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農家の異世界奮闘記 ~理の目と鍬一本で、国を回し、神話を問い直す~  作者: 今無ヅイ
極北白鎖編

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【夜】

 訓練場の近くに、小さな休憩所がある。


 屋根と壁だけの簡素な造りだが、日差しと風をしのぐには十分で、長椅子と木の机、水差しと陶器のコップ、それから隅には薬箱の詰まった棚が置かれている。


 剣と汗の匂いから、ほんの少しだけ距離を置くための、小さな境界線だった。


「ここなら、落ち着いて話ができますね」


「おやつ?」


「「ここに来るまで一言も言っていませんのに、なぜそこで急に期待するのですか」」


 呆れながら、クローディアは長椅子に腰を下ろした。

 向かい側にレイもどさっと座る。背筋だけは妙にきちんとしている。


 腕に抱えていた細長い包みを、そっと机の上に置いた。


 黒い布を解くと、今度は細工の施された木箱が現れる。

 ノースタンの工房で作らせた、堅く、質素で、余計な装飾のない箱だ。


「……食べ物じゃないね」


「諦めなさい。これは、あなたの“剣”の話です」


 軽く咳払いをひとつ。


「開けてみてくださる?」


「いいの?」


「ええ。これは、あなたのものですもの」


 レイは、ぱっと顔を明るくした。

 けれど今度は、ふざけた色は引っ込んでいる。


 慎重に、両手で箱の蓋に指をかけた。


 金具が小さく鳴り、蓋が持ち上がる。


 そこにあったのは、一振りの刀だった。


 深い朱色の鞘が、箱の中で静かに横たわっている。

 漆の光沢は強すぎず、それでいてやわらかく光を返す。

 よく見れば、木目が星の軌跡みたいに流れていた。


 レイが、息をのむ気配がした。


「……おお……きれい」


 思わず漏れた声は、小さくて、でもはっきり聞こえた。

 生命を奪うはずの刃を眠らせるものとしては、あまりにも美しい。


「持ってみてくださる?」


「うん」


 レイは両手で鞘を持ち上げた。

 バランスを確かめるように、そっと角度を変える。


「……軽いわけじゃないのに、しっかり振れそうな感じ」


「重心を、あなたの体格と構えに合わせて調整してありますの。では——抜いてみて」


 レイが小さく頷き、ゆっくりと親指で鯉口を切る。


 鞘と鍔の接点で、かすかな音がした。

 朱の鞘から、青黒い刀身が静かに姿を現す。


 新月の夜空を、そのまま一条の線に引き伸ばしたみたいな色だった。


 真昼の光を浴びているのに、刃は白く光らない。

 黒に近い蒼が光を吸い込み、その奥で、淡く静かな輝きだけを返してくる。


 研ぎ澄まされた刃文は主張しすぎず、けれどよく目を凝らせば、刃の縁に沿って細い波が揺れているのがわかった。


 刀身の幅は、標準よりわずかに細い。

 そのくせ、刃渡りは八十八センチ。

 レイの腕の長さと踏み込みの歩幅に合わせた、やや長寸だ。


 柄は両手で握ることを前提に、余裕を持たせてある。

 白い鮫革が下地として巻かれ、その上からノースタン産の堅牢な糸が、きっちりと締め上げられていた。

 滑りにくく、それでいて手のひらにほどよくなじむ。


 鍔は赤銅。

 円環形の、飾り気のない一枚板。

 けれど、その縁だけは指でなぞれば分かるほどになめらかに仕上げられていた。鍔鳴りも起こりにくい造りだ。


 レイが、そっと刀身を持ち上げる。


 その瞬間——


 青黒い鋼の奥で、細かな光の粒がちらりと瞬いた。


「……?」


 レイの眉が、わずかに動く。


 それは、赫が燃え上がるときのような激しさではなかった。

 冬の夜空に、ひとつだけ流れ星が落ちたときみたいな、静かな光。


「きれい……」


 今度の言葉は、さっきより少し長く、深い響きを持っていた。


 レイは刃の表と裏を確かめるように、わずかにひねる。

 そのたびに、刀身の奥の星屑が位置を変えながら瞬いた。


 生命を断つための線。

 それでいて、手の中にあるのは、ただひたすらに静かな夜の景色だった。


 クローディアは、そこでようやく口を開いた。


「ヴェラ王国、南方の鉱山で採れた魔鉄鉱石。その中でも、ツチダいわく『変態的に純度の高い』ものだけを選びました」


「変態的……」


「表現については後で叱っておきます。ともかく、それを帝国の冶金技術で精錬し、イースタシアの魔導精錬で魔素の流れを整えた結果——」」


 クローディアは、刀身にそっと指先を近づけた。触れはしない。


「新しい合金、『極魔鋼』が生まれました。魔素がよく通るのに、暴れにくい。あなたの理を受け止める“器”になる金属です」


「器……?」


「ええ。あなたの理を、そのまま世界に叩きつけないための器です。いったん受け止めて、散らす」


 レイが小さく瞬きをする。


「散らすって、爆発とかしない?」


「しません。見えましたでしょう? 先ほど、あなたが少し魔力を通したとき」


「星みたいな光が、ちらって」


「ええ。あれが、“逃がした”証拠です」


 クローディアは、少しだけ目を細めた。


「あなたが壊れないために。刀が、余ったぶんを受け止めて、外へ流してくれるんです」


 レイは、もう一度、刃の奥を覗き込むように見つめた。


「……すごいなあ」


「そのぶん、刀の側も少しずつ疲れます。いつか向き合わなければならない話ですけれど……今は、まず使える形になったことを喜びましょう」


 レイが、そっと頷く。


 クローディアは続けた。


「柄はイースタシア産の鮫革と、ノースタン産の堅牢な糸。

 鍔はノースタンの赤銅。

 鞘は、ノースタンの聖なる山に生える星樹を木地に、イースタシアの朱漆で拵えました」

 レイが、視線を鞘へ落とす。


 朱色の面に、青黒い刀身がわずかに映り込んでいた。


「最後に——神聖国の司祭に祝福をかけてもらいました。納刀しているあいだ、刀身についた血や穢れ、濁った魔素を、少しずつ祓う術式です」


「それってつまり?」


「そうです」


 クローディアは、やわらかく微笑んだ。


「ヴェラが鉱を掘り、帝国が鍛え、イースタシアが魔を織り、ノースタンが形を支え、神聖国が祈りで包んだ。大陸全部を繋ぐ、器です」


「なんか、すごい贅沢な刀ってことは分かった」


「贅沢というより……少しだけ、わがままな刀ですね」


「わがまま?」


「あなたのために作ったのですもの。あなたの理を、この世界で生かすための形にするための、途方もないわがままです」


 レイの指が、柄を握り直した。

 その動きは、今まで握ってきたどの剣とも違う重みを確かめているように見えた。


「……名前、決まってるの?」


「鍛冶師たちが勝手に候補を出していましたけれど、最後は『持ち主が決めろ』ということで落ち着きました」


「そっか」


 レイは、静かに刀身を見つめる。


 訓練場の賑やかな声は、ここまで届かない。

 外では穏やかな冬の風が木々を揺らし、ときどき小鳥の声がする。


 青黒い刃の奥で、また小さな光が瞬いた。


「……夜、かな」


 ぽつりと、レイが呟いた。


「新月の夜空みたいだし。赫が“昼”なら、これは“夜”って感じがする」


 クローディアは、目を細めた。


「「……ええ。いい名ですね」」


「うん。よろしくね、夜」


 そう言って、レイはほんの少しだけ口元をほころばせた。


 その瞬間——


 青黒い刀身の奥の星屑が、まるで返事をするみたいに、ひときわ強く瞬いたように見えた。

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