軽部トシ子、ついに村田へ発破をかける
マルトクテックカンパニー・港区専用サロン。
重い扉。
白磁の床。
静まり返った廊下。
村田孝好は
ドアをノックする前に、一度だけ深呼吸した。
「……はい、村田です」
声の調子は普段通り。
だが内心では、
(やっべぇ……軽部さん、ガチの“呼び出し”モードじゃん)
と、うっすら覚悟していた。
扉が開く。
部屋の奥には──
軽部トシ子。
黒いワンピース。
鋭い視線。
背は高い。
髪は美しく整えられ、
姿勢には“上位層の余裕と威圧”を漂わせている。
「……来たのね、タカ君」
その声は低く、抑制された怒気を含んでいた。
村田は頭を下げる。
「お久しぶりです、軽部さん」
軽部は、テーブル越しに紅茶を置きながら言った。
「どうして黙って消えたの?」
その瞬間、空気がひりつく。
契約者という立場でありながら
“上司”のような圧力。
村田は答えようとしたが──
軽部は先に、ゆっくりと言葉を置いた。
「あなたがいないせいで、
何人の生活リズムが崩れたと思ってるの?」
村田は身を固くした。
「冷蔵庫の中身、ゴミになった人」
「子どもの寝かしつけが乱れた人」
「精神薬の量が増えた人」
「一週間誰とも話せず泣いた人」
「仕事の期日を落とした人」
彼女の声は、怒りよりも
“失望”に近かった。
村田は深く頭を下げた。
「すみませんでした」
軽部は、テーブルを軽く叩いた。
「謝罪はいいの。聞きたいのは理由よ」
沈黙。
村田は目線を上げられない。
軽部は続ける。
「あなたが好きで頼んだのよ?
家族にも相談できないことを
あなたには言えた」
村田の喉が動く。
「タカ君」
軽部の声が少し柔らかくなる。
「……あなた、自分がどれだけ“必要とされてるか”、まだわかってないの?」
村田は息を飲む。
その言葉は、
彼の弱点を真っ直ぐ突いてきた。
“必要とされること”
それだけが、彼の空白を満たす唯一の方法だった。
村田は、ゆっくり答えた。
「……軽部さん
俺、全部ひとりで背負ってるつもりはないんですけど……」
「でも、本社が言ってくることと、
皆さんが望むことと、
俺が守りたいものが──
最近ずっと、ズレてて」
軽部は目を細めた。
「つまり、本社のせい?」
村田は即座に首を振る。
「違います
ただ……」
一瞬、言葉を探す。
「俺は、皆の“安定”のためにいたつもりでした
だけど、
本社の言う“安定”と
皆が求める“安定”は
多分……同じじゃない」
軽部の表情が変わった。
怒りが消え、
代わりに、深い静けさが訪れた。
「……そう」
軽部は椅子を引き、立ち上がった。
「なら教えてちょうだい」
村田が顔を上げる。
「あなたが守りたい“安定”って、何?」
村田はゆっくり言った。
「“誰かが、自分を手放さなくてよくなること”です」
「本社の数字じゃなくて
利用者さんの生活が、
ちゃんと“続いていく”ってことです」
軽部は目を伏せた。
そして、小さく笑う。
「……やっぱりあなた、危険ね」
村田は一瞬固まる。
軽部は首を傾げながら話す。
「だって本社よりも、
契約者のほうを向いてるんだもの
そんなサービス提供者──
本当に危険よ」
だがその声は、どこか誇らしげだった。
軽部は紅茶を飲み干し、言った。
「タカ君。私はあなたを庇うわ」
村田が目を見開く。
「本社が何言おうとね。
こういう“必要とされ方”を、わかってないのよ」
彼女はバッグを取り、
「覚悟しておきなさい。
あなた、きっと近いうちに“呼び出される”わよ」
村田は静かにうなずいた。
「ありがとうございます」
軽部は微笑む。
「いいのよ。だってあなた──」
一歩近づく。
紅い口紅が、微かに光る。
「うちの旦那より役に立つんだから」
そして軽部は出ていった。
残された村田は、ふぅ、と椅子に腰を落とした。
「……はぁ。マジで怒られるやつじゃん」
彼は天井を見上げた。
「軽部さんの言う通りだよなぁ……」
そして、小さく呟く。
「……俺、本社より“人”のほう見てるわ」
その瞬間──
廊下の影から、
月影真佐男がこちらを見ていた。
無言。
顔はいつもの無表情。
しかしその目は、
村田を“会社の危険因子”として測る冷たさを帯びていた。
この瞬間が、
佐伯の呼び出しへとつながる
第一の連鎖となる。




