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同市I町在住 マスダの場合④

「どんな事にも意味ってあると思うんですよ」

 また別の日、ベンチに座ったマツモトが俺に言った。

「だってそうでなきゃ、人間が人間でいられないじゃないですか」

「突然なんだ?」

 俺が苦い顔を見せると、マツモトは自分の顎に手をやった。

「人間って意味を見出す生き物じゃないですか」

「え、そうなの? お母さん初耳」

「お母さんじゃないです。そういう側面もあります。だから人間の行いって、常に意味が付きまとうんですよ」

「へえ~勉強になるなあ」

「意味があるから人間がいる。人間がいるから意味が生まれる。だから意味の無い事なんてありえないんです」

「……で、なんでそんな話を今する?」

「導入部です」

「なんの? 起業セミナーか宗教勧誘の?」

「後者です」

「勘弁してよお」

「嘘です。これから話したい気分になりそうだったので」

「どうぞどうぞ」

「今なりました。ラジオ局で働くお姉さんの話です」

「どうぞ」

 マツモトが話し始める。Y市にある小さなラジオ局、FMKブルーでの話だ。俺はラジオを聴かないからそんなラジオ局が地元にあったなんて初めて知った。

そこで働く人と、不思議な空間の話。それと――

……いや、そんな事はどうでもいい。


 良く分かった。もういい。もう充分だろう?


「なあマツモトさん。こんな意味の無い話はやめにしないか?」

 マツモトの話を聴き終えた俺は、マツモトと正反対の方を向きながら言った。

「そうだろ?」

 マツモトの反応は無かった。まるで聞こえていないみたいだった。隣にいるのに、兵庫と青森くらい離れているみたいな感覚だった。

 何だよ。何か言ってくれよ。でないと何かこう……不安になっちゃうだろ。


 俺の切実な願いとは裏腹に、マツモトは何も言わなかった。

 長い時間が過ぎた。5分、10分、15分――不思議と苦じゃなかった。それも当然か。俺はマツモトが次に何を言うか何となく分かってるんだから。


 とうとうマツモトが言った。

「不安ですか?」

「まぁね」

「でも意味はありましたよ」

「そうさねえ」

「最初にそう言ったじゃないですか」

「きっと――」

 俺は目を閉じた。

「――きっと俺は誰かに言われるのを待ってたんじゃないか? そりゃ不安だ。正直怖い。でも俺が感じてる不安ってさ、それを言われることとか、それで俺が本当の事を知る事に対して感じてるヤツじゃない気がするんだ。俺が感じてる不安っていうのは――」

 俺は言葉を区切った。

「――まあいいや。良く考えたらあんまり興味ないや」

 マツモトはほほ笑んだ。誰も乗ってないブランコに向かって。俺は愉快で仕方なくなったので、思い切り笑ってやろうと思った。けど出来なかった。まだ始まってもいません――頭の中であの時のマツモトの声が響いた。

 そうだな。始めようか。


「俺のバイト先の名札さあ。ずぅっと俺の名前、間違ったままなんだよ」

 俺がマツモトを見ながら話を始めると、マツモトがゆっくり振り返って、丸っこい目で俺を見る。俺は続けた。

「ひどくない? 何度も直してくれって言ってんのにさあ」

「本当の――」

 マツモトがゆっくりと、まるで確認を取るように訊ねる。

「本当のマスダさんの名前は?」

「……増田。“増える”に“田んぼ”、って書いて、増田」

 俺の言葉も区切り区切りになる。「違う」とマツモトが否定する。

「本当のマスダさんの名前は?」

 俺はようやく思い至った。

「……益田。利益の益に田んぼで益田。そうなのか?」

 俺がそう答えると、彼女は少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。深夜の暗がりが少しずつ白み始める、その一瞬とも言えるほど短い、その日最初の光が徐々に空の半分を覆っていく。マツモトはまた、確認するかのようにゆっくりと深く頷く。

 考えが上手くまとまらない。なんだこりゃ。まるで――

「――まるで自分が自分じゃないみたい?」と、マツモトが俺に訊ねる。俺は深くため息をついて、「まさに今、ちょうどそんな感じ」と返す。

「こりゃ何だ? 近くで危ないお香でも焚いてんの?」

「そうですけど……やめますか?」

 ニヤケ面でマツモトが言う。俺も何か冗談で返してやろうと画策したが、思いつかなかった。

「いや、いいや。それで――俺いつからこんなんなっちゃってるの?」

「先週」

「あ、そ。この()()()は結局どなた?」

「あんまり詳しくは知りませんけど――多分、大学生さん」

「やっぱか」

「Y市の歯科大学の一年生だと思います。先月入学したての」

「何でこうなっちゃった?」

「あなたは〝誤ってつながった“んです」

「何それ?」

「ラジオ局員のお話」

「あ、そんな話あったなあ。っていうか、今までしてた話って創作じゃないのか?」

「さあ。どうでしょう」

「マジか。少なくとも俺のおじさんの話は完全創作だったのになあ」

「本当に分かんないんですよ。記憶喪失のおばあさんのお話とか、劇団のお話とか――全部聞いた話ですから」

「誰に?」

「それは後回しです。とにかく増田さんは益田さんに誤って“つながって”しまって、それで増田さんが益田さんの意識を――」

「……ごめん、マスダづくしで全然理解追いつかないや」

「……まっすんは」

「ここにきてあだ名付けてくれるんだね。お母さん嬉しいわあ」

「お母さんじゃないです。そこは、“どっちがまっすん?”って聞くとこでしょう?」

「……俺がまっすん?」

「そうです」

「やったぁ、大正解。一点獲得」

「獲得してないです。続けます。益田さんはまっすんにつながってしまい、特定の時間帯だけ意識が入れ替わってたんです」

「え、ようするにバイト専用人格って事、俺?」

「事実上の」

「事実上の、か」

「思い返したら違和感、ありませんか? 特に最近」

「おおアリだわ。部屋の中に見覚えないもの増えたり、知らん人間から話しかけられたり、LINEがちぐはぐだったり」

「つながった時点では、益田さんの記憶も少しだけまっすんの頭にあったんでしょうね。どこに住んでるとか、どういう生活をしてるかとか」

「あぁ、なるほどねえ。その後に更新されないから、それで段々おかしな事が増えてったのに気づいたのか」

「そういう訳です。これが現状です」

「そっかぁ」と俺は他人事のように言った。だがこれで全てがつながった。


……何がつながったか。それはつまり――

「つまりまっすんは、もう死んでるって事かあ」

「それは……」

 マツモトが目を伏せる。大丈夫、お母さん分かってますよ。俺は言った。

「それはどっちのマスダ? って()()()俺に質問するとこでしょうが」

「……そう、でしたね」

「いやあびっくりだねえ。まさか幽霊は俺の方だったなんて。シックス・センスみたい」

「何ですかそれ?」

「え? 知らんの? もったいないなあ。映画だよ」

「映画?」

「そ。ブルース・ウィリス主演の。って最近の子は分からんか」

「まっすんと四つしか違いません」

「そうだったか。とにかくおススメの映画だ。見て損はない。あっと驚くラストは特に必見」

「けどさっき――」

「……あら、オチ言っちゃったわぁ」

「聞かなかったことにします」

「是非、聞かなかったことにして――でさ、俺いつ死んだの? 俺って何者?」

「さあ」

「マジか」

「その辺にいる野生の霊魂」

「ボール投げたら捕まえられそう?」

「捕まえられません。けど――」

 マツモトはゆっくり立ち上がった。

「――今まっすんの頭の中にある自分の記憶は、本物だと思います」

「泣けるねえ。でも――」

 俺も立ち上がった。

「でもそれなら多分、大丈夫そうだわ。色々ありがとな」

「え? それはどういう――」

「……最初からそのつもりだったんだろ?」

 俺は右手を差し出す。マツモトは不思議そうにそれを見つめ、少ししてからやがて迷ったような素振りを見せた。それから彼女は立ち上がって、新調()()()なせいでやや長い制服の袖を少しだけ捲って俺と握手をした。

「って違う違う。握手じゃなくて」

「あれ? 違うんですか?」

「いやまあそれでも良いんだけどさあ――ってか最初から握手が目当てな訳ないだろ。違くて、ほら!」

 俺はまた右手を差し出す。

「俺に渡すものがあるだろ?」

 マツモトは何故かがっかりしたような素振りを見せる。それから制服のポケットからそれを取り出して、俺に手渡した。

 カギだった。話の通り確かに古ぼけてて、大きなカギだった。マツモトは気落ちしたような声で言った。

「そうです、ね。そうです。初めからこれが目的でした。でも――」

 彼女は俯いた。それから深呼吸をひとつしてから俺に向かって言った。

「――でも、これが何を意味するのかは分かりません」

「というと?」

「カギをまっつんに渡して、それから何をどうすればいいのか――」

「……分かるよ」

 俺は朗らかに笑った。

「これでようやく全部分かったよ。おかげでね」

 マツモトは俺が何を言いたいのか図りかねていた。俺はちょっと得意げになった。

「安心しな。お母さん全部分かっちゃったんだから」

「お母さんじゃ……本当、ですか?」

「あの話はこのカギが教えてくれたんだろ?」

 俺がずばり言い当てると、マツモトは口に手を当てて驚く。大正解。これで二点目だ。

「今までの妙な話も、俺がここにいる事も――俺にカギを渡す必要があるって事も――このカギから聞いた。そうだろ?」

「……そうです」

「それなら話は早い」

「え?」

「……元気でな」

 俺はマツモトに背を向けて公園の出口に向かう。「え? え?」というマツモトの狼狽えた声が背後から聞こえる。

「風邪ひくなよ!」

 俺は数歩歩いた後、立ち止まってそう言った。

「もう深夜に出歩くのはやめとけよ!」

 俺は更に数歩歩いて、立ち止まってそう言った。

「歯ぁみがけよ!」

 俺は昔ドリフの人たちがそんな風に言ってた事を思い出して、歩きながら言った。そんな事をやっていたらすぐにマツモトに追いつかれた。彼女の拳が俺の背中に当たった。ちょっと痛い。

「待ってください!」と、マツモトが声を荒らげる。

「立ち去るならもっと早めに立ち去ってください! 追いつき放題ですよそれじゃ!」

「……ごめん。いやでも、パンチしなくても良くない?」

「それと、学校行けよ、くらい言ってもいいと思います」

「あ、そこにダメ出しするんだ。いやさ、そういうのってセンサイな話だろ? あんまりこっちからどうこう言うのも……ねえ?」

「行きます」

「お?」

「高校、行きます」

「いいねえ、その調子だ」

「多分」

「おや?」

「きっと」

「ん?」

「おそらく」

「良い調子だ」

「……いえ、私の事はいいんですよ。そうじゃなくて、まっすん、これからどうするんですか?」

「いやいや、それももう良いんだって」

「え?」

「言ったでしょ? お母さん全部分かっちゃった、って」

「……その鍵の使い道が分かるんですか?」

「そゆこと」

 俺はマツモトと向き合った。これが最後だ。マツモトさん。お元気で。俺は何も言わず、ただ握手を求めた。マツモトが何か言いたそうに視線をうろちょろさせたが、やがて観念したのか、握手に応じる。俺たちは別れの言葉を交わす。

「さよならだ。足のある幽霊さん」

「さようなら。皆の頼れるお母さん」

 俺は彼女に背を向けて、公園を後にした。振り向かなかった。振り向いたら折角の決心が揺らぐから、とかそういう大層な理由じゃない。


 問3 本文の文章内で、主人公は最後、振り返らなかった。その理由を答えよ。

 回答 振り返ったら、なんかかっこ悪いから


参考資料

・Starship「We built this city」,1985

・ASIAN KUNG-FU GENERATION「マーチングバンド」,2011

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