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Y市M町在住 サヌマの場合②

 私はしばらく黙り込んでいた。すぐ側の小汚いミニクーパーのウィンドウをちらと見やると、自分の姿がぼんやり移りこんでいる。私が想定している姿より、老け込んで見えた。きっと白髪が入り混じっているせいだ。そういえば最後に白髪染めをしたのはいつだったか。私が目の前の厄介事と並行でそのような事を考えていると、ナガラは吸っていたタバコを携帯灰皿に放り込んで私に言った。

「アサクラ アキコさん。覚えてない? っていうか、どこ行っちゃったか知らない?」

 試すような口ぶりだった。まるで私がその失踪とやらに一枚噛んでいる事に、こちらは既に気がついているぞと言う、退路を塞ぐ為の警告が含まれた言い方だった。


 アサクラ アキコ。私はその名前を覚えている。正確には思い出したと言うべきだが。何せ私と彼女との間には、ほとんど接点がない。それこそ我々が小学生だった頃――実に40年以上前――に何度かクラスメイトだった程度の付き合いしかない。今となってはほとんど他人と言ってもいい。

 思い出せる事といえば、彼女がおかっぱ頭で、それから丸くて大きな分厚いレンズの黒縁メガネをかけていた事。それから6年生の時に卒業文集の係か何かに二人して選ばれたくらいだった。

 私とアサクラは当時、クラスの卒業文集の管理者に選ばれた。アサクラは自ら希望して。私は担任や友人に半ば騙される形で。

 懐かしいものだった。ガリ版印刷で生み出された文集。そこに込められた、親しい学友らの想いの数々。次の時代に想いを馳せる純白の光明。希望に満ちた光の洪水――今思えば、作業は途方もなく骨の折れる作業だったにも関わらず、そこにそれなりの意義を見いだせる程度には前向きに取り組んでいたのを覚えている。当時の私は今ほど世間擦れしていなかったのだ。


 しかしそんな古き良き思い出の中にも、彼女の姿はほとんど登場しなかった。恐ろしく地味な子で、いつも自由時間になると教室を抜け出して、図書館かどこかへそそくさと行ってしまうような、引っ込み思案の子供――それが私の持つ、彼女への印象だった。

 結局、卒業文集の事について彼女と話し合う時も、必要以上の事は喋らなかった覚えがあるし、もっと言えば彼女はひどく口数が少なく、その仲介役を当時の担任が担った事もあって、私はほとんどその先生とのみ会話していたように覚えている。当時は何も感じなかったが、これでは覚えているものも覚えていまい。まるであの時の私は、どこか遠く離れた別の国の人物とやり取りをしていたようなものだ。その人物の意向を告げる代理人と私とで仕事を進めたような、そんな決定的な隔たりがそこにはあった。


 これが私の中のアサクラ像。私の人生における、現れては消える数多の人影のひとつ。扉を開けて束の間、私の部屋で過ごし、やがて出ていく有象無象の一人。どんなに記憶の底をさらってみても、それ以上の情報は出てこない。


 私が口を開いたのは、ナガラが2本目のタバコに火をつけた時だった。

「知らないな」

 ナガラは私を見てわざとらしく眉を潜める。私はそれにまた苛立ちを覚えながら続けた。

「確かにあんたの言う通り、遠い昔にそんな子がクラスメイトにいたのは覚えている。だが、ほとんど覚えていない」

「ふ~ん」

「このY市に住んでいるのも、今知ったくらいだ。行方不明なのか?」

 私が問いかけると、ナガラは素っ気なく「そだよ」と応えた。

「二年くらい前からかな? アサクラさん、一人暮らしだったんだけどさ。ずっと家に帰ってないみたいだって、近所の人とか友達とかが言い出したんだよね。出版社の人もその時を境に原稿が途絶えて困ってるって言ってたよ」

「……出版社?」

 私は不意に現れた物々しい単語に引っかかりを覚え、反射的に尋ねた。ナガラは煙を足元に向かって吐き出しながら、またしても「そだよ」と言った。

「アサクラさん、作家なんだよ。言ってなかったっけ?」

「いいや」

「あそ。児童文学の作家さんなんだってさ。知らない?」

 なるほど、と私は妙に合点がいった。あのようなタイプの子であれば、確かに作家という職業がしっくり来る。

「初耳だ」と私がぼそりと言うと、ナガラが頷く。

「結構有名みたいよ。『みっちゃんと魔法使いの習い事』って知らない?」

「いいや。だがどこかで聞いた覚えはある」

「アサクラさんの代表作。アニメにもなってるよ。小学生の女の子と男の子が魔法使いの習い事に通って、町で起こる不思議な事件を解決する話。見たことないけど、名前は俺も知ってる」

「ああ、あれか。思い出したよ」と私は少しして言った。

「当時まだ小さかった息子が熱心に居間のテレビでそれを見ていたのを覚えてるよ」

「へえ」とナガラが感心するように言った。私は記憶を探った。

「たしか低年齢向けの、ジュブナイルものさ。小学生の女の子と、放課後に魔法使いの習い事に通っているクラスメイトの男の子の話だったか」

 私が言い終わると、ナガラは私の方を見やって無言の内に続きを催促する。私は肩をすぼめて否定の意を示した。

「悪いが、これで全部だ。もう何十年も前に居間で流れていたアニメの事なんて、ほとんど覚えてないぞ?」

「あそ」とナガラは気落ちしたように素っ気なく返事をする。


「でさ、その行方不明の児童文学作家さんなんだけど――吉祥寺に住んでる娘さん夫婦からも捜索願いが出てるんだ。でも結局なんにも掴めずに二年経っちゃった」

「警察に任せておけば良い」と私は言った。

「そんな事、あんたが無理に背負い込む必要ないだろう?」

「そうはいかないんだよね。だってさ――」

 ナガラはそう言いかけて黙り込み、タバコを携帯灰皿にしまう。不自然だった。何か言いたくない事があるのだろう。それを察した私は、少しだけこのナガラという男に興味が湧いてくる。もちろん今のも、人の好奇心を刺激するこいつなりのやり口なのかも知れない。私は警戒しながらこう尋ねた。

「――あんた。普段は何をしてるんだ?」

「ニートだよ」

 あっさりとした返答だった。ニート――働かず、求職の為の行動も起こさない若者。ここ数年ニュースでしばしば耳にするワードだ。私は頭を抱えた。

「無学で恐縮だが――これはちょっとした興味本位で尋ねるんだが、民生委員とはニートでもなれるものなのか?」

「多分無理じゃない?」

 彼はまたしてもあっさりと告げる。

「だって、なるには誰かの推薦が必要だもん。なれる訳ないじゃん」

「……だが現にあんたは民生委員だという。随分と話が矛盾しているとは思わないか?」

「それはね、俺が働かなくても生きていけるどころか、どっちかといえば贅沢な暮らしが出来るほどお金、持ってるからなんだよね」

 私は得心がいった。

「なるほど。不動産か何かか?」

 私がそう尋ねると、ナガラはにやついて「正解」と答える。

「前は働いてたんだけどさ。最初は小さい土地が格安で手に入る話を聞いてさ。で、それを手始めに色々売ったり買ったりして“転がして”みたんだよね」

 このタイミングで彼はまたタバコを手にとって火を付ける。

「そしたら気づいたらこうなってた」

「運の良いことで――それで、民生委員には何故?」

「家賃収入やらで働かないで良くなっちゃったし、暇だった。それにこの街の事、それなりに気に入ってたんだよね。よくお世話になってるS街の弁護士さんがさ、民生委員の人と仲良くてさ。その人、普段は不動産関係のコンサルやってる人でさ。たまたま紹介受けて会って、その人と仲良くなったら誘われたんだよね。自分はもう任期の3年経つし、忙しくてこれ以上やれそうにないしで再任もしない、って。それでその人の推薦で入った」

――これ以上は尋ねなかった。頭がひどく痛い。こいつの身の上話にまともに付き合うべきではない。そもそも不労所得がある人間は本当のニートでは無い。何をもってそこまで自信満々に自称したのか。


 私は「もう充分、分かったよ」と、深いため息をついた。

「君がどういう人間か、さ」

「ちょっとうらやましい?」

「いや――個人的には、あまり近寄りたくないと感じる人種だね」

「ひどくない?」

「ただのニートのほうが数倍マシだ」

「そこまで言っちゃう?」

 そう言ってナガラは不気味な声で短く笑った。それからすぐに彼は「……それでさ」と話しを続けた。

「協力してくれない? アサクラさん探すの」

「何故だ?」

 私は当然の疑問を口にする。

「面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだよ。悪いけどね。第一にだ――」

 私は強調する為に一旦言葉を区切った。

「第一、民生委員は業務で得た個人情報を部外者に口外出来ない。いわゆる守秘義務が課せられているのではないかな?」

 彼らは地域の相談役という役柄ゆえ、多くのプライバシーに触れる。担当した地域の住民の家庭環境や懐事情、持病や個人的な悩み、エトセトラエトセトラ――それらのほとんどは、他人に知られたくないような、秘匿されるべき事実と言える。故に職務上で得たそのような情報は、容易に第三者に開示する事が出来ない。にも関わらず、こいつはいとも簡単にアサクラの個人情報をぺらぺらと私に伝えた。まともな民生委員のやる事とは到底思えない。

 私が眉をひそめていると、この男は悪びれもせず「そうだよ」と、ぼやいた。

「良く知ってるね」

「それくらい知っているさ――さて、ナガラ君とか言ったかね? 私がこのまま然るべき所に出向いて、私がどのような“やくさ民生委員”に出会ったかを告げ口したら、君はどうなる?」

 そのような警句を私が発すると、どういう訳か彼は大層喜んだ。

「終わりだあ」

 突然、ナガラは例の不気味な笑い声を上げる。今度は長い笑いだった。こんな声を聞くのは初めてだった。まるで未踏の地に潜む未分類の鳥類が、自身の縄張りに踏み入った者に発する警告の鳴き声のような、おぞましいものだった。私は思わず彼から一歩引き下がった。彼はそれを見逃さなかった。彼はその細い目を上目遣いにして私を見る。

「そんなどうでも良いことは置いておこうよ」

 ナガラはそう言って咥えたタバコを吸い、白い煙を足元に吐き出す。

「俺はあの人を探したい。それだけなんだ」

「なぜ私なんだ? どうして私の事を知っている?」

「理由はあるようで無いようでだよ」とナガラは返した。

「とにかくあの人の事を少しでも知ってそうな人を調べたら、あんたにたどり着いた。Y市に残ってる他の候補の人にも頼んでみたんだけど、あんたみたいには取り合ってくれなかったんだよね」

「取り合ったつもりはないよ」と私は呆れて言った。

「ただの世間話さ」

「それでも俺のこと不気味がってこんなに長い時間話してくれなかったんだよ。失礼しちゃうよね」

「その"なり”を改めるという発想には、二年間で行き着かなかったのか?」

「だって面倒じゃん」

「最低限の面倒なことを、面倒がらずにきちんとやるのが世間一般でいう一角の社会人だと学ばなかったか?」

 私が指摘すると、彼は黙り込んでニヤニヤしながら俯いた。

「まあいいじゃん。でさ、面倒だから先に全部言っちゃうけど、民生委員の"つて"を使って調べたんだ。あんたがアサクラさんの同級生だった事とか、ずっとこの街にいて、今はこのM町に一人で住んでる事とか――」

「――街中を散歩して回っている、徘徊老人予備軍だって事もか?」

 私が遮り気味にそう言うと、ナガラが奇妙な短い笑い声を上げた。

「ううん、それは知らなかった。あんた徘徊老人なの?」

「どうかな」と私は吐き捨てるように言った。

「見る人による」

「何か哲学的だね」

 彼があまりに興味がなさそうにそう告げるので、私は思わず鼻で笑ってしまう。

「いや、実に科学的さ。目に見えないほどミクロな世界では、出来事が見る人によって異なって観測されるらしい」

「うわ、それ超、興味――」

 彼はわざとらしくセンテンスを区切った。

「――超、興味ないや」

「そうだろうな」

「マッコウクジラの下顎に生えてる歯の本数くらい興味ないや」

 彼が今ひとつピンとこない例えを出す。だがその言葉の印象とは裏腹に、私はいつの間にか笑っていた。


 無意識だった。私は自分でも戸惑っていた。笑いを抑えることが出来なかった。例え話が面白かった訳では無い。これは彼が生み出した、この場の空気感そのものに対する笑いだった。ここまでの話で積み上げられた現実的な問題へ対する思惑と、この瞬間に発生した馬鹿馬鹿しさの落差。それらが生み出す超現実的とも言える空虚さと、どこかが致命的に欠落したまま話が進む、皮肉めいた状況。私は知らず知らずのうちに、このぬかるみにまんまと足を踏み入れてしまったのだ。これも彼の意図したシチュエーションなのだろうか。

 かまうものか。もう失う物はほとんど何も残っていないじゃないか。であれば自らと全く異なる物語に、その身を預けてしまってはならない理由は無いように思われた。


 こうして私は単なる興味本位と、精神的自己保身ともいえるその場の勢いで、彼の助力になる事を決めた。


参考資料

・Starship「We built this city」,1985

・ASIAN KUNG-FU GENERATION「マーチングバンド」,2011

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