表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
農家の異世界奮闘記 ~理の目と鍬一本で、国を回し、神話を問い直す~  作者: 今無ヅイ
極北白鎖編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

236/237

名もなき一振り

 稽古場へ向かう道中、市場は朝からよく騒いでいた。


 雪がちらほら舞いはじめているというのに、屋台の人々はむしろ景気がいい。

 ホットワインだ、焼き栗だ、熱い肉串だと、湯気の立つ匂いをこれでもかと通りへ流している。


「皇女殿下、温まっていかれませんか!」


「仕事中ですので、また今度」


 声をかけられるたびに、クローディアは小さく笑ってかわした。

 足は止めない。

 腕に抱えた細長い包みの重みが、いつもより少しだけ歩幅を慎重にさせていたからだ。


 黒い布で丁寧に巻かれ、紐で留められたその包みは、見た目だけなら地味な荷物にすぎない。

 だが、ただの荷物であるはずがなかった。


 ヴェラの鉱。

 帝国の鍛冶。

 イースタシアの精錬。

 ノースタンの材。

 神聖国の祝福。

 大陸の、それぞれ違う理と事情と手つき。

 それらがようやく一度だけ同じ方を向き、形にした器。


 そう思うと、この重さは金属の重さだけではないのだとわかる。


(……まだ銘はありませんのよね)


 クローディアは包みを抱え直した。


 だがきっと、名はあとからついてくる。

 持つべき者の手に渡った、そのあとで。


 これは、レイのための刀だ。


 一人の少女のため。

 そして、人の世に立ちながら、神話の側にも片足をかけてしまったあの子のための刀。


「レイ、ちゃんと稽古をつけているといいのだけれど」


 思わず口に出た声に、自分で少しだけ笑ってしまう。


 真面目にやっていても心配。

 真面目すぎても心配。

 調子に乗っていても心配。


 市場を抜け、城内の廊下を進む。

 訓練場へ近づくにつれて、金属音と掛け声が混ざった熱気が押し寄せてきた。

 冬の城内の空気は冷たいのに、稽古場の周りだけは人の体温で少しだけ濃い。


 扉の前で一度だけ深呼吸をしてから、クローディアは中へ入った。


 そして、最初に飛び込んできたのは。


「はい、一歩が半拍おそーい!」


 べちん、と乾いた音だった。


 柔らかそうな細い枝が、近衛騎士の兜を綺麗に打ち据える。


「ぐえっ」


 次の瞬間、打たれた騎士が情けない声を漏らして尻餅をついた。


「今のは、相手が“行くよ”って言ってるやつね。

 それもらってから『ではこちらも』じゃ、ずっと後手のままだよ。

 間合いに入る前に、心の方が先に踏み込んで!」


 黒髪を後ろで結わえた少女が、腰に手を当てて説教していた。

 手にしているのは、さっき騎士を叩き落としたその枝。

 どう見ても、ただの剪定枝だ。


 だが、その先端はわずかに焦げている。

 叩かれた兜の表面には、うっすら枝の痕まで残っていた。


(……やはり、おかしい出力ですわね)


 クローディアは内心で呟いた。


 近衛騎士を、枝一本で打ち倒す少女。

 もちろん、打たれた側にも問題はある。剣を抜く前から心で負けていては話にならない。


 それでも、やはりおかしい。


「レイ。あなたが手加減しているのは分かっていますけれど……」


 気づけば、小さくそう漏れていた。


 訓練場の空気が、わずかに揺れる。

 騎士たちの視線が一斉に入口へ集まり、その中でレイだけが一拍遅れてこちらを向いた。


「あ、クローディア。おつかれー」


 枝をぶんぶん振りながら、レイが笑う。


 武神。

 神殺し。

 いくつもの物騒な異名を背負っているくせに、その素の顔は拍子抜けするほど明るくて無防備だ。


 だからこそ、時々こちらの感覚の方が追いつかなくなる。


「レイ。あなたが手加減しているのは分かっていますけれど……もう少しだけ、兜には優しくしてあげてくださいね?」


「えー。赫とかじゃないし、枝はセーフじゃない?」


「枝で兜をへこませておいて、それは通りませんよ」


 クローディアがそう返すと、まわりの騎士たちがなんとも言えない顔をした。

 へこまされた本人は、ちょうど立ち上がろうとしているところだった。


「こ、皇女殿下……これは、その……」


「いいのですよ。レイを師範にしたのはわたくしですもの」


 クローディアは笑顔のまま言って、それからほんの少しだけ声を冷やした。


「ただし、兜をへこませられる前に、自分の弱点をへこませてもらいなさい。

 技術と理を学びに来たのでしょう? 痛みは、そのついでです」


「……はっ!」


 今度は、騎士の返事もきれいだった。


 レイが感心したように目を丸くする。


「いやー、クローディア、そういう言い回しかっこいいよね」


「褒めても何も出ませんよ?」


「え、おやつも?」


「なぜそこで食べ物が出てきますの……」


 ため息交じりに答えながらも、クローディアの口元は少し緩んでいた。


 レイのこういうところを、もっと世界が知ればいいのにと思う。


 神を斬ったとか、武神だとか、そういう話の前に。


 ご飯が好きで、

 泣いている子どもがいたらしゃがみ込んで相手をして。

 稽古では容赦なく枝を振るうけれど、そのあと必ず倒した相手には手を差し伸べる。

 そういう、人としての輪郭を。


「それで? 今日はどうしたの?」


 レイが枝を肩に担ぎながら、こちらへ歩いてくる。

 訓練場全体の空気が、その足取りひとつで少しだけゆるむのがわかった。


 クローディアは腕の中の包みに視線を落とした。


「ええ。今日は、あなたに渡したいものがあって」


「おみやげ?」


 ぱっと目が輝く。


「甘いもの?」


「違います。なぜ最初にそこへ行くのです」


 そう返しながらも、胸の内にはどこか似たような高揚があった。


 この包みを解けば、この刀はレイのものになる。

 それはきっと、彼女の戦い方だけでなく、その先の歩き方まで少しだけ変えていく。


 武神が、人として歩む。

 そのきっかけに立ち会えるのだと思うと、自然と背筋が伸びた。


「えー、みんなで見てもよくない?」


「よくありません。あなたに関する噂話を、これ以上ややこしくしたくないのです」


 神を斬った少女が、帝都の訓練場で新しい刀を授かる。

 そんな場面を大勢の前でやれば、噂は翌朝には半分神話になっているだろう。


「付き合ってくれますか?」


「もちろん!」


 レイは迷いなく頷いた。


 それから、手にしていた枝をくるりと放る。

 さっきまで打たれていた騎士が、慌ててそれを受け止めた。


「じゃ、続きは各自でやっててー。今日の課題は“半拍早く踏み込む”だからねー!」


「「「は、半拍……?」」」


 困惑する騎士たちの声を背に、クローディアはレイと並んで歩き出した。


 腕の中の包みが、さっきよりも少しだけ重く感じられる。

 けれど、その重さは不快ではない。


(さあ。世界のために。彼女のために)


 まだ名もない一振りが、これから先の戦いを護り、繋いでいく。


 クローディアは胸の内でそっとそう祈りながら、訓練場を後にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ