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猫転生した古物商の魔術博物誌  作者: タキ マサト
第一章 猫の器

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15話 魂の記憶


「アオイ……」


 その晩、眠りが浅い中でエイリスの声が聞こえた気がした。

 

「エイリス!? ……もう魂は回復したの?」

「回復してはいますが、回復したことで別の問題が起こってきました」


 え? ……なんで?


「長く一緒にいすぎたのです。私たちの魂が混じり合い始めています」

「……どういうこと?」


 まだ六日あるはずだけど……


「そう……この猫はあと六日も持ちませんが……」

「わたしたちが、耐えられない?」

「必死に抵抗していましたが、この流れはとめられません」


 え? エイリスとわたしが一つになってしまうということ?


 あれはエイリス?

 インゼルベルガの城に金髪の少女の姿が浮かんだ。


「だめ……見たら融合が進んでしまう……見てはダメです!」


 そのとき、エイリスが警告を発した。

 記憶のようなものが流れ込んでくる。


 見てはダメと言われても抗えない。


 少し若いヴァイダの姿が眼前に浮かんだ。

 幼少期、琥珀のブローチを渡される場面、旅、魔術。


「ヴァイダさま、わたくしも魔術師になるのです……」

「エイリスだったら、立派な魔術師になろう……」


 セピア色の写真を見せられるように次々と脳裏に焼きついていく。

 そして中欧の古都を思わせる石造の大きな街。

 

 これは、帝都……?


 半円アーチを支える美しい大理石の柱が立ち並んでいた。

 宮廷の庭から見える回廊。

 見上げれば頑丈な石造の高い塔が見える。

 エイリスは誰かと並んで歩いていた。


「神聖教か……」

「増えましたね……」


 頭ひとつ分背が高く、整った顔立ちの若い男が見えた。

 忌々しげに遠くの尖塔を見上げる。


「このままでは、帝都の魔術界は神聖教の天界学とやらに乗っ取られてしまう」

「ラドミール様……」

「エイリス。……父も亡くなった」


 数年前から死の床にあったのは知っていた。


 でも、なぜ今……


 ラドミールはここ数年で兄弟を相次いで亡くしていた。

 エイリスの思考に疑念と諦観が浮かぶ。


「……ラトガルに戻るのですね」


 ラドミールのその翠色の目が伏せられる。


「エイリスの卒業まではいたかったが……戻らねばなるまい」

「卒業したらラトガルに参ります」

「……待ってる。エイリス」


 ラドミールは踵を返すと馬車に乗り込み、エイリスの視界から消えていく。

 門の向こうに馬車が待っている。

 エイリスも迎えの馬車に乗る。


 立ち並ぶ尖塔、街を取り囲む城壁。

 狭くゴミゴミとした街並み、エイリスの目から見る帝都の街は灰色に鈍っていた。


 私もヴァイダ様のような魔術師になりたかった。

 父や兄からは反対された。


 でもラドミール侯爵令息と大学で出会い、励まされ、転部の手助けを受けて魔術を学ぶことができた。


 そしてラドミールからの求婚。

 ラトガル家に嫁ぐことができたら、父や兄たちにも納得してもらえる。


 でもお義父様が亡くなってしまった……


 唯一のラトガル家の後継……


 一度、帝都で紹介された老ラトガルのあの嫌な目を思い出す。

 私たちの魔術は神聖教にとって悪魔の邪教と言われる。

 その悪魔の邪教を体現したような義祖父様の風貌。


 死者の記憶を覗き、未来を占い、心をも操ることのできる魔術を、神聖教の教主たちは危険なものだと訴え続けてきた。


 そして死者を使った禁術も……


 力を持たない者と下に見ていた魔術師の古老たちは、増え続ける神聖教徒に危機感を抱くことはなかった。


 気がつくと帝都で魔術師の排斥運動が始まっていた。

 これから、どうなるの……?

 卒業まで帝都にいられる?


 エイリスの押し潰されるような不安がわたしにも、のしかかってくる。

 わたしの意識がエイリスの記憶に飲み込まれていく。


 わたしは誰だっけ?

 わたしはエイリス……

 インゼルベルガの伯爵令嬢にして魔術師。


 そう思う一方、わたしは馬車から見える街並みに目を奪われていた。

 そのとき中世の中欧にある特徴的な城壁を見て、何かが閃いた。


 ウィーン美術史美術館……?


 ここって、ウィーンに似てる?

 あれが王宮だったら……


 わたしは振り向いた。

 ウィーン美術史美術館は19世紀に建造された比較的新しい建築物。


 わたしがいた時代のウィーンとはもちろん違う。

 でも憧れていたウィーンの面影はあった。


 ゴシック様式の建物が並び、赤色の屋根と石造の建物は後世のルネッサンス様式ではない。

 

 あ……わたし、学芸員になりたかったんだ。


 そうだ、わたしは葵。

 蔵の二階が崩れてきて……


 その前にあの琥珀のブローチを見つけて……


「アオイ! アオイ!」

「エイリス!」

「よかった……」


 エイリスのほっとしたような思念が響いてくる。


「あなたが私に飲み込まれてしまったら、あなたの存在が消えてしまうところでした」

「……」


 わたしは混乱していた。

 これってタイムリープなの?

 でも現実の歴史とは地名も地理も違うような気がする。


 異世界?


 やはりここは別の世界だ。


「そんなことはどうでもよいのです」

「……」

「あなたはこの世界にいて、そして帰還しなければなりません」


 そうだった。

 そう……「もうひとつの方法」がある。


 この世界で生きて安全に帰る方法を探す。


「そのためにも老ラトガルに奪われた私の琥珀のブローチを取り戻さないといけません」

「……どうやって?」

「猫の体なら、忍びこめます……」


 徐々にエイリスの思念が弱くなってくる。

 ちょっと、待って。

 今、消えたら……


「こうして出てくるたびに私たちの魂が混ざってしまいます」


 じゃ、もう出てこれないの?


「……この先にまた、あの冥府の魔術具があります。先に見つけてください」


 そう言うと、またエイリスの思念が消えていった。


 聞きたいことはたくさんあった。


 あの銀の鏡。

 ヴァイダの正体。

 そして魔術って、なに?


 わたしがいた世界には、そんなものはなかった。


 エイリスから流れ込んできた記憶は、途切れ途切れで意味がよくわからない。

 目が覚めたときには、すでに遠征隊は出発の準備を整えていた。


 ミレナも疲れた目を擦っている。

 夜明け前、遠征隊は静かに廃村を後にした。


 また、あの魔術具がある?


「アウリ? まだお姉様ではないのですか?」

「にゃ……」


 わたしはミレナに呼ばれ、その膝の上に飛び乗った。

 こんな子どもが、しかもお姫様が、いつ襲われるかわからない旅をするなんて……


 慰めるようにその顔を舐める。


「くすぐったいです。アウリ」

「にゃん」

 

 猫の嗅覚はミレナの匂いを心地よく感じている。

 ミレナの細い指が頭と首を撫でると、グルグルと喉から振動を響かせた。

 気持ちいい……


「アウリ……」

「にゃん」


 ミレナの手の強張りが次第に消えていくのを感じる。


 大丈夫だよ。

 ミレナ。

 エイリスがついてる。


 前方ではひっきりなしに斥候が行き来しているようだった。

 騎馬が駆けてきては、また去っていく。

 歩兵は盾を構え、弓兵は弓を手にしている。


 ぴりぴりとした空気が張り詰める。

 どこかから視線を感じる。

 誰かに見られている?

 何か聞きなれない声がする。


「にゃ……?」


 猫の耳は敏感にその物音を捉える。

 つかず離れずついてくる。


 少数の人間。


 騎兵が馬車を守るように取り囲み、歩兵がその周りを探りながら歩いている。

 エドヴィウスは先頭にいるようだった。


 午後の休憩時に戻ってきた斥候が声を張り上げた。


「ヴァルカ砦の受け入れ許可が通りました!」

「到着まで、およそ二刻!」


 その声に遠征隊にほっとした空気が漂う。

 ミレナもタウニも安堵の息を吐いた。


 でも、このまま無事に行くとは思えなかった。

 首の後ろがチクチクするような違和感がある。


 休憩を終え、遠征隊が出立したすぐ後だった。

 小川を渡った先に、嫌な空気を感じたのは。

 毛が逆立ち、尻尾が膨らむ。


「にゃーお!!」

「止まるんじゃ!」


 ヴァイダが鋭く警告を発し、騎士に警戒を呼びかけた。


「全隊! 止まれ!」

「「冥府の魔術具ですか?」」

「アウリ? 何かあるな」

「にゃん」

「ヴェスナからじゃな。誰かつけてきておる」


 騎士たちの号令が響き、遠征隊は止まった。

 深い森の一本道。


「術者が近くにおる。エグレ、ライマ。術の準備を」

「「承知」」


 あの冥羊のときの黒い煙。

 あのときの感覚が戻ってくる。

 ミレナの体からぼうっと黒いモヤが湧き出して、まとわりついた。


「おねえさま……なにか、苦しいです」


 ミレナの目の焦点が合わない。

 タウニも苦しそうに頭を抱え始めた。


 え? 何が起こっているの?


 そのとき香の煙がふわりと漂った。

 ヴァイダが低くぶつぶつと呟くとミレナやタウニの体からもやが晴れていった。


「ミレナとタウニは馬車から出ないように」


 そうヴァイダが指示を出すと馬車を降りた。

 わたしもひとつ伸びをすると、躊躇わず窓辺に飛び乗る。

 感覚を研ぎ澄ます。

 森の暗い奥からただならぬ冷気を感じる。


「アウリよ。どこにおるか?」

「冥府の魔術具か?」


 エドヴィウスが馬を走らせてきた。

 遠征隊は俄かに慌ただしくなってきた。

 歩兵が盾を外に向け、騎士は槍を構え、弓兵は矢を番え始める。


「エグレとライマは守護の魔術を」

「「承知」」

「アウリは、わしらを案内せえ」

「にゃん」


 そうヴァイダが言ったときには、黒い影が足元を黒く染め始めていた。


 早すぎる。

 間に合わない。


 冥羊が顕現してきたときのような冷気が押し寄せてきた。


 そのときだった。

 怒号が前方から鳴り響いた。

 馬蹄と鬨の声、弓弦の音が空気を切り裂く。


「敵襲!!」

「ドルヴィダ軍だ!」

「およそ百!」


 前方から斥候が馬を走らせ、叫びながら戻ってきた。

 エドヴィウスはそれを聞いて指示を出した。


「騎士団長! ドルヴィダへの対応を! 私はエイリスとヴァイダ様を守る!」

「はっ!」


 騎士団長が前方に向かっていく。

 ヴァイダが、周りを見回した。


「アウリ、術者の場所はどこじゃ?」

「にゃー!!」


 言われなくてもすぐに場所がわかった。


 森の奥で黒い煙がこんこんと湧き出している。

 その中から狼の頭を持つ巨大な人の姿が現れ始めていた。

 

 

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