20話 魔術具商
翌朝、暗いうちからわたしたちは馬車に乗って屋敷を出発した。
日の出と同時に開く城門に向かう。
猫の体は本当に便利だと思う。
ご飯も少しでいいし、お風呂に入れなくても気持ち悪くない。
でも、もう猫の体は持たない。
たぶん、あと二日ほどしかない。
今日中にはラトガルに着いて、明日か明後日に老ラトガルから琥珀のブローチを取り返さないといけない。
間に合うの?
それよりこの街から出られるの?
昨日、武装解除をされたけど……
城門前にはすでに何台かの馬車と出発する人々が待っていた。
ヴァイダが双子に囁くように言った。
「エグレ、ライマ、我らは行商人じゃ。通行証は持っておる」
「「承知しました」」
御者台には双子の代わりにエドヴィウスの若い従者が座っていた。
馬車も別のものに替えた。
どこから手に入れたのか質素な幌付きの馬車だ。
木箱の半分は屋敷に残され、綺麗に整理され積み込まれている。
エイリスの体が入った棺は、布で覆い隠されていた。
そしてあの銀の鏡の入った木箱は怪しげな存在感を放っている。
あれも持っていくんだ……
エドヴィウスとヴァイダが客席に腰掛け、双子が脇に控えた。
エドヴィウスは甲冑の代わりに、質素な茶色い服に着替えている。
「次……魔術具商だな? ギンダラス商会?」
「はい。騎士様。こちらは、みなさんの飲み代にしてください」
従者が通行証を見せ、硬貨を握らせた。
門番は明らかに騎士ではなかったが、一瞬頬を緩ませた。
「ふむ……行ってよし」
「ありがとう」
従者は手を振ってセルスミの城門をくぐった。
「長剣がないのは、なんとも不安だが……」
そう言ってエドヴィウスは腰のベルトに差した護身用の短剣を触った。
短剣と言っても包丁ではない。
その短剣をじっとわたしは見つめた。
ロンデルダガー。
鎧の隙間に差し込むやつだ。
ぼうと黒い湯気が立っているのがわかる。
でも嫌な気ではない。
装飾はなく質実剛健。
それは実用的に、人を殺すために作られたもの。
「アウリスか?」
「にゃん」
エドヴィウスはわたしの視線に気がついて声をかけた。
「ヴァイダ様の守護の術がかかっている。冥府の亡者もこれならば退けられよう」
「にゃ……」
またあの化け物が出るなんてある?
馬車はセルスミの街を無事に出て、一行はほっと息を吐いた。
馬車は上る太陽を背に受けて、西南へ向けて出発する。
一面に広がる麦畑も、羊や山羊の群れも、インゼルベルガと規模が違った。
「ラトガルは豊かだ。インゼルベルガはラトガルでもっていると言っても過言ではない」
「にゃん」
エドヴィウスはわたしの背中を撫でながら話した。
「アウリス。……黒髪黒目の女。お前はどこから来て、なぜエイリスに呼ばれた?」
「にゃ?」
そんなことを言われても、わたしにもわからない。
裸は見られたけれど、猫ではなくわたしという存在をわかってもらえたのは安心材料ではある。
わたしがエドヴィウスの目を見ると視線が交差した。
思わず目を逸らしてしまう。
もし元の体だったら顔が赤くなっていたはず。
昼を過ぎた頃だった。
前方に砂煙が立っているのが見えた。
街道を東に向かって進んでくる。
「ラトガル軍だ」
「にゃ?」
「道を開けろ!!」
早馬が馬車を街道から外すように指示をして回っている。
騎馬が整然と進み、その後を歩兵、輜重の馬車が続く。
「数千人規模だ。昨日のラドミール殿の使者の情報通りだな」
「三千はいるかの」
エドヴィウスはわたしに解説するように話してくれる。
「にゃん」
「総兵力はインゼルベルガの十倍は軽く越える」
昨晩、ラドミールの密使からドルヴィダへの討伐軍が編成されたという情報がもたらされたとヴァイダはわたしに説明してくれた。
エドヴィウスが頷く。
「今がチャンスだ。というかその隙をつくためにラドミール殿は我々を呼び寄せた」
「アウリスよ。聞いておるか?」
「にゃ……」
馬車は街道から少し離れ、ラトガル軍が通り過ぎるのを待った。
ラトガルに対してなぜインゼルベルガが恐れているのかがわかった気がした。
「ラトガル城に忍び込めるのはお主しかおらぬが……」
「にゃ」
いよいよ潜入……
緊張してくる。
「案ずるな。わしも行くでな」
「にゃん」
ヴァイダも来るなら少し安心できそうではあるけれど。
でもすぐに期待は裏切られた。
「城に入ったら置いていくわいな」
「……にゃ」
結局、わたし頼りなのね。
でもエイリスがいる。
「エイリスも表に出たら、老ラトガルに見つかるでな」
「……」
「私はラドミール殿の消息を探る」
エドヴィウスが口を挟んでわたしを見た。
ラドミールの密使が来たのに居場所がわからないの?
「密使殿も所在がわからないらしい」
「老ラトガルに捕まっているのか……」
ヴァイダが溜息を吐いた。
「エイリスについてはアウリスだけが、頼りだ」
「にゃん」
そうだ。
わたしがエイリスを助けないとこのまま死んでしまう。
いくつかの農村を過ぎるとまた森に囲まれる。
さらに進むと目の前に、濃紺に輝く海が広がった。
海だ……
でも見えたのは一瞬だった。
再び道は森に入り坂を下っていく。
夕方に近づく頃、河口に面した丘の上に建つラトガルの城塞が見えてきた。
城壁はまだ先だが、街道沿いにぽつぽつと建物が見え始めやがて街になった。
関所も魔術具商としてあっけなく抜けた。
関所の先には立派な石橋がかかっていた。
街中に入ると露店が並び、人々や馬車が行き交い活気がある。
魚や肉が焼ける匂いが食欲をそそる。
うわあ……
中世ヨーロッパの港町みたい……
わたしは御者台に乗って、街の様子に目が釘付けになっていた。
あの看板かわいい。
あの魚おいしそう……
大きな川に沿って街が広がり、海までは少し距離がありそうだった。
「我々は領地の商会を拠点とする」
「にゃ?」
馬車が城門に着くころ、エドヴィウスがわたしにそう言った。
従者が門番に通行証を見せ、入城料を支払う。
「インゼルベルガの魔術具商だな?」
「騎士様。昼間見た軍勢はドルヴィダの討伐ですか?」
「余計なことは言わんでいい」
門番は通行証を確認しつつ嫌な顔をした。
侯爵家の正式書類だな、と呟き通行証を戻した。
ラドミールの密使から託されたものらしい。
「やつらは魔女狩りだとか言って非道なことをすると聞いています」
「通ってよし」
「どうか、ドルヴィダをやっつけちゃってください」
従者がそう言って馬車を門に進めようとしたときだった。
「ちょっと、待て」
別の兵士が馬車に近づいてきた。
「インゼルベルガのエドヴィウスがこちらに向かっていると聞いている」
「さあ……わしらはナルヴィア方面にいたのでな」
ヴァイダの声が低くなった。
ヴァイダの目と声に黒い靄が漂った。
「本当か? 魔術具商は肩身が狭いだろう、向こうでは?」
「十日ほど前からじゃな。逃げてきたのじゃが……」
いつの間にか双子が香を焚いていた。
「エドヴィウスを見なかったか?」
「はて。見ておらんな」
ヴァイダの体から黒い湯気が立ち上る。
兵士の目が虚ろになっていく。
「通っても良いか?」
「あ、ああ。通ってよし」
ほっと緊張が解けた。
馬車の中を改められたら面倒なことになったはずだったとわたしも伸びをして緊張をほぐした。
「エドヴィウスよ。あまり歓迎されておらんようじゃな?」
「ラドミール殿が心配だな」
馬車は大きな通りに構える四階建ての建物に横付けされた。
「ここでしばらく情報収集だ」
「裏に馬車を回しておきます」
夕刻が迫るころ、わたしたちはその建物に入った。
エドヴィウスが「商会長」と呼ぶと中年の商会長は目を見開いた。
「エドヴィウス様……なぜここに?」
「やはり鷹は館にはついていないか」
わたしたち一行は商会の四階の商会長室に案内された。
エドヴィウスはラトガルからの召集状、ドルヴィダとの戦い、検問について簡単に話した。
ラドミールやエイリスとわたしの件については黙っていた。
「召集状が届いたのにも関わらず武装解除を命じられ、エドヴィウス様も指名手配されているかもしれないと……」
商会長は深刻な顔をして首を横に振った。
「インゼルベルガの館は特に変わったことはないようですが、監視されているのは間違いはないでしょう」
「屋敷の管理人とエイリスの侍女たちと連絡は取れないか?」
「それは可能です。これから呼びましょう」
そして商会長はヴァイダと後ろに立つ双子、そしてわたしを見た。
「なぜ、ヴァイダ様が……?」
「魔術具商に偽装するのにちょうどよいのでな」
ヴァイダが含み笑いをして答える。
「ラトガル侯への謁見依頼は出せるか? エイリスの件でお詫びの品を持ってきたのじゃが」
「今は難しいと思いますが、高名なヴァイダ様の名前を出せば、あるいは……」
エドヴィウスの目が光った。
「ラドミール殿が謁見に見えるのか?」
「公式の場には出ていません」
商会長が続ける。
「ラドミール様は帝都から戻ってまだ三ヶ月、前侯爵の葬儀の混乱もあり、引き継ぎも完全ではないでしょう」
だから老ラトガルがまだ実権を握っていると商会長は続けた。
「老ラトガルももう高齢じゃ。わしの父親と似たような歳じゃ。百歳近いはず」
「ラドミール殿の所在はわからないか?」
「わかりません」
その後、ヴァイダがラトガル侯への謁見の申し込みを書き、商会長がインゼルベルガの家令に宛てた手紙を書いた。
そして客室で今後の相談をわたしたちだけで行った。
「猫の体のアウリの魂は消えかかっている、アウリスに吸収されつつある」
「にゃ……」
「猫の本能がなければ、必要な行動は取れん」
確かに。
アウリ、消えないで。
必ず、助けるから……
「にゃん」と弱々しいアウリの鳴き声が聞こえたような気がした。
昨日までは夜、寝ているときに勝手に動いているようで朝には別の場所で寝ていることがあった。
「もう猶予はない。明後日には城に忍び込むぞ」
「……にゃ」
その日は商会の客室で泊まることになった。
あと二日。
ぎりぎり。
間に合うの?




