村田と月影、危険で短い逃避行/臼井マネと合流
【逃亡】月影が村田を連れて「シェルター(隠れ家)」へ向かうが、道中で追跡者に気づき、月影に臼井から「佐伯部長が動いている」と緊急連絡が入る
月影は震える村田をセダンの助手席に押し込み、手早くシートベルトを締めた。
村田の瞳は焦点が合わず、指先は膝の上で小刻みに震え続けている。
「……月影さん、僕、もう戻れないですよね」
「喋るな。舌を噛むぞ」
月影は短く応じ、アクセルを踏み込んだ。住宅街の狭い路地を抜け、幹線道路に出る。
向かう先は、社内でも極一部の人間しか存在を知らない「シェルター」。表向きは法務案件の証人保護用として確保されている、港区の雑居ビルの一室だ。
■【逃亡】追跡者の影
バックミラーを覗く月影の目が、鋭く細められた。
二つ後ろの車線、地味な灰色のワゴン車。先ほどから右左折のタイミングが、こちらの動きに不自然なほど同期している。
(……早すぎる。昭代の独断じゃない、これは組織的な動きだ)
月影はわざと信号の変わり目に加速し、急な車線変更を繰り返した。しかし、ワゴン車は一定の距離を保ったまま、吸い付くように背後に張り付いてくる。
その時、センターコンソールに置いた月影の個人端末が、激しく振動した。
暗号化されたライン通知。臼井からだ。
> 【緊急・最優先】
> 佐伯が直接動いた。私の端末へのアクセスを検知されたわ。
> 部長は法務OBと裏で繋がってる。村田くんを『切除対象』として処理するつもりよ。
> 今向かっているシェルターの鍵、権限が書き換えられている可能性がある。
> 「そこ」へは入らないで。
月影は奥歯を噛み締めた。
佐伯紗江。人事のトップが、あえて現場を炎上させ、村田を「毒」として排出しようとしている。
「……主任? 臼井さんから、何か……?」
村田が不安げに横顔を覗き込む。
「村田、予定変更だ。会社が用意した場所はもう安全じゃない。……俺の知っている場所へ行く」
■不穏な包囲網
月影はハンドルを左に切り、ビル群の隙間へと車を滑り込ませた。
追っ手のワゴン車が加速し、横に並ぼうとしてくる。
月影は片手でハンドルを固定し、もう片方の手で耳元のインカムを叩いた。
「臼井、聞こえるか。……佐伯の狙いは、村田を『不祥事の種』として社会的に抹殺することだ。例のワゴン車が追ってきている。おそらくドライブレコーダーか何かで、村田の『逃亡シーン』を捏造するつもりだろう」
インカム越しに、臼井の焦燥しきった声が返る。
『月影さん、気をつけて! 昭代がSNSで動き出したわ。今度は「マルトクの幹部が被害者を監禁している」って拡散してる! 自治体の窓口にも通報がいってるみたい……!』
月影は唇を歪めた。
三層構造の別件――特定顧客の暴走、自治体の介入、そして外圧。
それら全てが、今、村田という一人のスタッフを押し潰すための巨大なプレス機となって稼働している。
「村田、伏せてろ。窓に顔を出すな」
月影はアクセルを底まで踏み抜いた。
追走するワゴン車。鳴り止まない通知音。
月影はサイドミラーに映る自分の顔を見た。
冷静さを装ってはいるが、その奥に潜む「情」という名の乱れを、自分自身が一番自覚していた。
(……佐伯部長。アンタの言う通りだ。俺はこいつを、ただのスタッフだとは思っていないらしい)
セダンは夕闇に染まり始めた都市の迷宮へと、深く、激しく潜り込んでいった。
月影と村田が地下街を歩いて移動する話と、
【合流】月影が村田を連れたまま、臼井の待つオフィスへ強行突破で戻ってくる話
月影は、背後に張り付くワゴン車の動きを鋭く計算していた。このまま車で逃げ続けても、GPSやN庁の監視カメラ網、さらには佐伯が手を回した追跡車両に追い詰められるのは時間の問題だ。
「村田、車を捨てるぞ」
「えっ、でも……」
「いいから動け!」
月影は路地裏のコインパーキングに滑り込ませると、エンジンを切るより早く外に出た。村田の手首を掴み、迷路のように入り組んだ地下鉄の入り口へと飛び込む。
■【孤立】地下街の迷宮
夕刻のラッシュが始まりかけた地下街。月影は村田のフードを深く被らせ、人の流れに逆らわずに歩調を早めた。
「スマホの電源を切れ。位置情報が抜かれる」
「は、はい……」
村田は震える手で端末を落とした。月影はそれを拾い上げると、あえて逆方向へ向かうゴミ箱の中へ放り込む。
二人は、高級ブティックが並ぶ一画から、古びたメンテナンス用の通路へと滑り込んだ。追っ手の男たちが地下へ降りてくるのが見えたが、彼らは雑踏の中で標的を見失い、苛立ちを露わにしている。
冷たいコンクリートの壁に背を預け、月影は短く息を吐いた。
隣で村田が、膝を抱えて小刻みに震えている。
「……月影さん。僕、やっぱり……みんなに迷惑をかけてますよね。軽部さんの姉さんも、佐伯部長も、僕がいなくなれば収まるんじゃ……」
「馬鹿を言うな」
月影の声は、反響する地下通路で驚くほど強く響いた。
「お前を消して喜ぶのは、現場の痛みが分からない連中だけだ。……臼井も、俺も、そんな結末は一ミリも望んでいない」
月影は、臼井から最後に届いた「本社の鍵権限の書き換え」という情報を脳内で反芻した。
佐伯は、自分たちを「外」へ追い出した。ならば、逆を行く。
「村田、一番危険な場所が、今一番安全な場所になる」
■【合流】強行突破、マルトクテック本社
一時間後。
マルトクテック本社の地下搬入口。月影は、かつて自分が担当していた清掃業者の通用口へと村田を導いた。佐伯がシステム上の権限を書き換えたのは「応接室」や「管理室」といった主要箇所のみ。現場を知り尽くした月影の“裏ルート”までは及んでいない。
非常階段を駆け上がり、二人は薄暗いオペレーションフロアの裏口へ辿り着いた。
「臼井! 開けろ!」
月影が扉を叩くと、中から鍵が外される音がした。
飛び込むように中へ入ると、そこにはモニターの光に照らされ、髪を振り乱してキーボードを叩き続ける臼井がいた。
「月影さん! 村田くん!」
臼井は椅子から飛び上がり、二人へ駆け寄った。その顔には、安堵と、決死の覚悟が混ざり合っている。
「……部長は?」
「役員会へ向かったわ。村田くんの『不祥事』を確定させて、センターの契約解除を動議するために。……でも、まだ間に合う」
臼井はモニターを指差した。
そこには、軽部昭代と法務OBが密会している映像、そして佐伯部長がそれらを黙認・助長していたことを示す、通信ログの復元データが並んでいた。
「これを役員会のプロジェクターに直接流し込む。それが、私たちの最後のリベンジ……いえ、『オプション』よ」
村田は、自分のために戦う二人の背中を見て、初めて震えが止まった。
「……僕にも、やらせてください。ログインパスワード……僕の権限じゃないと開かない、現場の『真実のログ』があります」
月影と臼井は顔を見合わせ、力強く頷いた。
三人の「現場の意地」が、本社の最深部で、静かに、しかし熱く燃え上がろうとしていた。




