Y市M町在住 サヌマの場合①
先月、妻に先立たれた。私の3つ下で55歳だった。
早すぎる死だった。原因は動脈瘤の破裂によるクモ膜下出血。よく晴れた9月の夕暮れ時、ちょうど近所のスーパーマーケットへの買物途中で起きた出来事だった。その出血量を見るに、ほとんど即死に近かったらしい。痛みや苦しみを知らずに旅立ったであろうというその診断結果は、失意に沈む私の心の痛みをいくばくか和らげてくれた。私が早期退職によって、ありとあらゆるしがらみから解放された、その半年後の出来事だった。
2008年の秋。遠くアメリカから海を渡ってきた大不況の煽りを受け、私が務めていたY市の繁華街であるYC街にある不動産会社も、その荒波に打ちのめされる事になった。
我らが街の貢献者。縁の下の力持ち。我が麗しのI不動産――その被害はアメリカの企業ほど深刻ではないとはいえ、無視できないレベルに達するだろうという試算が導き出されたのは、それから数ヶ月先の事だった。
それは紙上に滴り落ちたインクのように、時間をかけてじわじわと会社の内部にそのどす黒い染みを広げていった。
すぐにいくつかの有価証券が紙くずに変わり果て、内部留保のいくらかが被害を被った。それらはまるで癌に冒されたように、唯一の寄る辺であるその価値を食い散らかされ、気がついた時にはもう会社が早期退職者の募集を初めていた。
その先陣を切る形で、当時58歳だった私は長年勤めあげた古巣を旅立った。もうこれ以上ここにいる理由もない。であれば若い人間に席を譲ることにしよう。そう思ったのだ。退職金の条件も悪くない。
今が決断の時だった。退職公募の進捗が思ったほどではなかったことを把握していた私はひとつの条件を出した。最後の半年間を現場仕事に回す――営業でもそれに付随する現調の仕事でも何でもかまわない――とにかく最後に一度、外回りがしたいと要望を出した。それは意外なほどにすんなりと受理され、私は最後の瞬間が来るまでの数ヵ月間、数件の顧客対応を任された。
最後の出勤日、私は自分の仕事場がひどく無愛想に見えて仕方がなかったのを今でも覚えている。それは今まさに、すべてが過去のものになろうとしている合図でもあった。その瞬間の何とも形容しがたい感覚――自分がこの場所にいる事が心の底から不思議に思う感覚――私はそれをよく覚えている。
それでも仕事はきっちりやり遂げた。後腐れのないように、一ヶ月に渡って私が見ていた最後の顧客――アパートの一室を探していた、私と同じ年頃の男――も、きっちりその日に成約を結び、引き継ぎも入念に行った。彼はほとんどピンポイントであるマンションの一室を購入した。その挙動はどことなく不可思議だった。だが時間の問題もあり、私はそれを深く追求しないことにした。管理会社や大家への最終確認などの業務は後任に任せざるを得なくなったが、とにかく形になったのだ。最後の日、その顧客は営業所の軒下で私にこう言った。
「長い間本当にお疲れ様でしたねえ、サヌマさん。あなたに案内してもらえて本当に助かりましたよ。今回の件は少々ワケありでしてね。あなたのように仕事に忠実な勤勉家に担当して頂いて何よりでしたよ」
その男はそう言って、シワひとつ無いジャケットの内ポケットから、自らの名刺を私に手渡した。
「たしかお住まいはM町の駅前でしたね? 少し距離はありますが、もし退職後にお暇なようでしたら、是非そこにいらしてくださいな。YC街で私の経営する小さな居酒屋なんですが……なに、損はさせませんとも、ええ」
私は名刺の裏に印刷された居酒屋の地図を眺めながら、「これはありがたい」と言った。
「ぜひ一度伺わせて頂きますよ。ちょうど退職後は時間を持て余しそうだ、と思っていた所です」
私がそう言うと、男は黙って目を細め、私に握手を求めた。彼の手を握りながら私は興味本位で“ワケ”とやらをそれとなく探ってみたが、彼は不敵に笑うだけで何も言わず私に背中を向け、流麗な足取りで駐車場に止めたBMWに向かっていった。
このようにして私はささいな中小企業の勤め人から、少しだけお早い老後を楽しむ人間の一人へとその身を翻した。あらゆる属性と記号を返上した、単なる一個人へと。
今や私は自らの歴史上、最も生まれた時の姿に近い存在になった。その矢先に妻が死んだのだ。こうして我が老い先短く他愛のない人生は、突如として二段階の変化を余儀なくされた。
私は時間をかけて、この生活を受け入れていった。大半の期間は、長年連れ添った妻を失った事実を理解する事に使った。今では全てを自分一人で行わなければならない。あらゆる選択権が私に集中し、生活上の義務の全てが私にのしかかった。ようやくそれも慣れてくると、今度は新しい生活にその身を少しずつ適応させていった。
次第に私には何をすべきかと、何をすべきでないかの二つに物事を分ける技術が身についていった。それは世間への再適合だった。そして何をするのも(何をしないのも)自由なこの状況自体を、私は第二の人生として解釈することに成功していた。
そればかりに、それからの私の趣味が散歩になったのは偶然ではなかった。私は歩き続けた。暇な時間――つまりは日中のほとんどを意味する――を探しては、様々な場所に赴いた。自分が生まれ育ち、生活するY市の至るところへと。
その内省的巡礼ともいえる行動は初め、私自身の記憶から連想される場所から始まった。自宅の周辺にある公園。遠い昔、両親と住んでいた地区。かつて通っていた学校。現役時代に私が契約を交わした戸建てやマンション。亡き妻や息子と訪れたことのある商業施設やレジャー施設――
私はそうやって思いつく限りの場所を歩き続けた。やがてその候補地も尽きると、私の行動範囲は無秩序に広がっていった。Y市の東に位置する岬の海岸や灯台(流石にここは徒歩で行くのが困難だったので、車を使った)。米海軍の駐屯基地前(電車と徒歩の半々)。K街の商店街(こちらはバスで現地入り)。その商店街にある小さなオンボロビルの二階、ありえないほど急勾配の階段を上がった先にある小さな喫茶店(きまぐれで入店した。名前はもう忘れた)。
私はそれらにささいな意味を与えて回った。私と街とを紐づける、ごく狭小な範囲のみに通用する相関関係。それは現役時代、不遜にも街の発展に寄与する謙虚な仲介人と密かに自負する、ひどく自惚れた若輩者が街を見る時の目とは異なっていた。立地や条件、土地の展望といった経済上の価値で測るのではなく、もっと身近でよりシンプルな視点――言うならば“裸の目”を通して、私は訪れる場所や景色に一方的な物語を付与していった。
ようするに私は世間との繋がりを欲していたに過ぎなかった。私という人間が未だここに存在しているという裏付けを。自分がこの世界と繋がっているという確証を。自らと縁のある場所を通して、世間と自分自身との距離を確かめたかったのだ。今さら言うまでもなく、晩年を間近に控えた人間が何かを求め、みっともなくさまよい始める事は、おそらく至極当然の流れなのだ。そして大抵の場合、ある時点でその懐古的巡礼は終りを迎える――そのようなものなど最初から存在していないという事に、どこかの時点ではたと気が付くのだ。
そう考えると私の場合は随分ましと言える。何せ私自身が、自分に不釣り合いかもしれない尾ひれを自分勝手に付けて回っている事に、少なからず気がついていたのだから。
これが私の新しい人生。私を構成する血や肉に紛れる含有物。我が麗しの、蛇足と断裂の物語。
そのような生活を続け、妻が死んでから2年が経った。私が一日のうちでやるべき事――掃除、洗濯、ゴミ出し、各種公共料金の支払額の確認、カード利用履歴の確認など――を済ませると、その日も午前中から散歩に出かけることにした。
私が玄関を出て前庭の門扉に掛かった錠を上げ、5月の温かい陽気の中に繰り出すと、すぐにその日はいつもと違う事が起きつつある事に気がついた。築40年の我が家――二階建ての築古一戸建て――のすぐそばの道路脇に、見知らぬ車が停まっていたのだ。
2ドアのミニクーパーだった。持ち主は頓着が無いのか、車体はひどい有様だった。かつては鮮やかな白一色だったであろうボディは所々が風雨でくすんでいるし、フェンダーやサイドのあちこちに乾いた泥がこびりついたまま。おまけにヘッドライトは遠目からでも曇りきっているのが分かるくらい劣化している。
見覚えの無い車だった。向かいや隣の家の物でもない。私がしばらく立ち止まってその車を眺めていると、「あのお」と、気の抜けた低い男の声が聞こえた。振り向くと口周りに無精髭を生やした痩せぎすの男が電柱の脇にぽつんと佇んでいた。
まるで幽霊のような風体の男だった。一見して年齢は30代後半かその手前。頬や首周りは病的なまでに骨ばっていて、着ているくたびれた薄手のグレーのジャケットの縁から伸びた手首や指先は恐ろしく細い。額の中央で分けられた長い黒髪は肩に着くほど伸びており、狐のように細い目と相まって、ひどく胡散臭く見える。
「あの~、聞こえてる?」
私の目を真正面から見据えながら、彼はそのような、状況的皮肉に満ちた問いかけを投げる。その活気の無い気だるげ声は、私の神経を逆撫でした。
突然のことに私はどう対処すべきかまごついた。いずれにせよ、不用意に下手な事を口走るべきではないだろう。こんな奴にやすやすと私の情報を与えるべきではない――そう私が判断して黙っていると、その男は察したのか、違うやり口に変える。
「あ、ごめん。いきなりこれじゃ普通に怪しいよね」
その男はそう言って、胸ポケットからマイルドセブンのタバコを一本取り出して火を付け、煙を吐き出した。
「変な勧誘とか詐欺とかじゃないよ。俺はナガラ キョウスケ。民生委員ってやつ、やってるんだ」
「……民生委員?」
私は嫌味をたっぷり湛えた言い方で、眉を顰めながら尋ねた。
かまうものか。ここはこちらが警戒している事をはっきり態度で示すべきだ。お前のような者が出る幕ではない、と。
私の態度が大層お気に召したのか、彼はうつむきがちにタバコの火を見つめながら口角を上げ、にやりと笑う。ここまで無表情だった彼に訪れた、僅かな変化――駆け引きの時間を告げる合図。彼はまたタバコを一口吸ってから「公務員だよ」と言った。
「地域の相談役。知らない?」
「知っているさ」
私はため息混じりに返した。
「地域の年寄りや子供たちや、あとは一人親なんかの事情を抱えた世帯が、しかるべき保護や行政サービスを受けられるよう案内する――ちょうど役所の窓口みたいな連中だろう?」
「そうそう。正確には窓口に連れて行く役ね」
薄っぺらいその言い草に、私は余計にいらいらする。こんなだらしのない格好で、初対面の住人の眼の前でタバコ片手に、しかも敬語のひとつも使わずに物を尋ねようとする人間が行政機関の手足を名乗り出る、そのおこがましさに。
だがそれは彼の薄弱な言葉が、ある程度真実を述べている事を逆説的に裏付けていた。人をたぶらかそうとする人間が、わざわざこんな不出来な人間を装うとは考えにくい。あるいはそれも彼の編み出したドラマの演出なのかもしれないが、少なくとも私は彼の問いに応えてやろうという気になった。そうしてすぐにでもこの場から立ち去ってもらおう、と。だが、まだ確かめておかなくてはならない事がある。私はうすっぺらい笑みでこちらを見つめる男に向かって、ひとつの指摘を投げかける。
「……あんた、ナガラ君と言ったかな? 私が知らないと思ってわざと公務員の所で話を止めただろう?」
「公務員ですけど」
男は悪びれずにそう告げた。私はまたしかめ面にならざるを得なかった。
「立場上は、だろう?」と私はすぐに指摘する。
「実際は職業じゃなくて、無報酬のボランティアだろう。大抵のケースだと退職者か、何か別に職を持っていて、かつ時間に余裕のある人間のはずだ」
「だから公務員だって言ってるじゃない」
私は我慢の限界だった。いい加減用件を聞いて今すぐに消えてもらおう。
「らちが明きそうにないな。まあいいさ! それで? そのようなご立派な方が私に何の用が?」
「アサクラさん」
彼は私の問いに間髪入れず、私をまっすぐ見つめながらはっきりと答えた。
「覚えてる? だいたい50年前、U小学校であんたと同級生だったアサクラ アキコさん」
私が記憶を手繰り寄せ、その名前の人物を思い出そうとしていると、続けざまにナガラがこう言った。
「行方不明なんだよね、その人。2年前から」
参考資料
・Starship「We built this city」,1985
・ASIAN KUNG-FU GENERATION「マーチングバンド」,2011




