第9話「優遇の理由」
李体制の崩壊から一週間も経たないうちに、私の部署の電話は鳴りっぱなしになった。
CPTPP加盟国、そして台湾。友好国の窓口から、資源供給に関する問い合わせが、堰を切ったように押し寄せてきた。表向きは「今後の供給計画の確認」という体裁だったが、実際の中身は、ほとんどが同じ一言に集約されていた。
「備蓄を、増やしたい」
特に台湾からの要請は切実だった。北朝鮮情勢の混乱に加えて、韓国までもが完全に中国の意向でしか動かなくなった今、次に何が起きるか分からない、という緊張感が、文面の端々ににじんでいた。
「橘さん、台湾向けの追加供給案件、優先で頼む」
課長にそう言われ、私はいつもより一段階多い書類の束を抱えることになった。
———
供給配分の調整というのは、単純な話ではない。
アメリカ、CPTPP加盟国のうち日本を除く十一カ国、台湾。合わせて十三の窓口に対して、生産量、既存契約、備蓄状況、輸送能力といった変数をすり合わせながら、配分の優先順位を組み立てていく。
パズルのようなものだと、私はいつも思っている。ピースの数が多いだけで、やること自体は、そこまで複雑ではない。基準さえ守れば、答えは自然と決まってくる。
その日も、いつも通り、既存の配分表と、各国の経済規模・契約年数・過去の取引実績を照らし合わせながら、優先順位を組み直していた。
途中で、手が止まった。
ある一国への優先度が、他の指標と比べて、明らかに不釣り合いに高かった。経済規模でも、契約年数でも、そこまでの優先度を説明できる材料が見当たらない。
最初は、自分の計算間違いかと思った。数字を三回見直した。間違ってはいなかった。
「……何、これ」
思わず声が漏れた。
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昼休み、課長のところへ、それとなく聞きに行った。
「この国、他と比べて優先度、高すぎませんか」
資料を指差すと、課長は一瞬だけ視線をそらした。
「ああ……それは、上の判断だから」
「上、というのは」
「まあ、いろいろあるんだよ。橘さんは、そのまま反映してくれればいいから」
それ以上は、何も教えてもらえなかった。私は「分かりました」とだけ答えて、席に戻った。
こういうとき、たいていの人は、それ以上は追及しない。私も、普段ならそうする。効率が悪いし、波風を立てても得なことは何もない。
それなのに、その日はなぜか、資料をすぐには片付けられなかった。
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夕方、別件でPMCからの警備報告書に目を通していたときだった。
サハリン、カムチャツカ、タンカー護衛ルート。いつもの数字が並ぶ中に、見慣れない項目が増えていた。ある地域への人員配置が、直近一か月で急に増加している。
その地域は、午前中に引っかかった、あの「優先度の高すぎる国」と、経済的に深く結びついている地域だった。
偶然かもしれない。そう思おうとした。だが、頭の中で、二つの数字が、どうしても結びついてしまう。
資源供給の優遇と、PMCの展開。表向きは別々の書類、別々の担当、別々の話のはずだった。それが、私の机の上でだけ、静かに符合していた。
———
その夜、実家に帰っても、頭の中はずっとその数字のことでいっぱいだった。
「澪、お風呂沸いてるわよ」
母の声にも、生返事しか返せなかった。
自分の部屋で、資料のコピーを机の上に広げた。誰かに見せる予定もない。ただ、なんとなく、捨てられなかった。
「気にしすぎかもしれない」
声に出してみると、余計にそれらしく聞こえなかった。
これまでの私なら、こういう引っかかりは、一晩寝れば忘れていた。世界のあちこちで起きる大きな出来事を、いつも「地図の上の話」として処理してきたように、この程度の違和感も、明日の朝にはただの書類の一枚に戻っているはずだった。
それなのに、その夜だけは、コピーをシュレッダーにかける気になれなかった。
引き出しの奥に、そっとしまった。理由は、自分でもうまく説明できなかった。
(第9話・了)




