ep.38「月影」
BAR《月影》は、この日もいつも通り落ち着いた光に包まれていた。
外の喧騒は遠い。
ここだけが、ゆるやかに時間の流れを変えている。
「いらっしゃい」
カウンターの向こうで、蓮也が軽く手を上げる。
「……いつも通りだな」
「そりゃそうでしょ」
そのままカウンター席に着く。
少し遅れて、隣に腰を下ろす気配。
「……来たか」
「ああ」
嶺二だった。
いつもと変わらない短いやり取り。
それだけで十分だ。
◇
目の前にグラスが置かれる。
琥珀色の液体が間接照明の光を受けて、静かに揺れる。
「どう?」
蓮也が聞く。
「香り良いでしょ?」
「ああ」
一口飲む。
喉を通る感覚。
「美味いな」
その一言に蓮也が満足げに笑う。
◇
しばらく、静かな時間が流れる。
客の落ち着いた話し声。
氷がグラスに触れる小さなカランっという音。
どれも耳に心地いい。
「……平和だな」
ぽつりと呟く。
「急に何?」
蓮也が笑う。
「いや」
揺れる液面に視線を落とす。
「この日常も悪くないと思ってな」
「へぇ」
少し意外そうな声。
「こっちの世界、気に入った?」
「……そうだな」
少しだけ考える。
そして。
「居心地はいい」
正直に答えた。
「そりゃどうも」
軽く笑う。
◇
「……そういや」
嶺二が口を開いた。
「最近どうだ」
「何がだ」
「居心地がいいと感じるくらいだ。流石にもう慣れたか、この生活」
「……ああ」
応えに迷いはない。
「お前達にも良くしてもらってるしな」
「まぁな」
それだけ。
だがーー
どこか楽しそうに口角を上げて嶺二はグラスを傾けた。
◇
ふと、視線を上げて店内を見渡す。
穏やかな空気。
客の微かな笑い声。
静かな光。
(……)
この場所。
この時間。
この関係。
どれも、違和感はない。
寧ろーー
(……馴染んでいるな)
小さく息を吐いてグラスを傾ける。
静かな夜。
だが、その中で。
確かに。
俺の何かが満たされている。
「……悪くないな」
小さく、そう呟きが零れた。




