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Y市M町在住 サヌマの場合⑤

「やあ」

私に気が付いたナガラは言った。

「一人で飲んできたの?」

 相変わらずの、脱力しきった平板な声。私は彼の顔を(すが)め、そのまま何も言わずに立ち去ろうとした。明るい構内から電灯もまばらな夜の町中へ歩みを進めていくと、背後から彼が声をかけた。

「見つかったんだね。アサクラさん」

 私は立ち止まって振り返った。夏の生暖かい夜風が吹く。私は言った。

「始めからこうなるって知ってたんだろう?」

 私が核心に触れようとしてそう尋ねると、ナガラは例の奇妙な笑い声を、ごく短く発した。

「そんな訳ないじゃん」

「そうかい」

「だって、あんたが気が付くとは思わなかったし――それに、ニノミヤさんは上手くやってたしね」

「それについては」と私は意地の悪い微笑を浮かべた。

「あんたの過失だよ」

「俺?」

「ああ。あんた今朝、別れ際に私の目を見ただろう?」

 私が指摘すると、どういう訳かナガラは声を上げずに満面の笑みを象った。私は続けた。

「あんたがあんな目で人を見るときは、大抵裏に何かある。それが何かまでは分からなかったが――私にはそれで十分だった。それで――」

 私はここで言葉を区切った。無意識のうちに咳ばらいが出る。

「それで、人づてにあのマンションの登記簿を調べてもらった。本当はもっと色々調べるつもりだったが、それだけで充分だった」

 私は再び咳払いをする。

「――なあ、こっちはそれでも分からないことだらけなんだ。なぜ、私の最後の客があの男だって知っていた? なぜ、アサクラは私を選んだんだ?」

「偶然だよ」とナガラは無感情に答えを寄越す。

「少なくともニノマエさんも俺も、好き好んであんたを選んだ訳じゃない。ホントだよ」

「偶然――」

 そう私が呟くと、ナガラは短く「そ」と発する。

「最初に言ったじゃない。俺はあんたの他にも色々な人にも話を聞いたし、もしアサクラさんが見つからなかったら、別の人で試してみるつもりだった。あんたが終わらせてくれたのは偶然だよ。俺もそこまであんたについて知ってる訳じゃないし、ね」

 ナガラは煙草に火をつけた。

「このお話はそんな刑事ドラマみたいなちゃんとした段取りで進んでないんだ。こっちからしたら、マジかって感じ。こんな偶然あるんだね」

「なるほどな」と私は肩をすぼめた。

「つまり、あのマンションの登記簿の所有者の欄に、あんたの名前が記されていたのも偶然という訳か?」

 ナガラは黙って私を見つめた。私が正面から見つめ返すと、ナガラは眉をひそめる。

「……え、マジで言ってる?」

「マジで言ってるとも」と私は腕を広げてみせた。

「あのマンションと土地はあんたのものだ。それもどうせ、あんたが持っているいくつかの不動産のひとつなんだろう? 全く、全部合わせて月にいくら入ってくるのか知りたいものだ」

「参ったねこりゃ」

 ナガラはどこか後ろめたそうに笑った。

「あれが俺の本名だって、どこでどうやって知ったのさ?」

「何、たいしたことじゃない」

 私は言った。

「知ったのは今さ」

 ようやく私の意図に気が付いたらしいナガラは、例の奇妙な笑い声を上げた。


 私はカマをかけた。あのマンションの所有者の名前はナガラでは無かった。全く別の名義だった。それでもそこに何かしらの匂いを嗅ぎつけた私は、ナガラを罠にかけた。で、彼は食いついて吐露した。あの名義が自分の本名であることを。今、私の目の前にいる人物の名が、本当はナガラ キョウスケではないという事を。

 私は、笑いの勢いで落ち着きを失ってその場でふらふらするナガラに向かって右手を差し出し、煙草を催促した。彼はやっとの思いで煙草とライターを握り、力強く私に手渡した。ナガラが「煙草吸わないんじゃないの?」とへらへらしながら尋ねる。私は煙草に火をつけた。

「酒が入ると吸いたくなるんだ」

「体に悪いよ、おじいちゃん」

「全く、興味のない話だな」と私はにやけた。

「マッコウクジラの下あごに生えてる歯の本数くらい興味がない」

 私がそう言うと、ナガラの哄笑が再燃する。私はそれが収まるのを待ってから尋ねる。

「あんた、どこまでが本当のあんたなんだ?」

「いいじゃんそんなこと」

 ナガラが落ち着きを取り戻すように煙を大きく吐き出す。私がは少し考えてから「それもそうだな」と返した。

「一応、民生委員なのはホントだよ」

「働いていない、プーだという事もか?」

「それもホント」

「なら良かった。態度を改めなくて済む」

 ナガラはにやけながら「ひどくない?」と答える。

「まあいいや。俺もさ、色々あってアサクラさんに頼まれたんだよ」

「そのアサクラというのは、()()()の?」

「記憶を無くす前のアサクラさん」

「何を頼まれた?」

「アサクラさんがカギを誰かに渡すのを見届けてくれ、ってさ。渡されたでしょ?」

 私は“みっちゃん”から渡されたカギをポケットから取り出して見せた。

「これの事か?」

「そう、それ」

「ちょっと待て」

 私は困惑する。

「……つまりアサクラは自分が記憶喪失になる事を、前もって知っていたという事か?」

「まあ――」とナガラは歯切れ悪く答える。

「そういう事になるね」

「一体どういう事だ?」

「そこまでは知らないよ」

 私はカギを見つめた。一体どこの――

「どこのカギかは俺に聞かないでよ」とナガラが私の心中を推し量ったように言った。

「俺もそれは知らない。多分もう知る手段もないよ」

「つまり――」

 私は頭の中で話を整理しながら、ゆっくり訊ねた。

「つまりあんたは、俺にこの、何に使うのかすら分からないカギが渡るまでずっと待っていた、という事か?」

「そゆこと」

 ナガラは言った。

「結構大変だったよ。あんたが離れて行っちゃわないようにするの」

「なるほどな」

 私は納得した。

「だから私を旧友に会わせていたのか」

「そ。どうせ手がかりなんてほぼほぼ見つかんないの分かってたしね。それが続いたら、あんたうんざりしてやめちゃうかもって思ったからさ――だからあんたの興味ありそうな事でつないでた」

 ナガラは携帯灰皿を取り出して、自分の吸い殻を放り込んだ。私は吸いさしを最後に強く吸い込み、それが済むと彼の灰皿にそれを押し付けた。

「結局分からない事だらけか」

「いいじゃん別に」

 ナガラは改札前にある、三段しかない小さな階段に座りながら言った。

「世の中そんなもんじゃんね」

 私はため息交じりに「そうかい」と呟いた。

「とにかく、後の事はあんたに任せる。アサクラの家族への説明やら、警察への報告やら、やるべき事はたくさんあるだろ?」

「まあね」

「あの男はどうする?」

「さあね」

「告訴するのか?」

「さあね」

 彼は遠くの電柱を見つめながらそう告げた。私は彼が事後処理をどう行うのか、おおよその見当はついていた。だが、それをあえて口にはしなかった。世の中には()()にならない方が良いものもあるのだ。代わりに私は両手を広げながら、仰々しいしぐさで彼に聞いた。

「それで――これで全部か?」

「全部だよ」

「それならあんたともこれまでだな」

「楽しかった?」

「それなりにな」

 私の言葉を受けた彼は立ち上がって軽く頭を下げる。

「色々とご協力ありがとうございました」

「なんだ、敬語が使えたのか」

 私が冗談めかすと、彼は渋面を作った。

「あんた俺の事、何だと思ってるのさ?」

「それなりの社会不適合者」

 私がうつむきがちに笑うと、彼も同じように笑った。駅のホームに電車が留まる音が聞こえ、そこから降車する幾ばくかの客が私たちの傍を通る。駅前は各々の家路を急ぐ足音でにわかに賑やかになる。私は言った。

「元気でな。ナガラ君」

 彼はもったいぶったような微笑をひとつ見せる。それから私の家とは反対方向の道に歩みを進め、すぐに曲がり角で見えなくなった。それを見届けた私は、じめじめした夏の夜にうんざりしながら、自らの家へと歩いていった。


参考資料

・Starship「We built this city」,1985

・ASIAN KUNG-FU GENERATION「マーチングバンド」,2011

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