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猫転生した古物商の魔術博物誌  作者: タキ マサト
第一章 猫の器

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16話 冥狼


 黒い煙が上から風で流されていく。

 狼の頭に人の体。

 腕が何本も生えている。


 何人分もの体を無理やり繋ぎ合わせたような姿は、人の身長の倍ほどもあった。


 黒く染まった体に何人もの人の顔が浮かんでいる。


 あれが冥狼?


 なに、あれ……


 でも冥狼より気になることがあった。


 このまま放置していてはいけない何か。

 冥狼の恐怖より悪意に満ちた何かを感じる。


 あそこだ。


 わたしは躊躇わずに猫の体を煙の中に飛び込ませた。


「エイリス!? アウリ!? 止まれ!」


 エドヴィウスの怒声が響く。

 騎士と歩兵の一部がわたしの後ろに続いたのがわかった。


「冥狼っ!?」

「顕現している!?」

「構うな! アウリを追え!」


 黒い煙が視界を閉ざす。

 騎士たちの悲鳴が上がるが、後ろを振り返る余裕はない。

 気になる匂いは、冥狼が現れた場所とは違うところにあった。


 森の奥に、数人の誰かの気配を感じる。

 でも姿はない。


 悪い予感がする。

 森の中を走り抜ける。

 黒い煙を抜け、視界が開けた。


 白い煙が見えたような気がした。


「シャアアァァッ!!」


 その煙の元に飛びかかる。

 牙を剥き出し、爪を飛び出させる。

 確かに何かを引っ掻いた。


「何だ!? 猫?」

「結界が解けたか?」


 声が聞こえた。


 煙を出している香炉とそれを持つ手が見えた。

 再び飛びかかり、その手に噛みつき、爪で引っ掻くと香炉は地面に転がった。


 口の中で血の味がした。


「くそっ!」


 中から漏れ出た灰が下草にかかると、じゅうと黒く枯れていく。


「何をやってる!」

「なんと言うこと……冥狼を制御できぬぞ……」

「術が解けてしまった……」


 人影が現れた。

 黒いローブの男が三人。そのうち二人が香炉を持っていた。


 それを護衛するように兵士の姿も何人か見えた。その兵士たちはヴェスナで見たラトガル兵と同じ甲冑を身につけていた。


 わたしは別の黒ローブが持つ香炉に目をつけた。


 あと、二つ。

 黒ローブと目が合った。


「猫を殺せ」

「はっ!」


 兵士が剣を手に取り、黒ローブの前に立ち塞がった。

 突き出される剣の切先を横っ飛びに避けたところに、別の兵士の足があった。


「フニャア!!」


 兵士に蹴飛ばされ、猫の体が宙に舞う。

 

 あ……殺される。


 兵士の剣がわたしに向かって振り下ろされるのが、ぼんやりと映った。


 空中では何もできない。


 わたしが目を閉じたとき、兵士の絶叫が上がった。

 濃い血の匂いが立ち込める。


 目を開けると、兵士の腕が剣ごと宙に舞っているのが見えた。

 

 身をよじって地面に着地したとき、目の前にエドヴィウスが剣を振るっているのが見えた。

 

 長剣が閃くたびに兵士が崩れ落ちる。

 騎士の一人が別の兵士に切り掛かる。 


 ひっ……


 蹴られたお腹には鈍い痛み。

 わたし、まだ生きてる……?


 二人で瞬く間に四人の兵士を切り伏せた。

 後から来た兵士が、槍で黒ローブの一人の腹部を貫いた。

 その男は口から血反吐を吐き出して倒れた。


「にゃ……」


 これは戦争だ……


 物語の中だけだった殺し合いが展開される光景に、ただただ震えていることしかできなかった。


 黒ローブの一人は逃げ、もう一人は座ったまま震えている。


「一人逃げたぞ!」

「追えっ!!」


 騎士が兵士に指示を飛ばした。

 黒ローブの一人を追って数人の兵士が駆け出していく。


「絶対に逃すな。こいつは捕らえておけ」

「はっ」

「……頼む……殺さないでくれ」


 騎士が、蒼白な顔で座り込んでいる黒ローブを縛り上げた。

 その右手にはわたしが引っ掻いて噛みついてできた傷がある。


 ふと気がつくと伝令が駆けつけてきた。


「エドヴィウス様! ドルヴィダと我が軍の交戦中に冥狼の出現! 混乱しています!」

「被害は? ミレナは? 馬車は無事か?」


 そのとき狼の遠吠えとは違う地の底を這うような咆哮が轟いた。


 街道で怒号と悲鳴と剣戟の音が上がり、濃厚な血の匂いが鼻を突き刺す。


 気持ちが悪くなってきた。


「にゃ……」


 震えるわたしをエドヴィウスは優しく抱え上げた。

 その優しい眼差しにほっとする。

 しかしすぐにまた厳しい目になった。


「武器には守護の術がかかっている。弓矢と槍で牽制しろ!」

「は……」


 助かったの……?

 いや、まだ……


「エイリス……またお手柄だな」

「にゃん」


 そう言ってエドヴィウスはわたしを目の高さに上げた。

 別の伝令が続いて報告をしていく。


「ミレナ様の馬車は無事。食糧車が冥狼により半壊。冥狼は敵味方関係なく襲いかかっています!」

「お前達の仕業だな?」


 エドヴィウスは再び険しい目で、連行される黒フードを見た。


「……もう終わりだ。制御できん。皆、冥狼に殺されてしまう」

「後で尋問する。決して逃すな、殺すな」


 エドヴィウスはそう言うとわたしを兵士に預け、騎乗すると街道へ駆け出していった。


「アウリ? 無事だったのですね!」

「にゃーん」


 馬車の外側はぼんやりとオーラが覆うように光っていた。


 馬車に戻るとミレナが泣きそうな顔でわたしを見た。

 わたしはミレナに駆け寄り、その膝の上に飛び乗る。

 お腹の痛みはまだあるが、体は動かせるようで少し安心する。


 怖かったよね。

 でも、もう大丈夫。


 エドヴィウスならきっと、なんとかしてくれる。


「ええい、どこじゃ!」


 馬車の中ではヴァイダが守護の箱を漁っていた。


 嫌な予感がする。

 馬車の中の空気が一瞬で冷えた。


「あったあった」

「「お師匠さま。準備は整いましてございます」」


 エグレとライマが馬車の外から声をかけた。

 ヴァイダは黒い布がかけられた銀の鏡を取り出した。


「この鏡で鎮魂する。冥府の門の代わりじゃ。じゃが、この鏡の浄化はさらに厳しくなるがの」


 ヴァイダは耳を伏せるわたしに向かってそう言った。


「ふぇっふぇ。背に腹は代えられぬて」


 ヴァイダは馬車を出ていく。

 タウニを見ると顔面は蒼白で、歯の根が合わないほど震えている。


「ああ、冥府の、祖霊よ……我が身を、救い、たまえ」


 胸のブローチを握りしめて、呟くようにそう繰り返していた。


「槍で牽制しろ! 近づけさせるな! 弓兵! 放て!」


 外から騎士団長の叫びが響いてくる。


「引けえ! 退避! 逃げろ!」

「邪教の悪魔!!」


 その怒号は、少し訛りがあるように思えた。

 冥狼の咆哮が悲鳴をかき消すように空気を歪ませる。


「ひっ……」


 そのとき嗅ぎ慣れた香の匂いが広がった。


「「悲しき冥府の亡霊よ」」


ヴァイダと双子の詠唱が響く。


「「その魂を縛る魔術は破れた。眠るが良い。冥府の門が開くときは今ぞ」」


 ヴァイダと双子の祈りが、場の陰鬱な空気を薙ぎ払うようにこだましていく。


「「怒りと恨みに囚われしこの者らの魂を救いたまえ」」


 次の瞬間、鏡から黒い影が沸き起こるのを感じた。


 それは冥狼のもとに一直線に向かい、その体へまとわりついていく。


「にゃ!?」


 冥狼はそれを拒否するように影を振り払う。


 この影はあの鏡に映った死者とは違う……

 死を受け入れたもの?


「冥府に行って、大人しくしとかんかい!!」


 ヴァイダはさらに声を張り上げるとさらに鏡から影がぶわっと上がった。


 わたしは窓辺に飛び乗ってその様子を見ていた。


 再び黒い影が鏡に吸い込まれたとき、残されたのは地面に染み込んだ黒い液体のみだった。


「にゃ……」


 遠征隊の亡骸、騎士団とは明らかに違う死体が街道上に折り重なるように倒れているのが見えて、わたしは目を逸らした。


 ドルヴィダ軍の姿はもう見えなかった。


 まもなく、ヴァイダと双子が馬車に戻ってきた。


「ふう。疲れたわい」


 その手に持つ鏡はさらに凶悪さを増したように思えた。


「フェッフェッ……気になるよのう? もうわしの手には負えんて」


 そう言ってヴァイダはまた封印の箱に鏡を戻した。


 冥狼を閉じ込めた?

 また出てくるってこと?


 遠征隊はその場から動かなかった。

 戦後処理をしているうちに次第に日が暮れてきた。


 夕方ごろ、わたしたちの馬車にエドヴィウスが馬を寄せた。


「ミレナ。大丈夫か?」

「はい……お兄様」


 そしてミレナに抱かれているわたしを見た。


「エイリス? いや、アウリか。アウリがいなかったら、おそらく我々は全滅だった」

「アウリ……あなたは誰なのですか?」

「ニャーン」


 わたしはアオイ。

 でも伝える術は持たない。

 

「死者は二十二名。騎士六名、兵士十三名、従者三名。重傷者五名、軽傷者十一名」


 冥狼とドルヴィダ軍の攻撃で三分の一の命が失われた。生き残りも三分の一が負傷者となった。


「ドルヴィダは死者およそ四十……」

「みな、神聖教徒のようです」


 エドヴィウスは部下からの報告を沈痛な面持ちで聞いていた。


「ヴァイダ様。味方も敵も鎮魂を」


 ヴァイダと双子が馬車を降りると、しばらくして香の匂いが漂い始めた。


 死者を鎮魂する言葉が響き渡る。


 ほどなくして日が落ちた。


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