11話 琥珀の文字
日が昇る前に天幕は片付けられていく。
篝火が兵士や従者の疲れた顔を照らした。
昨晩は兵士も騎士も厳戒態勢で見回りをしたらしい。
エグレとライマも眠そうな顔で御者台に座っている。
何事もなく夜が明けたようだった。
「ほれ、日が上らんうちに出発せんと、次の集落まで間に合わんぞ」
ヴァイダは一人だけ元気な様子だった。
遠征隊は簡単な朝食を交代で取りつつ、出発の準備を整えていく。
出発前、エドヴィウスが馬を寄せてきた。
「ミレナ。本来ならば、ここで城に帰すミレナの足に擦り付けてことになっていた……」
「……お兄様?」
やっぱり、連れていくつもりはなかったんだ。
うん、危険だし。
お城にしかいたことのないお姫様がこんな旅をするなんて。
エドヴィウスはその藍色の瞳に影を落とした。
「昨晩の件だ。ヴァイダ様と一緒に旅を続けたほうが安全ということになった」
危険なことに巻き込んで済まない、とエドヴィウスの眉が曇った。
でもミレナは顔をまっすぐに上げた。
「お気遣いありがとうございます。エドヴィウスお兄様、でも、わたくしラドミール様のもとに行くと決めていましたから」
「……そうか……騎士団が、絶対に無事に連れていく」
エドヴィウスは目を閉じて大きく息を吐き出すと、馬を馬車から離した。
出発の号令がかかり、漆黒の馬車が動き出すころには朝日が差し始めていた。
「にゃーお」
わたしはミレナが心配になった。
エイリスの体が入った棺の上から、音も立てずに飛び降りるとミレナの足元に向かう。
体をミレナの足に体を擦り付けてその顔を見上げた。
まるで自ら人質になりにいくような思い詰めた顔をしていた。
「……お姉様」
「にゃあん」
ミレナはわたしを抱き上げた。
わたしはその顔を励ますように舐めると、ミレナの手が震えた。
「ありがとうございます……」
絶対、怖いよね。
不安だよね。
そして疑問に思った。
ラドミール侯爵とエイリスって愛し合っていたから、婚約したのよね?
政略結婚ではない。
婚約破棄って、老ラトガルから逃げてきたからだよね?
老ラトガルがそれを口実に無理難題を押し付けている?
エイリスはきっとミレナに話してないんだろうけれど。
昔の貴族って、こんなものかと思っていたけど……
こんな押しかけるように行ってしまって、本当に大丈夫なの?
エイリスの体のお世話も必要ないみたいだし……
ミレナをラトガル領に本当に置いて帰るの?
そうなったらついていてあげたいけれど、この猫の体は今日を入れてあと八日しかもたない。
どうしよう……?
あの鏡もあるし、エイリスはまだ出てこられないよね?
まず無事にラトガル領まで辿り着くことだけ、考えよう。
そのためには、またあの嫌な感覚を素早く見つけないといけない。
冥羊だか、冥狼だか知らないけど、あんなのとは二度と出会いたくはない。
わたしは意識を外に向けた。
ヒゲをひくひくさせる。
耳を澄ます。
風の音、水の匂い、鳥が鳴き、虫が舞い、小動物が駆け回る。
「カッカッカ」
知らずに声が漏れ出て、はっとした。
やばい。
また猫に戻っちゃう。
わたしはミレナを見上げて猫の意識を押し込めた。
代わりにミレナの胸元にある琥珀のブローチを見る。
猫の目を通して見る琥珀は青く輝いている。
タウニの琥珀はくすんだ灰色だ。
文字は入っていない。
この文字、どこかで見たことある。
でも、形が違う?
ヴァイダの青白い琥珀に入っている文字とも違う。
伯爵家、それぞれ違う字が入ってる?
わたしの視線に気がついたヴァイダがこちらを見て、首をかしげた。
「昨日から魂は一つしか見えんのう。猫に戻っていると思ったが、お主は誰じゃ?」
「ぎゃん!」
ヴァイダの灰色の目が冷酷そうに細められ、わたしに突き刺さった。
心なしか背後に黒いオーラが見える気がした。
変な声が出て、総毛だった。
「ずっと気になっておった。エイリスと似た魂。お主は何者じゃ?」
「「お師匠様、鎮魂して冥府に追い出しますか?」」
エグレとライマが綺麗な透き通った声で物騒なことを言った。
「にゃ……」
耳が伏せられ尻尾が丸まり縮こまる。
「お姉様じゃないのですか? 二人分の魂が入ってるとヴァイダ様が仰いましたが……」
ミレナの声が冷たくなっていく。
「もう一つの魂を追い出したら、アウリは死にませんよね? そうしたらお姉様も助かりますよね?」
ひっ! ミレナの顔が不気味なものになっていく気がした。
「にゃあん」
わたしは潤んだ瞳でミレナを見て体を擦りつけた。
そんなこと言わないで……
必死に媚びるようにミレナの顔を見上げる。
「アウリ? 本当にお姉様ではないのですか?」
「「鎮魂しますか?」」
「もう一人の魂を鎮魂したら、アウリもお姉様の魂も助かるのですか? ならば鎮魂してください!」
ひっ!
鎮魂されたら、わたしはあの冥府に飛ばされて、死んじゃう……の?
エイリス! 起きて!
緊急事態!!
心の中で叫んでも、エイリスからの返事はこない。
この世界にきてから一番、命の危機を感じた。
ミレナの冷たい瞳、双子の無邪気な残酷さ。
馴染んでいたこの場が、自分だけがひどく場違いな存在に思えてくる。
心が冷えていく。
改めて文化も価値観も全く違うことを思い知らされる。
この猫から追い出されたら多分その時点で冥府に飲まれて死ぬ。
それだけはなぜだか確信できた。
「フェッフェ……」
ヴァイダが肩を震わせて、そんなわたしを見て笑った。
「誰だかは知らぬが、今、このものの魂を追い出したらエイリスの魂も消えてしまうでな」
「にゃん!」
わたしはヴァイダを見て、こくこくと首を縦に振った。
「それに……この者も、我らが家に伝わる青い琥珀の言霊を持っておる」
「!」
そのとき、わたしは蔵で見つけたあのブルーアンバーを思い出した。
夢の中で美玲が持っていた。
そうか……道具入れに入れっぱなしになってて……
あの文字!
あの X とも H ともつかない文字は、伯爵家の誰とも違う。
エイリスが老ラトガルに奪われた琥珀の文字とも……
あれは、何?
「……では、この知らない魂もインゼルベルガ家の一族の誰かなのですか?」
え? わたし一族なの?
いつの間にか、そんなことになってたの?
「フェッフェ……今の一族の誰のものでもない。わしが知る限り過去の祖先の記録にもない。全く見たことのない言霊じゃ」
ミレナが不気味なものを見るようにして、わたしに目を落とした。
「アウリ……あなたは誰なのですか?」
「……にゃ?」
「誰であっても、昨晩の冥羊が顕現する前に見つけたのは事実じゃ。エイリスにはそんなことはできぬ」
「お姉様が見つけてくれたのではない?」
「昨晩の冥羊も、エイリスに似たこの者の魔力に反応したのじゃろう」
さらにミレナの眉が曇る。
そんな顔しないで。
わたしは目を潤ませてミレナと視線を合わせた。
「フェッフェ……案ずるな、ミレナ。悪い魂ではないでな」
「でも……ではお姉様の魂はどこにいるのですか?」
わたしの意識の底にいるよ!
だから、わたしが死んだらエイリスも死ぬの!
「にゃあにゃあ!」
「アウリ? お姉様?」
わたしは必死に説明しようとするが、猫の鳴き声にしかならない。
もどかしい。
ヴァイダはわたしに手をかざして一つ頷いた。
「エイリスはこの者の魂に繋ぎ止められておる」
「? どういうことですか?」
「知らぬが、エイリスはこの者の魂に癒されておる」
「まあ!」
ミレナの目が変わった。
「あなたはお姉様を守ってくれているのですね?」
「にゃん!」
わたしは首がもげるほど何度も縦に振った。
ミレナは少し考えて付け加えた。
「そして、わたくしたちの命の恩人なのですね?」
「にゃあ!」
ようやくわかってくれた。
ほっとしたわたしにヴァイダがぼそっと呟いた。
「じゃが、妙じゃ。誰がその言霊を刻んだのか……」
「……にゃ?」
古い洋館にあった、あの琥珀を思い出す。
あれがインゼルベルガの琥珀ならば、なぜあの蔵にあったの?
この世界のものが、どうして日本に……?




