5.魔法の世界
ここに来て、一日が過ぎた。
どうやら、この村は本当に地下にあるらしい。
それでも、朝と夜はちゃんと来る。
窓の外の光は、夜明け前の空のような淡い白から少しずつ明るい色に変わっていった。
空気も、地上よりずっと暖かくて、少し湿っている。
……どういう仕組みなんだろう。
コン、コン。
扉を叩く音がした。
「起きてるー?」
扉が開き、青い髪の少女が顔を出した。
リオだ。
昨日、僕が目を覚ましたとき、そばにいた少女。
ブリザードの中で倒れていた僕を、助けてくれたらしい。
感謝しなきゃいけない。
それに、この村は、八歳のころに見た夢そのものだった。
観測隊員として考えれば、これは歴史的な大発見だ。
……そう頭では分かっているのに、ふと、基地のみんなの顔が浮かんだ。
隊長。小原さん。今ごろ、心配しているだろうか。
「起きてますよ、リオ姉さん」
なぜかは知らないけれど、昨日の会話の最後に「リオ姉と呼びなさい」と言われたので、仕方なくそう呼んでいる。
「さすがだね、るいくん。メモリアなんて、呼ばせるのに半年もかかったのに。そんな偉い子には、これをあげよう」
渡されたのは、パンのようなものだった。
見た目はロールパンだけど、色は妙に淡い。
「今日の朝ごはん、少ないかもしれないけど、とりあえず」
「ありがとうございます。これ、パンですか?」
「うん、そうだよ。あっ、もしかして食べられない?」
「いえ、こんな色のパン、見たことなくて」
「そうなんだー。でも、おいしいよ」
ひとくちかじる。
少し硬いけど、味は、今まで食べたパンの中でも、トップクラスにおいしかった。
「あと、服も」
「服も?」
「このまま部屋の外を歩かれると、バレちゃうかもだから。その服なら、大丈夫かなーって」
渡されたのは、白いシャツに、テイルコート。
まさに、執事みたいな服だった。
そういえば昨日、この屋敷の人に、僕の存在を知られてはいけない、と聞いたんだった。
「ありがとうございます」
「サイズ、大丈夫そう?」
「はい」
「じゃあ、朝ごはんを食べて、服に着替えたら、部屋から出てきてね」
「分かりましたけど、部屋を出ても大丈夫なんですか?」
「着替えてれば大丈夫だと思うよ。それじゃ」
リオは、そう言い残して、部屋を出ていった。
パンをかじりながら、窓の外を見る。
建物が立ち並んでいる。
住居だろうか、商店だろうか。
しばらくして、渡された服に着替え、部屋を出た。
「じゃあ、行くよ」
「え、どこにですか?」
「とりあえず、メモリアの部屋」
「メモリアさん? なんでですか?」
「だって、メモリアを起こさないと、私、るいくんを外に連れていけないし」
「外!?」
「うん。部屋の中にいても、暇でしょ?」
「それは、そうですけど……」
「メモリアの部屋は、この廊下の奥だよ」
「遠いですね。バレたりしませんか?」
「角部屋同士だから、しょうがないよ。それに、この階は、私たちきょうだいの部屋しかないから、多分大丈夫」
「メモリア、起きてー」
「メモリアさん、起きてくださーい」
何度呼んでも、起きる気配がない。
「メモリアってば、もう起きてよー」
リオが、メモリアの肩をがくがく揺らす。
「うーん……なに……」
「るいくん連れて、外行くよー」
「るい?? ……あっ、るい」
「おはようございます、メモリアさん」
「えっ、なんで……」
次の瞬間、メモリアの足が、僕のおなかに飛んできた。
「うっ」
「早く、出てって」
「リオも」
「メモリアも一緒に来てよー」
「バカじゃないの、バレるじゃん、そんなことしたら」
メモリアの言うことは、もっともだと思う。
「大丈夫だってー。服も変えたし、ずっと部屋にいるほうが、かえってバレるかもしれないじゃん」
「……分かったよ、リオ姉。ちょっとだけ待ってて。リオ姉の部屋で待ってて。準備ができたら行くから」
僕たちは言われたとおり、僕が昨日から使っている部屋へ戻った。
「ここ、リオ姉さんの部屋だったんですね」
「そうだよ。びっくりした? きれいで」
「はい。思っていたより、きれい好きなんですね」 「ほら、これ見て」
リオが壁の手形に手のひらを重ねると、青い光がにじんだ。
光は、みるみる大きくなる。
壁全体を覆い、床まで広がり、部屋を満たしていく。 人工的な光じゃない。
「……これは?」
「すごいでしょ、これ」
リオが手を離すと、光は消えた。
床を見ると、新品みたいにぴかぴかになっている。
「どういう原理なんですか?」
「原理? 原理なんて、私、分かんないよ」
「うーん……体の中を流れてるものをイメージして、それを手に集める、って感じ?」
「僕にもできますか?」
「この手形は、アスールタイプの人にしか動かせないから、無理だけど。ほら、これ」
リオが差し出したのは、つるつるした布だった。
アスールタイプ。
聞き慣れない言葉が頭に引っかかったまま、僕はそれを受け取った。
「これに、体の中を流れてるものをイメージしてみて」
僕は、両手で布を握った。
呼吸を整えて、目を閉じる。
イメージする。
……イメージって、何を?
半信半疑のまま、意識を両手に集めてみる。
……何も起きない。 やっぱり、気のせいだったのか。
そう思って、もう一度、ぎゅっと布を握り直した、そのとき。
指先が、じわりと熱くなった。
血の流れとは、ちがう。
もっと温かくて、静かなものが、胸の奥から腕を伝って、手のひらに集まってくる。
次の瞬間―― 目の前が、見えなくなるほどの光があふれた。
「すごいよ、るいくん。さすがだね。姉様が会いたくなるのも、分かるよ」
「……できました?」
「うん、できてるよ。見て」
視線を落とす。
持っていたはずの布が、なかった。
でも、手の中には、布の感触だけが、確かに残っている。
「布は……?」
「あるよ。見えなくなっただけで」
「見えなくなった?」
「そう。透明に」
布を、透明に?
「それが、るいくんの魔法タイプ、ってこと」
「魔法タイプ……」
僕は、自分の手のひらを見つめた。
何もないはずの場所に、確かな重みがある。
――これが、僕の魔法。
ずっと探してきた「秘密」の入口に、僕はいま、立っているのかもしれない。




