリじゃない?
わたしはヴァイダとエドヴィウスの顔を見た。
「わたくし、大丈夫です」
エドヴィウスは諦めたような顔をした。
そのミレナの言葉にエドヴィウスは溜息をついて馬車の中の二人の顔を見た。
「ヴァイダ様、タウニ。ミレナを頼む」
「エドヴィウス様。必ずお守りします」
タウニは逞しい二の腕を胸に当てた。
そこにも琥珀のブローチが付いている。
「三日後のカルニ村を過ぎたらもう戻れん。それまでに覚悟を決めておけ」
「はい。お兄様」
そう言うとエドヴィウスは馬首を翻した。
「お姉様は棺の中で大丈夫なのですか?」
「フェッフェ。守護と浄化の魔術をかけておる。たとえこの馬車が燃え尽きても棺は無事じゃろうて……」
ヴァイダは肩を揺らして笑った。
「「ミレナ姫様。この馬車もエグレとライマが守護の魔術をかけておりますれば、傷一つ付けませぬ」」
御者台のエグレとライマの声が響いた。
「フェッフェ……そういうことじゃ」
「……すごいですね」
ミレナはほっとしたように馬車を見回した。
わたしも安心したが、あの黒い箱がどうしても気になった。
なにか漏れてるけど、誰も気づかないの?
その日は夕暮れ前に、森の中の小さな集落に遠征隊は到着した。
小川が流れるちょっとした広場には、丸太があちらこちらに積み上げられている。
馬車の窓辺から外を見ると、天幕が次々と組み立てられていき、やがて炊事の煙が上がり香ばしい匂いが立ち込めてきた。
「……わたくし、疲れました」
「姫様。今ならば簡単に引き返せますよ」
「大丈夫です」と返事をしているもののミレナの顔色は良くない。
ミレナ……大丈夫?
「アウリ。いえ、エイリスお姉様。必ず魂を取り戻しますからね」
「にゃん」
わたしは喉を鳴らしながら、ミレナの膝の上に乗った。
頭と喉を撫でてくれる。
まだエイリスの思念は感じない。
少し不安だけど、ヴァイダがいれば……
ふと何かに気がついて耳が回転した。
顔が上がる。
なんだろう……?
呼ばれてる?
嫌な感じがする。
わたしはひょいと立ち上がると窓辺に跳んだ。
「お姉様……?」
あそこだ……
わたしは馬車から飛び降りた。
馬車はヴァイダのものを入れて六台。
それらが中心に置かれ、その周りに天幕が張られている。
「白猫だ」
「これがエイリス様……?」
ざわざわとした野営地の中、騎士たちが指示を出している。
忙しそうに動く下働きの男たち、従者、兵士の間をすり抜けていく。
「エグレ、ライマ、何かがあるぞな。追わんか」
「「承知」」
後ろから双子が駆けてくる。
林業を生業としている集落だろうか。
丸太が積まれた一角の隙間に隠されるようにそれはあった。
「にゃん?」
そこには黒いヤギのようなツノでできた杯が、地面に突き刺さっていた。
表面には何かの文字が刻まれ、わたしが覗くと禍々しい黒い煙が杯の中から湧き上がってきた。
「フニャアッ!!」
尻尾が垂れ下がり、後ずさる。
背中が丸まり尻尾が太くなる。
「「猫姫様。これは魔術の触媒です」」
エグレとライマのどちらかにひょいとわたしは抱え上げられた。
「「悪い魔術。お師匠様にお伝えいたします」」
「それには及ばぬ。これは冥府の力を使った禁術じゃ」
その後ろにタウニに支えられたヴァイダが来ていた。
ミレナも心配そうにタウニにしがみついている。
騎士が数人、その後ろに控えていた。
「悪い呪術の気があったのでな……場所はわからんかったが……」
「にゃあ! にゃあ!」
まだ溢れてるよ!
煙は止めどなく溢れ、ここにいる人たちの足元を黒く覆っていく。
「なんだ? この煙は?」
「煙を吸うな!」
周囲がざわめいた。
早くあれを止めないと大変なことになる予感がする。
ヴァイダがわたしの頭をやさしく撫でた。
「エイリスに助けられたな」
「これは、禁術でありますか? ヴァイダ様」
騎士団長が剣を手に駆け寄ってわたしたちをかばうように前に出た。
周りの騎士たちが取り囲む。
「エイリスの魂、魔力に反応しておるな」
「にゃっ?」
エイリス?
わたしはエイリスに呼びかけてみた。
でもエイリスは出てこない。
「鎮魂術じゃ。エグレ、ライマ」
「「承知いたしました」」
エグレとライマはわたしをタウニに預け、懐から琥珀を取り出した。
それを地面に置きながら何かを唱えていくと、そこだけ黒い煙が消えた。
円状に等間隔に琥珀を設置していく。
「シャアアアッ!!」
わたしの毛が逆立った。
杯から黒い枯れ木のような手が伸びてきたからだ。
出てこないでっ!
そうだ。
銀の鏡のときみたいにわたしの魔力でと思ったが、どうすればよいのかわからない。
「いかん! 始めるでな」
ヴァイダが胸の琥珀のブローチを外して手の中で転がしながら何かを唱え始めた。
「あれはなんだ!?」
騎士たちは剣を構えたまま動けない。
杯から伸びた腕は実体化しつつある。
やがてツノが生えたヤギの頭が出てきた。
そのときヴァイダの朗々とした詠唱が響き渡る。
「!!」
「迷える魂よ! 眠りを起こされし穢された魂よ!」
「メエエッ!!」
ヤギの叫びが森にこだまし、鳥が一斉に飛び立った。
騎士と兵士が武器を手に集まってきた。
「人の手で造られし、憐憫なる魂よ!」
ヴァイダの手が光り出した。
その光は周囲に置かれた琥珀と共鳴し黒い煙を晴らしていく。
「御身に安らかな眠りを」
ヤギの頭を持った黒い人影は、上半身が顕現していた。
その左手が何かを掴むように空に伸びる。
ヴァイダの詠唱が響くたびにその体は薄くなっていく。
「その魂を鎮め、冥府に還られたまえ!」
「ヴェエエエッ!!」
黒い煙が晴れた。
それと同時にヤギは耳をつんざく悲鳴を残し、消えた。
ヤギのツノの杯は、ヒビが入ると灰となって風に流されていく。
最後の夕日が木々に隠れ、辺りが暗くなっていた。
とんでもないところに来てしまった……
わたしは尻尾をだらんと垂らしたまま、動くことができなかった。




