鬼軍曹
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
ひとまず、全員に正座してもらった。そして、ひとりひとりから、なぜこういうことをしたのか、その結論に至ったのかを、5W1Hという概念を懇切丁寧に説明した上で、言い訳を聞いた。
「どうやら行き違いがあったようで。」
という老人の申し開きに、川島のスイッチが入った。
「どういう行き違いで?」
「いや、私のお願いを、勘違いしたようで。」
「どういう勘違いを?」
「それは…。」
勘違いしたのは、そいつらだから、そいつらに説明させよう、という話にした。そして、そいつらが憮然と立っているのが癪に障ったので、正座するよう、上役に指示した。
上役が、何やら躊躇ったので、少し語気を強めた。
「座らせろ。」
ある現場で、これも新見の尻拭いの現場だが、ある現場でのことだ。工期3年の現場で、川島が投入されたのは、着手から1年半。その時点で半年の遅れだった。残り1年半で、その半年を取り戻さなければならない。無休常態化の、よくある過酷な現場だ。働き方改革までのモラトリアム。
引き渡しを翌日に控えた作業最終日。残工事の最後の大物、外構の仕上げで、雨の予報。どうにでもなれ、と迎えた当日の朝。雨は降っていなかった。思わず、川島は朝の空を写真に収めた。以来、会社のパソコンの画面は、その空の写真だ。予報は、お昼ごろから雨、に変わっていた。朝礼の後、KYKで、苦楽を共にした大手道路会社の面々と、円陣を組んだ。
KYKの後、何かありますか、と職長に促され、前へ進み出た。
「いよいよ、作業最終日です。今日を乗り越えたら、終わります。予報では、昼から雨になっています。雨が降るまでに、やりきりましょう。最後は気合で!」
「では、気合よし!でいきましょう。」
気合はよいか?気合よし!の野太いコールアンドレスポンス。運よく、15時まで雨は一滴も降らなかった。そして、川島たちは、やりきった。
次の日の朝、川島は、身体を揺さぶって、何度も何度も名前を呼ぶ母親の声で、目を覚ました。目覚ましのアラームが、ずっと鳴っていた。人生で初めて、目覚まし時計に負けた日だった。母親は言う。死んだと思った。川島の、張りに張り詰めていた緊張の糸が、切れたのだ。
その緊張の糸がバチバチに張られていた、現場の最盛期。散髪に行く間もなく、伸び放題の髪の毛。それは、作業所のメンバー全員がそうだった。
「おれ、バリカン持っているわ。息子の髪を切ってた奴。」
メンバーの一人、田尾が、バリカンを持ち込んで、昼休みに床屋ごっこが始まった。仕事ばかりで嫌になっていたから、やけにはしゃいだのを覚えている。バーバー田尾は、毎月開催された。
どうせ伸びるから短く、しかし丸坊主はイヤだ、ということで、角刈りとスポーツ刈りの間のような髪型になった。
川島に、喫煙の習慣はなかったが、二十代半ば、バーで、スペイン人と意気投合して以来、葉巻を吸うようになった。田舎では、なかなか売っていなかったから、手に入らないと禁煙する。手に入ると吸い出す。その繰り返しだった。
たまたま、その現場の近くに、葉巻を扱っている奇特なたばこ店があった。川島は、リトルシガーや葉巻を買って、また吸い始めた。
昼礼で、体格のいい短髪のおっさんが、葉巻を吸いながら、打合せしている。
若手の百々から、
「もう軍曹じゃん。この前、洋画劇場でみたわ。」
と言われ、
「洋画劇場が見れる時間に、なんで帰っているんだ?」
と詰め寄ると、
「鬼や!鬼軍曹や!」
と逃げられた。
余裕のない現場では、心にも余裕がなくなる。少しのトラブルでも、鬼の形相になってしまう。いつしか、その呼び名がその現場では、定着していった。
当時と全く同じようなスタンスで、上役に詰め寄った。
「座らせろ。」
直ちに、全員が、上役までもが一緒になって、正座した。
老人は、年の功があるからか、つられて座りはしなかったが、川島側に立っていた。




