北の畑、眠る土
翌朝、まだ霧が残るうちに村長と二人、村外れの北の畑へ向かった。
丘を越えた先、谷あいに広がるその土地は、見るからに重たかった。
足を踏み入れると、ぬかるみが靴底に絡みつく。風は冷たく、空は灰色。
「ここが、もう十年ほど不作でな……」
村長が指さした先では、去年の麦の根がまだ残っていた。
掘り返しても、すぐに水がにじみ出てくる。
ツチダはしゃがみこみ、指先で土をすくった。
粘り気が強い。乾くと硬くなるタイプだ。
鼻を近づけると、わずかに酸味のある匂い――いや、これはアルカリ寄りか。
「……pHが高いな。たぶん八・五くらいはあります」
「ぴーえいち?」
村長が眉をひそめる。
「土の“性格”みたいなもんです。
酸っぱすぎても駄目だし、しょっぱすぎても駄目。
この土地は、ちょっとしょっぱすぎますね」
さらに手のひらで揉みしだくと、色が薄い。腐植が足りない。
目には見えないが、光の粒――昨日見たあの淡い色――がほとんど感じられなかった。
「窒素とリン酸が抜けてます。麦ばかりを作り続けたせいで、土が息切れしてる」
村長が困ったように頭を掻いた。
「どうすればよい?」
「まずは水を逃がしましょう。この土地、水の通り道――溝も明渠もないでしょう」
「明きょ……?」
「水の逃げ道です。こうやって、少し掘ってやる」
ツチダは棒で地面に線を描いた。
「雨が多い時期に水が溜まると、根が呼吸できません。簡単でいい。溝を作って、下に抜くんです。
それと――もっと深く掘る“暗渠”も、いつか作りたいですね」
村長は感心したように頷いた。
「なるほど……だが、人手と時間が要るな」
「少しずつでいいですよ。それから、麦を休ませて、次は豆を植えてください。豆の根には“見えない小さな生き物”がいて、土を肥やしてくれます」
「豆で土が肥える?」
「そう。土を育てるんです」
風が吹き、湿った畑の表面がわずかに波打った。
その中に、黒い影が動く。
「害虫も多いですね。麦の根を食う虫……このままじゃ、また枯れます」
ツチダは考え込んだ。農薬の概念はないようだ。だが、やれることはある。
「木灰を少し撒いてみましょう。乾かしながら、虫を減らす。それに、灰は土を柔らかくしてくれます」
村長は腕を組み、黙って話を聞いていた。
「……おぬし、本当に不思議な男じゃのう。この土地の神官よりも、土に詳しい」
ツチダは笑って首を振る。
「神様は知らないけど、土のことなら、少しだけ」
灰色の雲の切れ間から、陽が差し込んだ。
その光の中で、ツチダには確かに見えた。
土の奥に、緑の光が、ほんのわずかに芽吹いたように見えた。




