足音
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
家に帰って、玄関を開け、廊下を通って、リビングの戸を開けると、妹が、ぽかんとこちらを見ていた。
「なんだ、来ていたのか。」
声を掛けると、
「おかえり、お兄ちゃん。お母さんかと思った。」
どういうことかと尋ねると、玄関から居間までやって来る足音と、そのテンポがまったく母親と一緒だというのだ。てっきり母親が現れると思ったら、兄だった。
「それであんな間抜けな顔をしていたのか。」
からかうと、別段、怒る様子もない。近況を報告し合っていると、母親が買い物から帰ってきた。妹が来ると知っていたから、晩御飯の買い出しにいっていたらしい。
リビングの戸を開けた母親に、おかえりを伝えると、返す言葉で、
「早かったのね。」
とだけ言って、母親は、そそくさとキッチンに向かった。
「聞き比べると、お兄ちゃんの方が足音が強いね。」
親子なんだな、と笑った。
別の日。
仕事中の川島の携帯に、母親からメッセージが入った。
『忘れ物でもとりにきたか?』
何を言っているんだ。その日は、あちこちで建物老朽化の調査をする為、ずっと外回りだった。
『ずっと仕事してるよ』
でっかいクマが困った顔をしているスタンプで、返してきた。
家に帰って、どういうことかと聞くと、昼下がりに、自室で編み物をしていたら、玄関が開いたという。廊下を歩く音がしたから、
「勇次郎?」
と声を掛けた。すると足音が止まって、しぃん、とした。たまに、息子が忘れ物を取りに帰ってくることがあったから、また忘れ物でもしたのだろうと、
「忘れもの?」
と問いかけても、返事がない。いつもなら、突っ慳貪に言い返してくるのに、黙ったまんまだ。
おかしいな、と重い腰を上げて、廊下に出てみると、誰もいない。息子の名前を呼びながら、あちこちと探し回ったが、家には、母親ひとりだったという。
玄関に行くと、ちゃんと閉まっている。
急ぎ働きで引っ返したのか、と息子にメッセージを送ったというのが、ことの顛末だ。
「聞き間違いかしら。」
と母親は、落ちを着けた。
そんなことがあってから、幾日か過ぎて、川島の休日。
その日、その時間、川島は、ひとりで家にいた。
お昼に、かねてから構想していた、キムチ鍋つけ麺に取り掛かった。まずキッチンで、前日の仕事帰りに、スーパーで買い込んで、用意していた食材を並べた。
ひとり暮らしの時に買った、年季の入っている自前のホーロー鍋に、ごま油をたっぷり引いて、火にかけた。油が音を立てはじめると、ペースト状の中華の素を少し入れて、ちょっと混ぜる。豚バラ肉を投入し、炒める。焦げ目がついている間に、袋詰めの市販の白菜キムチを投入する。空き袋に水を入れて、袋に残った諸共と水をぶちこむ。煮えるのを待つ間、関市の刃物まつりで買った包丁で、白菜を切り、豆腐を切り、エノキを切って、投入する。そして、キムチ鍋の素ではなく、キムチの素を適量。火を弱めて、しばらく待つ。
ある程度、煮込んだら、味噌を溶かし込んで、また煮込む。火を止めて少し寝かせる。
棒状ラーメンを2束、茹でて、冷水でしめる。
再び鍋を火にかけて、袋スープと調味油を投入。味見をして、何か足らない、とめんつゆをちょびっと。少し濃い。水を足す。
出来上がったキムチ鍋を、丼鉢によそい、麺をつけて食べた。
上出来だ。
全部ひとりで平らげて、キッチンシンクに食器類を片付けた。
お腹いっぱいで動くのがしんどいから、洗い物は後からしよう、と休憩していた。
テレビでは、芸能人のプライベートをあれやこれやと言っている。くそどうでもいい。
ザッピングしたが、目ぼしい番組はなかった。観るものがないな、とテレビを切ったら、玄関の開く音が聞こえた。
「ん?」
誰か、帰ってきたのか。リビングで待っていると、足音が近づいてくる。一連の、足音の話があったから、川島も気にしてその足音を聞いた。
違う。家族の足音ではない。
玄関を開けることができる家族の中に、今、聞こえてくる、この足音の主はいない。
空き巣か?
緊張が走った。
武器は、今、座っている椅子でいいか。立ち上がって、椅子の背を掴んみ、リビングの戸と対面するように立った。
人影は、まだ現れない。
他の部屋が荒らされているのか?しかし、物音は聞こえない。向こうも、こちらの気配に気づき、じっとしているのか。
リビングの広さなら、椅子も振り回せるが、廊下だと分が悪い。
何かないかと探すが、いいものがない。刃物は、選ばない。体よく追い払うつもりで、殺す気はないからだ。
「うーん。」
唸って、ないよりマシか、とハエタタキを手に取って、深呼吸をひとつ。
とにかく大声を張り上げて威嚇し、リビングの戸を開けた。いない。クマよけの鈴のように、が鳴り散らして、家中を探し回ったが、誰もいない。
途中、自室で木刀に持ち替えて、また家中を探し回った。いない。
最後に玄関へ行くと、ちゃんと鍵が閉まっている。
「あ。」
母親が体験したことと同じことが起きた。
誰かが家に帰ってきている。
兄貴か?と川島は、直感した。
部屋に飾られている兄の写真を見て、
「まだ成仏していないのか?」
と話しかけた。
しかし、帰ってきているということは、どこかに行っているということか。どこに遊びにいっているのやら、と思っていたが、こんなところで遊んでいたのか、うちの兄貴は。
船が、港に着いた。




