同市I町在住 マスダの場合⑤
俺は一度自宅のアパートに戻って、身なりを整えた。別に余所行きのカッコって訳じゃない。ただ単に、バイトに行く時の恰好にしたかった。その時が来て、益田君がびっくりしないように――これは単に、俺の読みだ。多分、益田君は外を出歩くときは(例え深夜にコンビニに行く時でさえ)スウェットなんて着ない。ちょっとの外出でも最低限以上の身なりで出かける――そんなお行儀の良いおぼっちゃんと俺は見た。
……なにせ、友達に敬語で話すのをやめられないでいるくらいだもの。もっとテキトウに生きようぜ、益田君。
着替え終えた俺は、マツモトから渡されたカギをじっと眺める。マツモトの言う通り、このおかしなカギが俺に何かを語りかけてくるかも、そう思った。けど、何も起きなかった。
いや、これでいいのさ。これ以上ややこしい事になったら収集がつかなくなる。そうだろ?
満足した俺はチノパンのポケットにカギをねじ込み、洗面台に向かった。それから念入りに歯を磨いた。なんでそんな事をしたのかは俺にも分からなかった。うがいを済ませ、鏡に向かって頷き、部屋の時計を確認する。
四時半。もうすぐ夜明けだ。それまでに済ませないとな。俺は玄関を開け、自転車を転がした。
俺が向かったのはバイト先に向かう途中にある屋敷だった。昔は威厳もあったのだろう立派な門の脇に自転車を止め、半開きの門を開け、中に入る。
庭はもはや庭としての体裁をほとんど保ってない。あいかわらず雑草はぼうぼうだし、色々な所の窓は割れてるし、チューハイやら煙草の箱やらのゴミもあちこちに落ちてる。良く考えたら、すごく幽霊とか出そう。にも関わらず、俺はいつもこの場所を訪れていた。
……ああ、なるほどねえ。俺は妙に納得がいく。怖いのが苦手なのに、ここにはそれほど恐怖を抱かない。居心地がいいとすら思う。今思えば、それが答えだったのかもな。俺はくらがりに佇む立派な玄関扉を見ながらそう思った。
この屋敷に関する記憶って、どっちの記憶なんだろうな。俺は自分に問いかける。
……多分俺自身のなんだろうな。理由はないけど、その答えに妙な自信があった。俺が家族を無くして、親戚の家をたらい回しにされてたのは、益田君じゃなくて俺の記憶。その時親戚から聞いたこの屋敷の話も、俺の記憶。きっと益田君は裕福なご家庭で、俺とは全然違う人生を送ってきた青年なんだろう。
ごめんよ、益田君。なんか俺、君の生活を半分くらい奪っちゃってたみたいだ。きっとここ一週間、睡眠不足で参っちゃってただろうね。日中は大学生。帰ってきてからバイトまで仮眠。そのあと意識が俺に切り替わって、それからほとんど夜通し起きてる。で、翌朝にまた大学に行く――
……うわ、すげぇ可哀そうじゃん。マジでごめん、益田君。
俺は心の中で謝りながら、屋敷の庭の真ん中で例のカギを取り出してまた眺めた。
俺がどうして益田君と“誤ってつながって”しまったのかは分からない。きっとしょうもない理由なんだろう。同姓同名の同い年だし、それが条件でたまたまそうなっちゃったのかしらねえ。ゲームのバグみたい。あぁ、イヤだイヤだ。お母さんもう面倒見きれないわあ。
……なんてテキトウに物事を考えている間も俺はずっとカギを見つめ続けてる。けどなんの反応もない。マツモトはこのカギから話を聞いた、と言っていた。俺にはその資格が無いって訳かい? それとも野郎には開く口も持ち合わせちゃいないってか?
……それはそう。大正解。また1ポイント獲得。これで合計3ポイント。ハワイ旅行も目の前だ。
……というか、このカギって結局、何者なんだ?
「だってこいつ、良く考えたらおかしいじゃん」
俺は感じた疑問をそのまま口に出し、カギに向かって問いただす。
「ってかさ。お前、おかしくね? ラジオ局員のお姉さんの話なんかさ。お姉さんがカギを手に入れる前の話も知ってるじゃん。おかしくね? どうやってお前、それ知ったんだ?」
何も反応はなかった。
……まあ、いいや。その辺、正直あんまり興味無いし。
さて、もういいかな。満足した俺は振り返って門の方に踵を返す。やるべき事をやる時がきた。それだけだ。あるべきものはあるべき場所へ、と聞いたことの無い声が聞こえた……気がした。その通りだと思った。
俺は再び門の前に戻ってきた。見れば見るほど「それっぽ」かった。まさにお金持ちの家の門って感じ?
――これは数寄屋門っていう形式の門戸ですね。
誰かが耳元でささやいた。振り返っても誰もいない。
――どこかで聞きかじった事があります。木造りで瓦葺き屋根が見事な、立派な門構えですね。
……どうも、ありがとう。おかげでまた一つ賢くなってしまったよ。そうだろ? 益田君?
俺は肩をすぼめて声の主に感謝した。
……なるほどねえ。良く分からんけど、なんかここ最近、ボキャブラリーがちょっと増えてね? なんて思ってたトコだよ。これが答えだった訳ね。俺は数寄屋門とやらに向かってなんとなく会釈した。それから扉を引いて戸締りを試みる。
……めちゃくちゃ硬い。ガタがきてるせいでちょっとずつしか閉められない。俺は顔を真っ赤にしながら、何とかこの古ぼけた扉を締めきる事に成功する。しんどい。
……なんか締まらないなあ。
――けど扉は閉まりましたね。
また隣でいらん事を益田君が言う。俺はちょっとスンとなってしまうが、彼を責めたりはしなかった。
俺は閉めきった扉にもたれて座り込んだ。空を見ると、間もなく夜が明けそうだった。
素晴らしく晴れた日だった。雲ひとつない東の空。薄明の陽光が暗がりに溶け込むようして徐々に広がり、一日の始まりを告げようとしていた。その半分の朝の光は、残った僅かな星々の瞬きをかき消し、雲一つない空をまっさらなものに戻そうとする。
時間を見ようとしたけど、スマホを持っていなかった。少しだけ泣きたい気分になったが、涙が出なかった。そんな風にぐずぐずしてたら、そんな気分もやがて引っ込んでしまった。
「見なよ益田君」
俺は誰もいない空間に向かって言った。
「朝が来るよ益田君」
それから俺はちょっと笑って、こう結んだ。
「君の時間だよ」
返事は無かった。
……なんだよ、何か言えよ。かっこつけた俺がバカみたいだろ。
俺は立ち上がって扉に向かい合った。それから五分くらいそうしていたが、益田君は何も言わなかった。仕方がないので一人でやる事にした。
俺はポケットからカギを取り出した。記憶喪失のおばあさんからおじいさんに渡り、劇団の小道具に使われた後、ラジオ局に置き去りにされ、ちっこい女の子に回収されたカギ。旅をするカギ。
偶然。
偶然が全てに優先する。
偶然が俺の手にカギを運んだ。
……そういう事だった。
俺はこのカギのこれまでの苦労をねぎらいながら、目の前にある数寄屋門のカギ穴にそれを突っ込んだ。おつかれさん。これを回したら、全部終わりだ。
――突然だけど、皆に質問。普通、カギを閉めたら、その人はその後どうする?
――そう、正解! その場を立ち去る。
俺は見知らぬ誰かが見事1ポイントを獲得したであろう瞬間を見届け、ゆっくりカギを回した。何の問題もなくカギはかけられ、カチリと硬い音が辺りに響いた。
――それを最後に、彼はいなくなった。
僕が手元を見ると、そのカギは無くなっていた。それは消えてしまったのだ。彼と一緒に。
「さようなら、増田君」
僕は鍵の掛かった木戸に向かってそう呟き、彼の残してくれた自転車を手で押して帰った。そうしたい気分だった。東の空を見上げると夜空はもうすっかり、朝日の投げかける光によって、明るさを取り戻していた。
END
参考資料
・Starship「We built this city」,1985
・ASIAN KUNG-FU GENERATION「マーチングバンド」,2011




