達人
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
隣の客は、やけに姿勢がよかった。かわはらの大将は、おう、先生、久しぶり、と声をかけてから、
「川島君。こちら、居合の先生。」
と紹介した。
いやいや、先生と呼ばれるほどのものじゃないですよ、と手を振る仕草も、何やら堂に入っている。佇まいが、達人なのだ。こんなにも、佇まいがわかりやすく達人な達人がいるものだろうか。この時はまだ、達人と言う認識はしていなかったが、素人目にもわかるレベルでの達人というものは、どれほどの段位なのだろう。
上手はわからないが、下手はわかる。
素人はそういうものだ、と川島は認識している。料理にしても、不味いものはわかるが、美味しいものは、まあ確かにわかるが、その繊細な差までは、分からない。格付けのテレビ番組を見れば、そうなっている。あれも、ハッキリと、上手と下手を分けていない。あまりにも分かりやすく分けると、番組がなりたたなくなる。一流ならこの差は分かるはずですよね、という前提があるから、素人判断の話であるこの件について、格付け番組の例えは、有効ではない。
例えば、落語。工業高校に通っていたころ、1年生だったか2年生だったか、川島は、学校の近くにある公民館で、全校生徒と一緒に落語を聞いた。遠足とかと同じ、そういう行事、活動のひとつだったと記憶する。
公民館で落語を披露した噺家は、3人。なになに亭だのなに家だの、一門については、聞き覚えがあるが、まったく知らない、無名の3人だった。子どものころから、早起きの祖母にたたき起こされて、早朝からやっている演芸番組を見ながら朝ごはんを食べていた川島ですら、見たことも聞いたこともないような面々。見習いから前座に上がったくらいか、いや、人前で落語を披露できるとなると、一人前の落語家だったのかも知れないが、そのあたりはよくわからない。とにかく、テレビ画面で全く見たことのない噺家の落語を聞いたのだ。
テレビの落語、あれはとても上手だったのだ、と覚った。
それなりに世間で名が通り、テレビで落語を披露できるとなると、やはり名人か、それに届こうかという面々だったのだ。よどみなく聞けて、なるほどとオチで唸る。要所要所でちゃんと、ウケを取る。テレビで見る噺家は、とても上手だったのだ。なんとも失礼な話だが、それにようやく川島は気づいた。それほど、公民館で聞いた落語は、下手だった。誰か1人くらいは、光る何かをみせてくれるか、と期待したが、全滅だった。
素人に、上手は分からない。しかし、上手なのだろうという、雰囲気が、常連客には、あった。
居合の先生、という言葉で、言われてみれば、という部分も多少あったが、それよりも、佇まいが研ぎ澄まされている。
「居合ですか。」
剣豪小説が好きな川島は、居合の先生に食いついた。




