幽霊船
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
日本の戦国時代は、応仁の乱で幕を開ける。川島が義務教育で習った歴史の教科書に、そう書いてあった。応仁の乱から始まった戦国時代の終わりが、徳川家康が江戸幕府を開き、豊臣氏が滅ぼされるまでとするならば、およそ150年間で、計算はあっているだろうか。その戦国時代の、いつ頃の話か。本能寺の変の前か後か。藤田家の先祖が仕えていた大名が、戦に敗れ落ち、家臣ともども散り散りに逃げ回り、やがて海に出て、藤田家の先祖は、海賊に成り果てた。
その頃、何かしらの約定を破ったか、やんごとなき相手から恨みを買ったか。長男が取られるようになった。
戦国も終わりに近づくにつれて、すし屋の社長に説得されたわけではないが、海賊ではなく漁業を営むようになっていったと伝え聞く。お侍という身分で、そうしていたのか。はたまた、川島が習った士農工商には漁の文字がないが、農に含まれるものとして、侍を捨てて、一次産業としての漁師一本で生きていたのか。それはわからない。とにかく、藤田家は、漁業としては、数百年の歴史がある、のかも知れない。
そんな家だから、船酔いとは無縁だったのだが、船酔いする男が藤田家の歴史に登場する。川島少年は、船酔いするから、漁師はいやだ、と宣言した。藤田家の長い海の歴史も、潰えゆく運命なのだろうか。
さて、川島の祖母の話だ。
誰でもひとつくらいは、怪談話を持っている。
祖母は、幽霊船を見たことがある。
と本人は言っていた。
祖父祖母共に働き盛りで、船がまだポンポン船の時代。祖父とふたり、小雨の降る日に海へ出た時の話だ。
岬を回り込んだら、霧が立ち込めてきたという。霧が深くなる前に戻ろうとしたが、振り返るともう霧は濃く、何も見えなくなっていた。どうしたものか、と困っていたら、波音が聞こえてきた。何か大きなものが近づいてきている。これはいかん、と2人揃って大声を張り上げたが、一向に止まる気配がない。
復員して、故郷に戻り、いちからやり直し始めた矢先、こんなところで、こんな死に方か、と全身を血が駆け巡った。いや待て、遠い異国で死ぬよりは、故郷の海で死ぬ方が幸せかもしれない、と思い至ったが、そこは男。祖母を庇うように立ちはだかり、さあこい、と覚悟を決めた時だ。
大きな黒い船が、目の前で止まった。
ご存知のように、車は、急には止まれない。船は、もっと急には止まれないものだ。
それが、ぴたり、と止まった。
黒い大きな、タンカーのような船が、ピタリと目の前で止まった。
ぼぉー、と大きな汽笛を鳴らした後、おおい、おおい、とふたりを呼ぶ声が、上から聞こえてきたという。見上げると、甲板から身を乗り出し、何人もの人たちが手招きをしている。おおい、おおい、と呼んでいる。霧で、はっきりと姿は見えないが、祖父は、あれに答えちゃいかん、と祖母の口を塞ぎ、自分も口を噤んでじっとしていた。
おおい、おおい。
どれほどの時間がたったのか、気づくと、霧は晴れて、よく知る海の上にいた。
朝に出たはずが、もう日が暮れかかっていた。
ことあるごとに聞かされていたから、川島が思い描く幽霊船は、このイメージが強い。黒く大きなタンカー。一般的には、カリブ海で暴れまわった海賊の乗る帆船が、ぼろぼろになった姿、のイメージが強いかもしれない。
しかし、現れた幽霊船は、想像の外だった。




