ep.19 「いつものように」
BAR《月影》はいつも通りの空気だった。
落ち着いた照明。
低く流れる音楽。
客の声も抑えられている。
静かだ。
この“適度な雑音”が、この場所の特徴だ。
カウンター席に腰を下ろし、グラスを手に取る。
視線は店内へ。
観察。
それが習慣になりつつある。
(……平和だな)
問題はない。
違和感もない。
いつも通りだ。
その時だった。
「おい、ふざけんなよ」
低い声。
視線を向ける。
テーブル席。
男が二人。
距離が近く声が荒い。
(揉め事か)
珍しくはない。
だが、この店では少ない。
「落ち着いて」
蓮也の声。
いつの間にか近づいている。
表情は変わらない。
声の温度が少しだけ下がっている。
「店内で揉めないでちょうだい」
片方の男が立ち上がる。
椅子が鳴る。
音が響く。
空気が張り詰める。
その瞬間。
ーー動いた。
ほぼ同時だった。
嶺二が一歩前へ出る。
蓮也が横に回る。
言葉はない。
合図もない。
だが、噛み合っている。
「座れ」
嶺二の声。
短く低い。
それだけで、空気が変わる。
「っ……」
男が一瞬言葉を失う。
その隙に。
「ほら、お冷やでも飲んで」
蓮也がグラスを置く。
動線が自然だ。
視線の誘導も無駄がない。
立ち上がった男の力が抜ける。
完全に。
流れが切られた。
数秒の沈黙。
そして。
「……悪い」
小さく呟いてそのまま座り直した。
もう一人も何も言わない。
終わりだ。
あまりにも自然に。迅速に。
(……今のは)
視線を細める。
無意識。
だが、明確に。
(重なっていた)
あの二人は意識していない。
ただ“そう動いた”だけだ。
それでも。
成立している。
完璧に。
カウンターへ戻ってくる。
「まったく」
蓮也が肩をすくめる。
「……騒ぐ場所じゃねぇ」
嶺二が短く言う。
それだけだった。
先程の動きとは違う。
あくまで“日常”。
特別なことは何もない、という顔だ。
(自覚はないのか)
当然だ。
今のは“意識してやったものではない”。
ただ、出来てしまっただけだ。
「どうかした?」
蓮也がこちらを見る。
「いや」
グラスを傾ける。
「何でもない」
嘘ではない。
説明する必要もない。
(順調だな)
小さく息を吐く。
鍛える必要はある。
だが。
(急ぐ必要はない)
既に、始まっている。
それも。
本人たちが気づかない形で。
視線を店内へ戻す。
空気は元に戻っている。
音も。
光も。
全てが“いつも通り”だ。
俺はグラスを傾けた。




