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同市K町在住 ユカリの場合③

 ある日、ユカリとキョウコが会議室に入ると、中は既に慌ただしかった。

 大きな会議室の後ろ半分では、数人が長机に座ってせっせと小道具や大道具制作をしている。29人全員が一同に揃うことは、ほとんどない。家庭やら持病のことやら、年齢的に欠席の事情が飛び交いやすいこの劇団では、せいぜい一度に10人集まれば多い方だ。


 部屋のもう半分では稽古が行われていた。キレ目の初老男性が部屋の一番前に立っている。演出家のワタナベだ。この劇団の主宰。彼の前には何人かの役者が横並びになっていた。

 ユカリは小さく挨拶をしつつ、こそこそと縮こまりながら入室する。入口の反対側で、代わる代わるに声を張る人たちを見ると、台本を片手に演技をしている。鮮魚屋のタナカ イッペイと元銀行員のエトウ ハルヒコ、それにニシヤが横並びで立ち、それぞれ電話で話すフリをしている。

 「きっと、半立稽古というやつね」とユカリは覚えたての言葉を頭に浮かべて得心した。ざっくりした流れで特定のシーンの確認やポイントの洗い出す稽古。

 そんな事を考えていると、先客の一人がユカリに「おはようございます」と声をかける。サエグサだった。

「今ちょうどお稽古が始まったばかりですよ」

 サエグサは穏やかな微笑を浮かべて二人を迎える。

 彼女は長机で小道具を作っていた。サエグサも例によって高齢だったが、まだまだ活気に満ちている。ユカリはあいさつを返しながら、「そうなんですね」とハンドバッグを椅子に置きながら言った。

「いわゆる、半立稽古、ってやつですか?」

 彼女はそうサエグサに尋ねた。まるで自分が、もう単なる新人でない事をアピールするように。対してサエグサは、特にそれを気に留めるでもなく会話を続けた。

「ええ、そうよ。見るのは初めて?」

「はい」

 ユカリは期待を裏切られ、やや残念そうに言った。

「劇場とかで見るのとは雰囲気、違いますね」

「結構迫力あるでしょ? ユカリさん、入った時期が良かったわね。ちょうど秋の公演に向けていちからスタート、っていうタイミングだったから、最初から最後まで段取りを順番通りに見れるものね」

 サエグサの言葉にユカリは顔をほころばせながら、長椅子の前の椅子に座る。彼女は以前渡されていた台本の、眼の前のシーンのページを探して開く。しばしの間、彼女は演技が進んでいく様子を眺めた。

こんなシーンだった。


◯YC駅前、大型歩道橋にて

 登場人物

 エージェント・いわし(タナカ イッペイ)

 エージェント・医師診断書(エトウ ハルヒコ)

 ミスター・ローキック(ニシヤ サチコ)

 端役3人(セリフ無し。主人公たちの周囲にいる一般市民)


◯現着するエージェント・いわし。端役含め全員が電話している。いわしとローキックのケータイ電話越しの会話。


エージェント・いわし「何!? YC駅の公衆トイレに爆弾を!?」

ミスター・ローキック「ふふふ……その通りだよ、いわし君。次のターゲットはYC駅そのものだ」

エージェント・いわし「なんてことしやがる……それじゃこの街の皆の足が、車一本になっちまう!」

ミスター・ローキック「察しが良いな、いわし君。しばらくの間、君の愛するY市の皆々には車通勤を強いられてもらう。それが私の目的のひとつだよ」

エージェント・いわし「畜生、なんてこと考えやがる! このままじゃ皆が七面倒くさくてやってられないマイカー通勤許可書を書くハメになる!」

ミスター・ローキック「ふふふ、ご明察。会社への交通費申請も一筋縄ではいかなかろう?」

エージェント・いわし「そこまで盛り込み済みか、クソッ! なんて事をしやがる! ……待てよ、まさか」

ミスター・ローキック「察しが良いな、いわし君。そう、私はマンホールを吹き飛ばして渋滞を起こしたり、エスカレーターにストッキングを挟んで通行止めにしたり――市民の移動手段、つまり足元ばかりを狙うのだ」

エージェント・いわし「まさにミスター・ローキック。って訳か……」

ミスター・ローキック「くくく……」

エージェント・いわし「何が目的だ!?」

ミスター・ローキック「それを話すのはまだ早いな。物事には順序というものがあるだろう? さて、トイレに仕掛けた爆弾だが、ひとつだけ解除方法を用意した」

エージェント・いわし「それは何だ?」

ミスター・ローキック「ひとつゲームをしよう」


 ここで、イヤホン越しに隣りで聞いていたエージェント・医師診断書がメガネをくいと上げていわしの肩に手をやる。


エージェント・医師診断書「待ってください。これは罠かもしれません」

エージェント・いわし「医師診断書! 他に方法があるというのか!?」

エージェント・医師診断書「相手のペースに飲み込まれるな、と言いたいだけです。落ち着きましょう」

ミスター・ローキック「聡明で結構。だが時間はないぞ? あと5分だ」

エージェント・いわし「クソッ! 早くそのゲームとやらの内容を言え!」


……


 ユカリは台本を渡され、一通り目を通してはいた。にも関わらず、この劇が一体どんな劇になるのか見当もつかないでいる。眼の前でその一端を見せられた今、その疑問はより深く、より決定的なものへと変わっていた。

 誰かに解説をお願いしてでも、この脚本の魅力を探求すべきなのか。長い葛藤の末、彼女が選んだのは“知らないふり”だった。自分は自分の役割に徹底する。つまり、“小道具は責任を持って作りますので、あとは皆さん宜しくお願いします”――そういう気分だった。


 一方、タカハタの反応は正反対のものだった。彼は部屋の隅に立ちながら、今にも涙を流しそうな程の入れ込み具合で練習風景を眺めた。しきりに深くうなずき、豊かな白い顎髭を触り、大きく長い感嘆のため息をつき――言葉や拍手といった音には一切頼らずに、彼はその出来栄えにあらゆる賞賛のサインを送り続けた。


 サエグサは衣装である黒いスーツのボタンを縫いながら、こうこぼした。

「この後は結局、このローキックの最後の一言がきっかけになって犯人逮捕に繋がるのよねえ」

 すかさず対面して座っていたキョウコが「そうそう」と頷いた。

「小さく呟いただけのエージェント・医師診断書の言った事が、どうしてヤツに聞こえたのか、ってね。実は二人のすぐ横のベンチに座ってた女の人がミスター・ローキックだったなんてね~」

「ね~、ほんとにすごい事思いつくわね~」

 サエグサの隣で作業をしていたユカリは、また苦笑いを顔に貼り付けるしかなかった。何だか違う世界に住まう生物の、知らない社会に放り込まれた気分だった。遥か遠く銀河系の外側――その未知なる世界で、人間とは違う価値観を持って生活する者たち。ユカリが新入りであるという事とは別に、妙な隔たりを感じた。


 演出家のワタナベが稽古に区切りをつけ、「ここはこうして欲しい」、「こう演技すべきだ」と演技の洗い出しを行っている時、サエグサが思い出したように口を開く。

「そうそう、劇に使う道具なんですけどね。いくつか足りない物が出てきちゃったのよ――これなんだけど」

 と、彼女は小さなメモ紙をポケットから取り出す。そこには不足している小道具がいくつかリストアップされていた。ユカリとキョウコは身を乗り出して机の上のそれを覗き込む。キョウコが声に出してリストを読み上げる。

「――ええと、発泡スチロールの塊(大きければ大きいほど良し)。拳銃のおもちゃ(出来ればエアガン)。日傘(貴婦人が使うようなヒラヒラがついたやつ)。それと――」

「発泡スチロールは小舟の船体を演出するのに使うんですって」

 最後のひとつを読み上げる前にサエグサが遮るように発言する。多分すごく言いたかったんだろうな、とユカリは思った。何せこのアイデアは、サエグサが発案したものだったのだから。

 小舟をどのような素材で作り、どう演出しようか皆が悩んでいた所にアドバイスをしたのがサエグサだった。ゆえに彼女にとってこの小舟は思い入れの深い一品だった。どこか他人事のような言い方をサエグサはしたが、それはその並々ならぬ想いを察知されないように、という謙虚さがそうさせたのだった。


「大きな発泡スチロールをつなぎ合わせて、船のシルエットを作るみたいですよ。拳銃と日傘は単純にお話の都合上、必要なものよ」

「船? ――って、どこで使うの?」と、今更な事をキョウコが聞いた。彼女は一ヶ月前に渡された台本を、まだ半分も読んでいなかった。そんな彼女を見て、サエグサが愉快そうに笑う。

「ま~た、この子は台本ろくに読まないで!」

 ユカリが「()()?」とサエグサを見た。

「そうなんですよ、春の公演の時もそうだったのよ!」

「でも、さっき犯人の目星が付く場面の事、知ってじゃないですか?」

「どうせ、飛ばし飛ばし読んだんでしょう?」

 サエグサの問いかけに、キョウコは年甲斐もなく舌をぺろりと出して「まあ、正解だよね」と言った。

「まったくもう! おかげであの時危なかったんですよ、もう……」

「何があったんですか?」

「ほら、この劇団ってほとんどの人が何かしらの役で舞台に上がるじゃない? あたしもこの前は主役の友人の一人として役を演じましたし――ユカリさんはこの点、ちょっと残念ね。入った時にはもう配役も決まっちゃってましたし――キョウコさん、あの時台本ちっとも読んでなくて、自分に出番があることを2ヶ月も知らないままだったんですよ! 最初の台本合わせの時にいなかったから、余計に発覚が遅れちゃって、おかげで……」

「――ちょっとワタナベさんに怒られた」と、つぎ合わせるようにキョウコが言う。

「あと、ニシヤさんにも。最低限でいいから真面目にやってって言われた」

 ユカリは「もう……」とため息をつく。

「皆さんに迷惑かけちゃだめですよ」

「面目ない」

 そう恥ずかしそうにキョウコが返事をした時、「そんなことはない」という声が聞こえた。低く、落ち着いた男の声だった。


 ユカリは慌てて声の方を振り返った。

 そこには腕を組みながら壁にもたれる、老人が一人。白のパナマ帽を目深に、タイトな紺のシャツと白のスラックスという出で立ち。

 その細いタレ目は独特の気品と情熱に満ちており、丁寧に揃えられた口ひげには一朝一夕の物ではない品性が宿っていた――彼は水面にほんの僅かばかりの波紋を生じさせるような、そんな落ち着いた声音でこう言った。

「それは我々に欠けていたものの一つなんですよ。劇団がより大きく、地元のメディアなんかに注目されるにつれて、我々が少しずつ失っていったもののひとつなのです。“Take it easy, and have fan.”(すごく流暢な発音だった)――適度な緊張は必要ですが、過度な期待は身を滅ぼします。もっと気楽に、楽しんでやりましょう。そう思いませんか?」

 そう言い残して彼は会議室から出ていった。


……誰なんだ、あの男。ユカリはこの人物に心当たりがなかった。顔合わせの時も、週に一度の集まりの時も、あんな人は見た事がない。どの時点、どの場所での記憶を手繰り寄せてもこの男の姿は認められない。

 あの男は何者なのか。ユカリが尋ねようとしたちょうどその時、彼が出ていった扉を見つめながらキョウコが無表情のまま口を開いた。

「……誰、あれ」

 どうやらキョウコも知らないようだった。するとサエグサが「ニノマエさんですよ」と、同じように無表情で扉を注視しながら呟くように言った。

「いつの間にここにいたんでしょう……全く気が付きませんでした――劇団の活動当初から在籍している、最古参のメンバーの一人です」

「マジ!?」

 驚いた表情でサエグサに向き直るキョウコ。

「あの伝説の“最初の五人”の一人ですか!?」

「ええ。あたしも会ったのは何年ぶりでしょうか……滅多に顔を出さないので、もう亡くなった、なんて噂まで出る始末でしたよ」

「どんな方なんですか?」と、ユカリは声のトーンを落として訊ねた。

「確かに、団員の一覧でその名前を見た覚えはありますが……」

 サエグサはそんなユカリを見て「このY市にひどく顔が効く、重鎮みたいな存在です」と言った。

「素性は誰も知りません。そこにいる『ファイト!』発起人のワタナベさんでさえ詳しくは知らないようです。色々な噂話だけがあるだけですよ。ニノマエという苗字も自分でつけた芸名だかあだ名だかで、本当の名前は誰も知らないんですよ。噂ではこのY市が明治の時代に軍港として栄える以前の、もっと古い時代からこの地で活躍していた家の出身だと囁かれています」

「何だかすごく込み入った話ですね……」

「あくまで噂です。軍隊に注目されて近代化が始まった以前の、まだこの辺りが畑と漁で成り立つ農村漁村だった頃から、この地域で発言力の強かった家の出身だとか――」

「へえ」という感心の声がユカリとキョウコから漏れる。他にもニノマエに関する噂は存在した。どうやらいくつか会社を経営しているらしいこと。その一つがYC駅前の居酒屋らしいこと。かつて記憶喪失の愛人がいたらしい事――ひとしきりそんな事を話した彼女たちだが、興味を惹くトピックが尽きた所で、話題は先程の小道具の件に立ち戻った。


「そういえば」と、キョウコが台本をパラパラめくりながら言った。

「リストの最後のひとつ。カギ? って書いてあるけど、これは何に使うの?」

 サエグサが「あぁ、それは」と気の抜けた返事をする。

「ミスター・ローキックの“ゲーム”の中にカギが登場するんですよ。それに使うんです」

 ユカリはそれを聞きながら今一度リストのメモ紙を覗き込む。

「ええと、よく見る普通のカギ、って訳じゃなさそうですね。大ぶりで観客に一目で分かるようなカギ……って書いてありますけど?」

「そうなんですよ。小さいと観客に分かりづらいですし、普通の鍵だと何だか肩透かしを食らうでしょう? 手作りもダメだって――その点、ワタナベさんが凄くこだわっているみたいでして」

 キョウコが「でも大きくても、ずっと遠くからだと見えなくない?」と意見を述べると、サエグサは頬に手をやりながら言った。

「それがね。今回の公演はいつもより少し小規模の劇場でやるから大丈夫らしいんですよ。いわく、最近は1000人規模の客席のある会場でばかりだったけれど、久しぶりに小さい劇場でやるの。だからこそ、こういう小さなキーアイテム的な物を光らせたい、との事です。原点回帰ってやつですね」

「そうなんだ~」

キョウコが若干間抜けな感嘆の声を漏らす。そんなキョウコについ、ため息をついてしまうユカリ。

「キョウコさん……それ、最初の方にワタナベさん、言ってましたよ……」

「そんなバカな」

「言ってました」

「本当に?」

「本当です」

「マジに?」

「マジです」

「――よし! それなら、こうしましょう!」

 と、キョウコが閃く。

「発泡スチロールと拳銃のおもちゃと日傘はわたしが用意するから、ユカさん、カギを見繕ってきてよ!」

なにが“それなら”なのかはユカリには分からなかった。が、勢いで物事が決まってしまったので、とりあえずそういう事になった。



参考資料

・Starship「We built this city」,1985

・ASIAN KUNG-FU GENERATION「マーチングバンド」,2011

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