青いサンダル
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
やはり、ムカデの話をしよう。
川島には、専用の部屋履きがある。青いサンダルだ。有名なワニのマークのメーカーのものだ。コンフォートサンダルではあるが、定番のサンダルではない。いうなれば、便所サンダルに近い。5年以上、愛用している。
川島は、風呂に入る前の、ちょっとしたルーティーンがある。
脱衣所で、一旦、部屋履きを脱いで、素足でトイレに行ってから、脱衣所に戻って、服を脱いで風呂に入る。
という、本当にちょっとしたルーティーンがある。いつからそうするようになったのか、日常の中で生まれた、ささやかなルーティーンだ。階段は左足から、とか。ロープワークは右足から、とか。そんな、ささやかなルーティーンだ。
その日も、脱衣所で部屋履きを脱いで、揃えてから便所に行こうとすると、サンダルが川島を呼び止めた、ような気がした。
「俺を一緒に連れて行け。」
そう言った。サンダルがそう言ったのだ。
川島の脳内に直接、そう言った。
川島は、固まった。
何が起きたのか、全くわからない。突拍子もない話。素っ頓狂な話。作り話にしては、余りにもバカバカしい。ゆえに、作り話ではない真実味を帯びているといってもいい。どんなに添削しても、どんなに脚色しても、他人に披露できるネタにはならない。
連れて行け、とサンダルが言っている。
こんなことは今までなかった。想定もしていない。こんなバカげた話はない。
あり得ない。だから、説得力がある。
例えバカと笑われようが、サンダルは、連れて行け、と言っているのだ。
サンダルを履き直して、トイレに向かった。
いた。
これまでの川島の人生で見た中で、最も大きく、最も太く、最も禍々しい。全長は、20センチメートルを超えているだろうか。
オオムカデだ。
動物界、節足動物門、ムカデ綱、オオムカデ目、オオムカデ科、オオムカデ属、トビズムカデ。
体長は、およそ8センチメートルから15センチメートル。まれに、20センチメートル近くになる個体もいる。日本最大級のムカデ。
こいつか。
素足では殺せない、とまでは言わないが、一撃で仕留めなければ、抵抗にあい、こちらも、ただではすまないだろう。
にらみ合いが続く。
こんな大物を見逃すわけにはいかない。何か得物はないか、と武器を探しに行くと、見失ってしまうだろう。ムカデも命は惜しい。身を隠すに違いない。そうなると、どうなる。家の中のどこかに、こいつがいる、とわかっていて、安眠はできない。
武器はある。
このことを言っていたのか。
だから、連れて行け、と。
青いサンダルで、一撃。肉厚の感触が足の裏を伝わってくる。
まだ動いている。追撃、追撃。
「おーい!」
川島は、仲間を呼んだ。
「なになに?どうした?」
「ムカデー!」
「やっつけた?」
母親が、火箸を持って現れた。
「大きいなー!これ!」
火箸で、ひょいと掴み上げると、キッチンに行って、ガスコンロで、ムカデを炙り出した。
とどめだ。もう生き返ることもない。
ゴキブリの時もそうだが、バーベキューで、エビを焼いた時のようなにおいがする。
この経験によって、エビやカニが食べられなくなる、ということはない。
むしろ、エビが食べたくなって、次の日のランチは、天ぷらうどんにしたくらいだ。
何度も確認するが、やつらは、川島にとって、虫と変わらない。




