Y市M町在住 サヌマの場合③
しばらく我々はY市内での聞き込みに力を入れる事になった。つまりは、私と同じようにY市に残ったかつての同級生のうち、アサクラの事を知っていそうな人物を尋ねて回る――今更その方法で成果が上げられるのかは甚だ疑問だったが、とにかくそういう事になった。
小学生当時、私は友人が多く、それなりに顔が利いた。それが聞き込みの効率を上げてくれたのは良い傾向だった。懐かしい顔ぶれに出会うたびに彼らは私を歓迎してくれ、調査に積極的な態度を示してくれる。
だが、十数件周って成果はゼロだった。我が頼もしき学友たちは誰一人、アサクラの現在を知らない。彼女が行方不明であることは誰一人として知らなかったし、作家になった事さえ知っていた人間はごく少数だった。大人になったアサクラの姿も、ナガラがネットに掲載された彼女のホームページにあるポートフォリオを見せるまで誰も知らなかったのだ。私がそうだったのと同じように。
「――そもそもの話だが」
ある日、私はナガラに居酒屋で尋ねた。
「もっと身近な関係者に話は聞いたのか? アサクラの家族や最近まで付き合いのあった友人や、あとは出版社の人間なんかの仕事上の関係者とか――老人連中から話を聞いたって、せいぜい知れても随分昔の彼女の話くらいだろ?」
「もうほとんど聞いちゃったんだよね」
向かい合って座るナガラは馬刺しを箸で数枚すくい上げ、その全てを口に含みながら言った。
「二年間ぼやぼやしてた訳じゃないよ。役所とか警察とも定期的に連絡取ってるし、出版社とかその手の人たちにも直接会ったり電話したりして――でも、もう粗方聞いちゃったんだよね」
「家族はどうだ?」
「旦那さんは結婚してすぐ離婚しちゃった。一応そっちも聞いてみたけど成果無し。お子さんは娘さんが一人。結婚して吉祥寺に住んでるけど、こっちも何も知らないみたい」
そう言って彼は口の中に残った馬肉をビールで流し込む。
「2週間前にも連絡したけど、音沙汰無しだってさ――それはそうとさ。ここ、美味いね。常連?」
「いいや」と私は応えた。
「仕事を辞める時に、私が担当した最後の客が教えてくれた店だ」
「へえ」
「その彼が経営しているらしいが、入ったのは今日が初めてだ。本当は当人に挨拶したかったが」
私はそこでジョッキを傾けてビールを飲んだ。
「流石にオーナー本人と会える訳も無いか」
ナガラは私の言葉に小さく頷いた。やがて彼は無表情のまま、カウンターの方に顔を向け「すいませぇん」と店員を呼んだ。少しして中年の女性がこちらにやってきて注文を取ろうとする。
「生ひとつ。それと……名前なんだっけ?」
私はナガラのお節介に対し首を横に振った。迷惑がかかると思ったからだ。そんな私をしり目に、彼はニヤケ面をこちらに向け続けた。いい加減うっとうしかったので、観念することにして、かつての客の名前を小さく告げた。それを受けてナガラが女性に「この店やってるさ、ニノマエさんって人、会える?」と聞いた。女性はやや困惑した面持ちで笑い、「申し訳ありませんねえ」と親しみやすい声音で言った。
「ニノマエは滅多に顔を出さないもので――なんせ他にもたくさんお仕事がある人ですから」
「ふ~ん」
「すみませんねえ」
「じゃあお姉さん。ここで一緒に飲みましょうよ。お客さん誰もいないし」
お姉さん。私は心の中で繰り返した。続けて「人たらしめ」と内心悪態をつく。私は
「止めておくんだな」と彼に忠告した。
「紹介されてそうそう出禁にされたくない」
釘を刺されたナガラは「あらやだ」と平板な物言いをした。それを見た店員は声を上げて笑った。
「こんなおばさんじゃなくて、その手のお店でも行って楽しんできたらいかが?」
「おばさんが良かったのに」
諦めきれないナガラに私は「やめておけと言ったろう」と、二本目の釘を刺しにいく。
「酔っぱらいの言う、単なる無価値なたわごとのひとつですよ。どうぞ気にせず、仕事に戻ってください」
すると、どこか満更でもない様子で彼女ははにかんだ。
「お客さんと仲が良い店員もいるんですけどねえ。今日は非番なんですけど、みっちゃんって言うんです。私より年上ですけど、いつもお客さんと楽しそうですよ。けど私は――ねえ? すみませんねえ」
彼女はそう言い残したきり、そそくさとカウンターの後ろに引っ込んでいった。
「あまり恥をかかせるなよ」
私が警告を発すると、ナガラはいつものぼんやりした無表情で私を見つめ返す。彼は口いっぱいに馬刺しを放り込み、馬のような咀嚼の仕方でその味を楽しみながら、「何?」と聞き返してくる。あきれた私は「なんでもない」と言い放ち、思い切りビールをあおった。
それから何の進展もないまま二ヶ月が経過した。季節はすっかり夏に変わり、太陽が癇癪を起こしたように容赦なく大地に熱を叩きつけ、力強く青をたたえる青空には仰々しい輪郭の入道雲が浮かぶ季節になった。
夏は散歩を控えるようにしている。60を過ぎた人間が炎天下のなかで街を練り歩くというのは正気の人間のやる事ではない。必要最低限の外出のみで済ますべきなのだ。
8月のある日のこと。いつも通りの時間に起きて掃除と洗濯をこなし、麦茶を片手に昼前のニュースをぼんやり眺めていると、ふと冷蔵庫の中の食材がほとんど無い事を思い出した。
億劫だった。1日中玄関扉を開けなくて済むのであれば喜んでそうしたい――そう思えるほど外は暑かった。私はしぶしぶ近所のスーパーへ行く準備をし、その間テレビから流れてくるニュースに耳を傾けた。
「大手コンサルの調査によると――」とキャスターの男が軽やかな声で語りかける。
「スマートフォンの普及率は2011年現在で20%超。そのうち、いわゆる“二台持ち“をするユーザーの数は8%という結果でした」
私はそこでテレビの電源を落とした。それから玄関に向かい車のキーを手に取り、玄関扉をゆっくりと開ける。灼熱の真っ只中に放り込まれた私はうんざりしながらも、庭に停めた日産のノートに向かおうとする。その時ふと、我が家の小さな門扉の上に顎と両手を気だるそうに乗せたナガラの姿が目に留まった。私は少し間を置いてから、無感情に「久しぶりだな」と尋ねた。
「1ヶ月ぶりくらいか?」
私の言葉に黙ってナガラは頷く。私は無表情のまま続けた。
「私は良いアイデアだと思うぞ。そのままじっとしていれば、きっと何十年もくすぶったままだったその頭の中まで均等に熱が入って、良い具合に活性化するんじゃないか?」
「よしてよ」と彼は言った。
「せめてそのせっかくな綺麗なロン毛がパーマになるぞ、くらいにしてよ」
ナガラは私の皮肉を躱し、スマートフォンを取り出して画面を私に向けた。暑さを何とかしたくて一秒でも早く車にたどり着きたい私は、半ばイライラしながら彼に近寄ってそれを覗き見る。
「……地図か?」と私が訊くと、ナガラは「そ」とごく短い返事をする。
「有力情報」
「アサクラの、か?」
「そ。ここでそれっぽい人を見かけたってさ。あんたさ、ガラケー?」
「ガラ――何だって?」
「ガラケー。折りたたみ式の普通のケータイ」
「あぁ、もちろんそうだが」
私は自分の折りたたみ式ケータイをポケットから取り出して見せる。
「それが何か?」
「あそ。なら住所教えても地図アプリ見れないか。じゃあ、着いてきてよ。それとも乗ってく?」
ナガラはそう言って、彼の背後にあるミニクーパーを顎で指し示した。私は反射的に「冗談だろ」と難色を示す。
「あんない車に乗るなんてどうかしている」
「じゃ、おたくの車で着いてきてよ」
彼は言うなり足早にミニクーパーに乗り込み、私の準備を待った。
――まだ了承していないんだがな。呆れながらも私はしぶしぶ自分の車に向かった。
私はノートに乗り込み、ナガラの後を追った。しばらく車を転がし、クーラーが良く効いてきくる頃になると、前を走るナガラの車がウィンカーで左折を合図する。私はそれにならい、ひどく狭い道に入る。恐る恐る徐行していると、少し進んだ先でナガラが小さな月極駐車場に入り、その最奥に車を停めた。降車した彼は私の車に近寄り、隣に停めるよう合図する。私は車から降り、駐車場を振り返りながら訊ねた。
「ここに停めても問題ないのか?」
私は聞きながらも、「ああ」とすぐに、とある考えに至る。
「あんたの所有物か」
「そだよ。俺らが停めたとこは契約してる人いないから大丈夫」
「それで――ここに、アサクラがいると?」
私はそれ以上の詮索はやめ、彼に質問する。
「いったい、どこでその話を聞いたんだ?」
「電話がきたんだよ」とナガラは歩きながら言った。
「昨日ヤマグチさんからさ――ほら。板金屋やってる、昔あんたのクラスメイトだったあの太っちょの――」
「あぁ。あのヤマグチか」
それは以前、二人して方々を訊ねて回った時に再開した私の旧友の名前だった。
「てかその人もそうだけど、あんたの方に電話来ると思ってた。俺の方なんだね」
「ヤマグチは当時、私にちょっとした対抗心を燃やしてたんだ。テストの点数やら体育の記録やら――とにかく私と張り合おうと躍起になっていた。どうして私なのか、何故張り合うのかは今になっても分からない。私は別に頭が良かった訳でも、特動神経が特別良かった訳でもないのに、だ」
ナガラが「へえ」と相槌を打つ。私は「理由なんて、本人でさえもう覚えてないんじゃないか?」と、口角を上げる。
「何にせよ今にして思えば、まさにいじらしい、年相応の少年そのものだな。まあ、きっと何か私に後ろめたさでも感じているんだろうさ。小さな子供の頃の話だっていうのに、だ。それで、あんたの方に連絡を入れたんだろう。」
「人間、意外と変わらないもんだね」
ナガラはニヤニヤしながら呟く。
「で、話戻すけどさ。そのヤマグチ少年って15年くらい前に同窓会で見たらしくて、大人になったアサクラさんの顔、覚えてたんだよね」
「ほう」
「そういやあんたは行かなかったんだね、同窓会」
「行ったさ」と私が張り合うように言うと、「アサクラさん、会わなかったの?」とナガラが返した。私は「アサクラが来ていたなんて知らなかったんだ」と釈明する。
「だいたい二人して訪ねて回った奴らだって同窓会に出ていたのが大半だったぞ。ヤマグチやエンドウ、ホリエにアオキ――なのに誰一人その時のアサクラの事を知らない。大体、同窓会に出ておいてほとんど誰とも話さないなんて、そんな事あり得るのか? 折角、数十年ぶりに再開するというのに」
「あんた自分で言ってたじゃん。地味で印象が薄い子だったって」
「ならどうして同窓会になんて参加した? 誰かに呼ばれて仕方なく、か? それなら呼んだ奴がいるはずだろう? それすら誰も知らないなんてあり得るのか?」
「さあね」とナガラは突然興味を失ったような口調で言った。
「とにかく、ヤマグチさんは覚えてたらしくてさ。同じような顔を二度見たことがあるって電話で教えてくれたんだ」
「二度?」
「一度目は覚えてないけど、どっかのお店でだってさ。二度目はこのH町の駅前にあるコンビニ」
「コンビニって、あのファミリー・マートか?」
私が歩きながら前方を指指すとナガラはゆっくり頷いた。H駅前の非常に小さなロータリーに面した、数少ない店舗のひとつ。他にも店はあるがとりわけ注目に値する物は無い。せいぜい売り場面積が20平米にも満たないほど小さな本屋や喫茶店、狭小な焼き鳥屋といった小さな店がぽつぽつと点在するのみ。ファミリー・マートもそのうちの一軒だった。
「このコンビニの前で見たことあるってさ」
ナガラは店の前で立ち止まり、コンビニの看板を見上げる。私も彼に倣って同じようにした。
「この辺りに住んでいるのかもしれないな」
私は咳払いした。
「一体どういう理由でそうなったのかは知らないが――」
私がこの話を聞いた最初の印象をひとりごちると、「ねえ」とだしぬけにナガラが私の肩を叩いた。
彼はすぐ隣にある駐車場の隅を見つめていた。私も同じ方向に振り向くと、その駐車場脇に停めてある自転車のそばに、見た事のある顔がある事に気が付いた。アサクラだった。その人物は何やら不自然な手つきで自転車を探り、落ち着きのない様子でその車体をじろじろ眺めている。ナガラがつぶやいた。
「――あの人じゃない?」
「どうやらそのようだ」
私は目を細めた。
「案外あっけなく見つかったな」
「行って話してくるね」
ナガラは私にそう告げ、せかせかとアサクラに近寄る。その途中、ふたつの事が同時に生じた。ひとつ。アサクラにあと数メートルで接触する、という頃合いにナガラが「すみませ~ん」と声を上げた。ふたつ。それとほとんど同じタイミングで、アサクラが目の前の自転車からサドルをすっぽ抜いた。そのふたつが同時に起こり、同時に終わると、今度はアサクラが勢いよく顔を上げて目をかっと見開き、すぐ目の前までやってきていたナガラの顔をまじまじと見つめた。あまりにタイミングが良すぎたせいで何が起こったのか分からなかったのだろう、その顔つきは明らかに状況の理解に努めようとしている困惑の色でいっぱいだった。それから何を思ったのか、アサクラは慌てた様子でナガラから後ずさり、サドルを腹に抱えて車道に飛び出し、そのまま走り去ろうとする。すぐに状況を理解した私は、「おい! 逃げられるぞ!」と大声でナガラをけしかける。しかし彼はゆっくり振り向いて「これ、何が起こってるの?」と呑気な声で私に尋ねる。私はいら立ちながら頭を掻いた。
「サドル泥棒だ!」
私の一声にようやく合点がいったナガラは、すぐに遠ざかっていくアサクラの背中を追いかけ始める。
「実在するんだね、サドル盗んでく奴なんてさ」
半身をこちらに向け、自らの感想を述べながら走り出すナガラ。出足でぐずぐずしたせいでかなりの距離がある。追いつけるのか? そんな私の不安をよそに、ナガラの脚力は目覚ましかった。彼は見る見るうちに加速し、あのアサクラに追いつく。やがてここから数十メートル先にある線路の高架下で、アサクラはあっけなくお縄についた。
参考資料
・Starship「We built this city」,1985
・ASIAN KUNG-FU GENERATION「マーチングバンド」,2011




