17話 異界の魂
戦いのあったその日は負傷者の治療、死者の埋葬、鎮魂で日が落ちるまでヴァイダと双子、遠征隊は働いていた。
壊れた馬車を直す槌音が響き、荷の積み替えが行われている。
そんな中、ヴァイダとわたしはエドヴィウスの天幕に呼ばれた。
「フェッフェ、アウリよ。お主がおらなんだら、全滅じゃった」
「にゃ……」
天幕に向かうとき、空を舞う蝙蝠に嫌な気配がしていた。
猫の目は、蝙蝠に人の顔がついているのを正確に捉えていた。
なにあれ……
また冥府の蝙蝠……?
気持ち悪い。
こんな死者を弄ぶようなことばかりしてたら、それは魔術が排斥されても仕方がないと思う。
「最低でも五体はいるわな。エグレ、ライマ。守護を」
「「かしこまりました。お師匠様」」
ヴァイダも空を見て、エグレとライマに声をかけた。
天幕に入るとエドヴィウス、騎士団長、従者、従軍魔術師がすでに座っていた。
捕虜の黒ローブは真ん中に縛られて座らされ、その脇には薄汚れた兵士が寝転がされている。ラトガルとは違うドルヴィダの兵士のようだった。
その兵士は意識がないようでぐったりとしている。
「ヴァイダ様、この者らの魂の記憶を読み取っていただけますか?」
従軍魔術師がヴァイダに向かって、疲れた声を出した。
黒ローブのフードは外され、禿げ上がった顔色の悪い中年の顔が燭台の灯りに照らされている。その口には舌を噛まないように猿轡がかまされていた。
「冥蝙蝠が飛んでおる。一人逃したな?」
「は……やつらは用意周到でありましたゆえ……」
騎士団長がかしこまった。
煙幕や幾多の魔術具を用いて逃げ切ったらしいとエドヴィウスが首を振った。
「老ラトガルの手のものじゃ。さもあらん」
「こ奴らがドルヴィダ軍を利用したのは間違いはないが、その目的を吐かぬ」
エドヴィウスが溜息をついて首を横に振った。
「どれどれ……」
ヴァイダが懐から香を取り出すと皿に乗せ、焚き始めた。
甘い匂いがふわりと天幕を満たしていく。
そして右手を黒ローブの禿げた頭にかざすと、ぶつぶつと何やら唱え始めた。
「ふうむ……ほうほう……」
黒ローブの顔が赤くなってくる。
必死で堪えようとしているが、次第にがっくりと項垂れた。
「こりゃ、悪辣じゃのう……」
ヴァイダは頷きつつ右手を外す。
その途端、黒ローブは意識を失って崩れ落ちた。
「目的はわかりましたか?」
「やはり、エイリスの魂じゃ……」
そして覗いた記憶を話し始めた。
冥羊が発現したことに気がついた老ラトガルは、この者たちに命じてエイリスの魂を奪おうとしたという。
「どうも、わしの馬車が怪しいと思ったらしいの」
そしてドルヴィダ軍に情報を流し、遠征隊を襲撃させるように仕向けた。
タイミングを見計らい冥狼を顕現させてドルヴィダ軍もろとも遠征隊を葬りエイリスの魂を回収しようとしたらしい。
「ふん。老ラトガルがやりそうな悪巧みじゃ」
そしてまた右手を黒ローブの頭にかざした。
「……我らに召集をかけたのは、老ラトガルではないな」
「やはりラドミール殿か……」
ラドミール。
わたしはエイリスの記憶にあったラドミールの苦悩に満ちた顔を思い出した。
「だから、ヴェスナでもあの対応だったか……」
エドヴィウスが納得したように呟いた。
「老ラトガルにとっては、目障りなドルヴィダと我らを一気に潰し、エイリスを奪う絶好の機会じゃったわけだな」
ヴァイダはそう言ってわたしを見た。
「じゃがアウリが奴らの結界を見破り、術者を炙り出し阻止したというわけじゃ」
わたしがあのとき、あの匂いに気がつかなかったら遠征隊は全滅。
そしてエイリスも棺の中の体を奪われていた。
わたしもきっと捕まっていた。
そうしたら、そこで終わっていた。
エイリスは罠に気がついていた?
回復が進んでいると言っていた。
ひょっとして、わたしたちにはわからない何かを感知できたのかも…。
ラトガルの魔術師は意識を失っているようで騎士団長が小突いても動かない。
「こ奴らはアウリの中にエイリスの魂が入っていることまでは、わかっておらぬ」
「この猫は、まだエイリスではない。だが、アウリでもないな?」
エドヴィウスは険しい目でわたしを見た。
「お前は誰だ?」
「少しエイリスの魂が混ざりはじめておるな」
ヴァイダも嫌な目をわたしに向けた。
琥珀のブローチを手に取り、わたしに右手を向けた。
「どれ……記憶を覗いてみるか……」
「にゃ……」
やめて……
わたしは後ずさったが、それより早く右手で視界を塞がれた。
脳みそがぐちゃぐちゃに掻き回されるような感覚。
「なんじゃ、これは!?」
いや!
気持ちが悪い……
ヴァイダの目が眼前に浮かんだ。
見ないで!!
そう意識の中で叫ぶと黒い煙がわたしの中で湧き立った。
そして必死にその煙でヴァイダの目を塞ぐように覆う。
「くっ……抵抗が強い……」
ヴァイダの顔が苦痛に歪んだ。
さらにその右手からぶわっと黒い湯気が立った。
「ならばっ! 姿を! 本来の魂の形を見せよ!」
嫌っ!
それはダメです!
わたしが心の底から拒否をした、そのときだった。
エイリスの思念が響いた気がした。
ふと匂いが変わった。
なんか肌寒い。
「え……」
気づいたとき、天幕の中でわたしは立っていた。
座ったエドヴィウスの顔を見下ろしている。
そのエドヴィウスの目が驚愕に見開かれた。
「……誰だ? お前は?」
「え……?」
エドヴィウスと目が合った。
わたしは自分の体を見下ろした。
わたしの見慣れた細い手が見える。
そして……
小さな胸……
「きゃ!」
裸!
わたしは慌てて両手で前を隠すとその場にしゃがみ込んだ。
なんで?
なんで、わたしの体に戻ってるの?
長い黒髪が揺れて顔にかかる。
その髪の毛が薄く透き通っていく。
「黒髪……黒目……お前は誰だ?」
「ち、違うんです……わ、わたしは……にゃ?」
そう言った瞬間、術が解けたのだろうか。
また猫に戻った。
今のは何?
今、一瞬だけ実体化した……
なんで?
「これは驚いた」
目の前のヴァイダが口をぽかんと開けたまま呟いた。
「……祖霊ではないとは思っておったが」
「にゃ……」
わたしはうずくまって震えていた。
「この者の魂がわしの術で猫を器にして、一瞬じゃが実体を伴った……?」
「黒髪黒目だが、噂に聞く東方のマイアール族とも違うようだが?」
「わしの琥珀に反応した……?」
ヴァイダは目を閉じて、ふうと息を吐いた。
「エイリスはとんでもないものを呼び寄せおった」
「……とんでもないもの?」
ごくりと誰かが唾を飲んだ。
「……冥府の奥の奥、そのまた向こう側から来た魂じゃ。じゃが死者ではない」
冥府の奥の奥って?
そんなことがわかるの?
「死者ではない?」
「うむ……生きておる」
それって生き霊ってこと?
日本にあるわたしの体が死んだら魂も冥府に行くってことでいいんだよね?
「ちらと見た記憶は、異界じゃ。まさしく」
「……異界?」
ヴァイダは首を横に振った。
「エイリスの魂は、この者の奥底で癒されておる」
「そんなことがあり得るのか?」
「聞いたことはないな」
エドヴィウスはわたしを戸惑った目で見た。
「異界の女? お前は味方か?」
「にゃん」
わたしは全力で頷いた。
そのいつもの同意を示す返答にエドヴィウスはふっと笑った。
「お前がアウリを動かしているのだな?」
「にゃん!!」
そう、わたしが動かしてます!
「まあその……人の姿になるとは思わなかった。少し痩せているようだったが……」
エドヴィウスがわたしを見る目がふっと和らいだ。
裸を見られたことに、急に恥ずかしさが襲ってきた。
「何よりエイリスが呼んだ魂だ。私は信じる」
「にゃん!」
「改めて礼を言う。いくたびも危機を救ってくれた。お前がいなければ全滅していた」
「結局、誰かはわからぬが、エイリスとここまで同調している。エドヴィウスが言う通りわしも信じよう」
ヴァイダのその言葉に騎士団長や従軍魔術師がわたしを見る目も和らいだ。
「早くエイリスの魂を戻して、この者も救わなければならぬ」
「にゃん!」
「我らの命の恩人だ」
わたしは全力で頷いた。
この猫が死ぬ前になんとかしないと、わたしもエイリスも猫と一緒に死んでしまう。
「ラドミール殿と連絡を取れないものか?」
「鷹を使いましょう。ラトガルの街の我らの館宛に手紙をしたためましょう」
その後、ヴァイダはドルヴィダの兵士の記憶を覗いた。
総勢、二百名規模の侵略軍。
ヴェスナ砦を狙う途中、土地の者の情報がありヴァイダの馬車に目をつけたという。
「整合性は取れているな」
「天界の神とやらに深く帰依し、魔術に深い憎悪を抱いておる。まあ一般的な神聖教徒じゃな」
「二百名……冥狼に食われたりして実数はわからないが、どれだけ逃げたか……まあ、あれを見たらしばらくは襲ってはこられまい」
明日、負傷者を馬車に乗せて再出発することが決まり、わたしたちは馬車に戻った。
もうあの蝙蝠は飛んではいなかった。
だけど、逃げたあの黒フード。
まだ何かある。
わたしは疲れて寝ているミレナに寄り添って目を閉じた。




