ep.4「この世界のこと」
店を出て、数歩。
足を止めた。
「……さて」
軽く息を吐く。
行く宛てはない。
泊まる場所もない。
この世界に関する知識も、ほぼゼロだ。
分かっているのは、“妙で面白い世界”だということだけ。
「……面倒だな」
小さく呟く。
選択肢は、ある。
踵を返し、再びあの店へ戻る。
扉を押し開けるとカラン、と音が鳴る。
「あら」
すぐに声が飛んできた。
「忘れ物?」
カウンターの向こうで、あの男ーー蓮也が笑っている。
「いや」
ゆっくりと歩み寄る。
「少し頼みがある」
「へぇ?」
興味を示すように、目を細める。
その隣では、もう一人ーー嶺二が静かにこちらを見ていた。
「何だ」
短い問い。
無駄がない。
「この世界の基本的なことを教えてほしい」
その一言で、空気が止まった。
「……は?」
素っ頓狂な声を上げたのは、蓮也だった。
「何それ。冗談?」
「冗談ではない」
真顔で返す。
「俺は、この世界の常識を知らない」
「いやいやいや」
蓮也が笑いながら首を振る。
「そんなわけないでしょ」
「そう思うなら、それでいい」
肩をすくめる。
「だが、事実だ」
しばしの沈黙。
その沈黙を破ったのはーー
「……本気か?」
嶺二だった。
低い声。
だが、その中に“探る色”が混じる。
「ああ」
短く答える。
「少なくとも、金の価値も分からん」
「……は?」
今度は嶺二が反応した。
「宿の取り方も知らん。食事の仕方も曖昧だ」
淡々と並べる。
「このままでは、夜営になるな」
「ちょっと待って」
蓮也が手を上げた。
「情報量多いのよ」
「そうか?」
「そうよ」
深いため息。
そしてーー
「ねぇ」
じっとこちらを見る。
「さっきから気になってたんだけど」
その視線は、先ほどよりもずっと鋭い。
「“この世界”って言い方、何?」
静かに、問いが落ちた。
店内の空気が変わる。
逃げ場はない。
(さて)
少しだけ考える。
隠すか。
ぼかすか。
それともーー
「……別の場所から来た」
結論は、すぐに出た。
「は?」
蓮也が眉をひそめる。
「別の場所って、どこよ」
「この世界ではない場所だ」
「……」
沈黙。
理解が追いついていない。
(こいつらは違うな)
“完全否定”はしない。
「……あんた」
ゆっくりと口を開く。
「それ、本気で言ってる?」
「冗談に見えるか?」
視線を返す。
蓮也は、しばらく黙り込んだ。
そしてーー
「……兄貴」
小さく呼ぶ。
「どう思う?」
「……嘘は言ってねぇな。ただし、全部本当だとも限らん」
「で?」
「聞くだけだ。聞く価値はある」
短い判断。
(合理的だな)
悪くない。
「で、セレスさん」
再び、視線が向く。
「その“別の場所”から来た人が」
少しだけ間を置く。
「何しに来たのよ」
核心だった。
ここで嘘をつく意味はない。
「勇者を探しに来た」
「……は?」
同時に声が重なった。
「勇者?」
蓮也が聞き返す。
「あれ? さっきファンタジーって言ってたやつ?」
「間違ってはいない」
頷く。
「この世界に存在するはずのない“力”を持つ者」
視線を二人へ向ける。
「それを探している」
「……」
沈黙。
今度は、長い。
そしてーー
「……面白いじゃない」
最初に笑ったのは、蓮也だった。
ゆっくりと、口角が上がる。
「ねぇ兄貴」
「……ああ」
嶺二も、わずかに目を細めた。
「しばらく面倒見てやるか」
「決まりね」
軽く手を叩く。
「セレスさん」
にっこりと笑う。
「この世界のこと、教えてあげるわ」
「助かる」
素直に頷いた。
(……これで拠点は確保だな)
そう結論付ける。
だが──
「ただし」
蓮也が指を立てた。
「タダってわけにはいかないわよ?」
「構わん」
「へぇ?」
楽しそうに目を細める。
「何ができるの?」
「大抵のことはできる」
「面白いわね」
再び笑う。
「じゃあ、期待してるわね」
こうして異世界から来た俺は、この世界での“居場所”を手に入れた。




