斬れるを知る
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
抜刀は、つまり刀を抜くという行為であるから、抜刀の技は、刀と鞘がある時代にはもう、自然発生していただろう。起源は、どこまで遡ればいいのか、いつから技として認識されたのだろう。ある研究家によれば、抜刀の技術は、古代からあったという。しかし、居合は、近世、武士が官僚化して、戦場から座敷に仕事の場を移しつつある過程で、座した状態から刀を抜く技術が発達し、居合と呼ぶようになった、という。
川島は、その説が好きだった。そのまま、その説の真偽について、居合の先生に問うた。
「私は、居合の歴史には疎いもので。」
やんわりと、はぐらかされた。
しかし、酒が進むにつれて、居合の先生は、饒舌になってゆく。直木三十五が残した剣豪の寸評について、各々意見を交わしたりしているうちに、やがて剣の話から離れ、やれ猫が好きだ、それ犬も好きだ、などと、帰って寝て起きて、それまで覚えておく必要もないような、他愛のない雑談になっていった。
その内、ご結婚は、などと聞かれて、空の薬指を見せて、ひとり者です、と返すと、それは結構だ、と居合の先生が笑ったので、宮田雄大との話を聞かせた。恩人宮田の次男坊からされた、結婚相談の顛末。その一部始終をかいつまみ、半人前と半人前で一人前、ひとりで一人前になると、孤独になるというオチ。
その話が、居合の先生の引き出しをひとつ開けた。
一人前になると言えば、と居合の先生は、語り始めた。
居合をはじめて、そのうち真剣を持つようになった。真剣で、巻き藁を試し斬りするなどして、鍛錬を重ね、四年か五年が過ぎたころ、無性に人が斬りたくなった。時代劇の辻斬りの気持ちが、わかった。しかし、現代社会において、そんなことが許されるはずもない。また、口にするわけにもいかない。幸い、自制心は人並みにあったから、と居合の先生は、笑った。
人を斬りたいという強い欲求を抱え、悶々と鍛錬に明け暮れて10年か、もっとか、ある日突然、人を斬りたいと思わなくなった、という。
なぜか。
目の前に立ちはだかっていた何かが消え去り、いっぺんに全部が開かれたような感覚があった。そして、得心したという。自分には、人が斬れるとわかった。だからもう、人を斬りたいとは思わなくなった。
人を斬れることがわかっているのだから、人を斬る必要がなくなる。人を斬ってみたい、という気持ちの根が失せた。
なるほど、そういうものですか、と感銘を受けた。
川島も、仕事上、似たような感覚になったことが2回ほどある。
そして、同様の感覚が、何年かぶりに起こった。刺激を感じたのだ。
お化けは、力づくでどうにかなる。
だから、サイモンとハンスに言った。
「盗賊は怖いが、幽鬼は怖くない。」
どうにかなる、と。




