はいといいえ
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
「起きてください。」
寝て起きたらいなくなっているだろう作戦は、失敗した。
「なんだよ。」
寝起きでなくても不機嫌なのだから、より一層不機嫌に、悪態をついた。
「話だけでも、聞いてもらえないでしょうか。」
小人の懇願を、川島は拒絶する。
たとえば、おとぎ話の善人ように、困っている小人を助けて、お礼に金銀財宝をもらえるとしよう。そりゃあ、金は欲しい。お金の余裕は、心の余裕。お金と時間があれば、大体のことは解決する。しかし、そんな報酬は、いらない。報酬は、いらないのだから、助ける必要がない。善人の場合も、助けるのは金目当てではないだろう。善人は善人だから助けるのだ。そして自分は、善人ではない。
「ほらな、助ける動機がない。他を当たったらどうだ。」
川島は、おとぎ話のフォーマットに、疑問を持っている。貧乏な善人が、善い行いをした結果、金銀財宝が手に入る、というフォーマットに疑問がある。悪いことをすれば悪いことが起こる。善いことをすれば、善いことが起こる。その教訓に疑問がある。いや、悪い奴らには悪いことが起こってもらいたいし、善いことをした人たちには、善いことが起こって欲しい。そうではなくて、善行への報酬が、金銀財宝である、という部分に疑問がある。お金目当てではない、という、ただただ性善なる主人公の善行への報酬が、金銀財宝。何か、引っ掛かるものがある。おとぎ話の、このフォーマットは、真面目に働けばお金がもらえる、という権力者による刷り込みなのではないか、と疑ってしまうのだ。社会人を長く経験して、よくわかったことがある。あぶく銭は、悪いことをしなければ沢山持てない。まじめな善人が、善行で一発当てるのは、ただそうなってほしいという何者かの願望か、ただ何も疑わず、善人には真面目に働いていて欲しいという、悪人の陰謀としか思えない。
閑話休題。
「カワシマ殿にしかお願いできないのです。」
代えのきかない人材はいない。とはいえ、すぐ代えがきくわけではない。また、お前の代わりはいくらでもいるんだからな、という台詞が横行していた時代とは違って、現代では、代わってくれる人材がいない。そもそも人手すら足りていない。そういう意味では、代わりのいない人材はいる。
ただ、この場合、そういうことではない。
代えのきくきかないに関わらず、焦点は、川島がやるかやらないか。その川島が、やらないと言っている。
「諄い。」
川島と小人の話し合いは、延々と平行線をたどり続け、そして夜も更けてゆく。
終わりの見えない小人との押し問答を続けるうちに、やがて川島を既視感が襲いはじめた。子どもの頃に嵌ったテレビゲーム。ドット絵のRPGだ。あるイベントで、自分の分身である主人公をだましたキツネを追い詰めた。追い詰められたキツネは言った。見逃してくれ、と。
見逃すわけがない。淡い想いを粉々に打ち砕いた、このキツネを見逃すわけがない。当然、川島少年の答えは、いいえ、だった。
しかし、キツネは、見逃してほしいと食い下がる。何度も何度も、何度も何度も、いいえを押し続けた。キツネは、その度に、軽い感じで、見逃してほしいと返してくる。延々と続く押し問答。ゲームを進める為には、はいを選ばなければならない。それは、川島少年にも分かっている。しかし、なぜ、許さなければならないのか。許さなければならない道しかないのであれば、なぜ選択肢を与えたのか。
いったいどれほどの時間、拒み続けたのだろう。夥しい逆説の果てにたどり着いたのは、諦めではなく、許しの心だった。
おそらく、何百万と居たであろう、そのゲームのプレイヤーの中で、川島が唯一、このキツネを真に許した。
「わかったよ。」




