あの後、更に移動/直接、軽部トシ子救出へ
▶ 【移動】社内シェルター:二人きりの本音
本社ビルの搬入口から秘密裏に潜り込んだ先、旧館の資材置き場の奥にその「シェルター」はあった。
窓ひとつない四畳半ほどの空間。古びたサーバーの駆動音だけが響く中、月影はパイプ椅子を村田に勧めた。
「……とりあえず、ここはまだ佐伯の権限書き換えが及んでいない。朝までは隠れ通せるはずだ。臼井さんから快く送り出してもらえて助かったよ」
月影はネクタイを緩め、壁に背を預けた。村田は膝を抱え、床の一点を見つめている。
「月影さん。……どうして、ここまでしてくれるんですか」
消え入りそうな声だった。
「僕はただのスタッフです。代わりなんていくらでもいる……人事部長が言うように、僕が辞めれば全部収まるはずなのに」
月影はしばらく沈黙し、天井の剥げかけた塗装を見上げた。
「代わり、か。……確かに組織の論理ではそうだろう。だがな、村田。現場で顧客の人生の綻びを繕うのは、マニュアルじゃない。お前のその、馬鹿正直なまでの『情』だ」
月影は視線を村田に落とした。
「俺は、効率と管理でこのセンターを守ってきたつもりだった。だが、お前が軽部トシ子の心に触れたとき、俺は気づかされたんだ。……管理できないものの中にしか、救えない人間がいるってことをな。俺はお前を、一人のスタッフとしてだけじゃなく、この仕事の『良心』として守りたいんだよ」
村田の目から、堰を切ったように涙が溢れた。
「良心なんて……僕は、ただ、怖くて……。でも、月影さんにそう言ってもらえるなら、僕……」
その時。
ゴミ箱に捨てたはずの村田のスマホ――ではなく、月影が予備として村田に持たせていた「社内用支給端末」が、激しく震えた。
▶ 【接触】トシ子からのSOS
震える手で村田が画面を見る。
表示されたのは、登録されていない番号。だが、村田には分かった。
「……トシ子さんだ」
通話ボタンを押すと、スピーカーからは喧騒と、何かが壊れるような鈍い音、そして悲鳴に近い掠れ声が漏れてきた。
『……村田、さん……助けて……!』
「トシ子さん!? どうしたんですか、今どこに――」
『あの人が……姉が、怖い……! あなたを殺すって……会社を潰すって……。あの男性と、変な人が何人も来て……私の部屋を……!』
背後で、軽部昭代の罵声が響く。
『離しなさい! その電話をこっちに寄こして! そいつを誘い出すのよ!』
「トシ子さん! 逃げてください!」
『嫌……。村田さん、御免なさい……私の対処が甘かったばかりに……。でも、もう、私……』
通話は、激しい衝撃音とともに途切れた。
シェルターの空気が凍りつく。
村田は立ち上がり、端末を握りしめた。その瞳からは先ほどまでの弱さが消え、悲痛な、しかし確かな「覚悟」が宿っていた。
「月影さん。……もう、隠れている場合じゃない」
月影は頷いた。
「ああ。トシ子さんを盾にするつもりか、佐伯の息がかかった連中が動き出したな。……村田、行くぞ。これはもう、業務の範囲外だ」
「はい。……僕の『オプション』、見せてやります」
二人はシェルターの重い扉を蹴破るようにして開けた。
目指すは、臼井が待つオペレーションフロア。そして、その先にある役員会議室――。
【奪還】本社を抜け出し、月影と村田が直接、軽部トシ子の自宅へ救出に向かう
月影と村田は顔を見合わせた。もはや一刻の猶予もない。本社の電子の海で戦う臼井にすべてを託し、二人は再び夜の街へと飛び出す。
▶【奪還】軽部トシ子救出:現場の矜持
月影のセダンが、港区の高級住宅街の静寂を切り裂いて走る。
助手席の村田は、トシ子からかかってきた端末を握りしめたまま、祈るように前を見つめていた。
「……月影さん、トシ子さんはずっと一人で戦ってきたんです。あんなお姉さんや、得体の知れない大人たちに囲まれて……。僕が『特別扱い』なんて中途半端なことをしたから……!」
「自分を責めるのは後だ。いいか村田、これから行くのは『現場』じゃない。『戦場』だ」
月影はハンドルを切りながら、冷徹な声で告げる。
「佐伯部長たちがトシ子さんの家を抑えているのは、彼女に『村田からハラスメントを受けた』という虚偽の書面に署名させるためだろう。それが完了すれば、お前は社会的に死ぬ。そしてトシ子さんも、一生消えない罪悪感の中に閉じ込められることになる」
月影の予測は、現場を熟知する者特有の鋭利さを持っていた。
■ 軽部邸、包囲
トシ子のマンションの前に着くと、そこには先ほどのワゴン車とは別の、黒塗りのハイヤーが数台止まっていた。
月影は車を降りると、村田を背後に従え、正面玄関を突破。
「管理会社には連絡済みだ。『不法侵入の疑いがある』とな」
エレベーターがトシ子の住むフロアに到着した瞬間、怒号が響いてくる。
「いいから書きなさいよ! これが妹のためなの! 会社から解決金も出る、あんたも救われるのよ!」
昭代の声。
月影は迷わず、半開きになっていたトシ子の部屋のドアを蹴るようにして開ける。
「……そこまでにしてもらいましょうか」
室内には、泣き崩れるトシ子、彼女を取り囲む昭代と、見覚えのある法務OB。そして、タブレットを手に無感情に立ち尽くす佐伯部長の部下たちの姿があった。
「月影……! なぜここが分かった」
法務OBが狼狽して立ち上がる。
「現場を舐めないでいただきたい。我々の『オプション』には、顧客の緊急事態への駆けつけも含まれているんですよ」
月影は皮肉たっぷりに言い放つと、村田をトシ子の元へ向かわせた。
「トシ子さん!」
「……村田、さん……!」
村田は、怯えるトシ子の前に立ちはだかる。その背中は、もはや震えていなかった。
「お姉さん、もうやめてください。トシ子さんはあなたの道具じゃない。そして僕も、あなたの不満を解消するための身代わりじゃない!」
「黙りなさいよ、この若造が! あんたが妹をたぶらかしたせいで、我が家の平穏が――」
昭代が村田に掴みかかろうとしたその時、月影がその腕を制した。
「昭代さん。あなたの背後にいる法務OBとのやり取り、そして佐伯部長からの資金流用計画の全容……今この瞬間、本社の臼井が全役員に向けてリアルタイムで配信していますよ」
月影が手元のタブレットを掲げる。そこには、本社の役員会議室がパニックに陥り、佐伯部長が顔を真っ青にして立ち尽くすライブ映像が映し出されていた。
「……チェックメイトだ」




