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同市I町在住 マスダの場合①

 置時計がやかましく鳴り響く。昔ながらの甲高いベル音。

……やかましかった。およそ八畳間のワンルーム内で出して良い音量じゃない。一体こんな迷惑な事をしたのは誰だ。

……俺だ。時計のアラームをこの時間に鳴るようにセッティングしたのは俺だ。今、思い出した。

しかめっ面でベルを止めると、高速で往復を繰り返すハンマーが急に大人しくなる。寝ぼけ眼で半身を起こして時計を確認する。8時半。午前じゃない、午後8時半。バイト前の仮眠。

俺がのそのそとベッドから起き上がると、大きなあくびがひとつ出る。ようやくはっきり目覚めた俺は、誰に見せるでもなく不機嫌な顔をしながら、着替えを済ます。

 プラスチックの衣装ケースから着替えを出していると、部屋の中に違和感を覚えた。安物の折り畳み式ベッドの足元に、買った覚えのないスプライトのペットボトルが飲みかけで置いてある。部屋の反対側を見ると、隅に置いてあるゴミ箱の中から、これまた食べた覚えのないコンビニ弁当のプラケースが乱暴につっこんであった。

 着替えを済まし、流し台まで歩いてコップに水道水を注いで飲むと、棚に置いた食器用洗剤が「JOY」から「キュキュット」に変わっている事に気が付いた。


……いつもこんな調子だ。俺は自分の起こした行動を人一倍覚えていない。理由は分かっている。どうでもいいのだ。食器の洗剤なんてどの銘柄でも大した違いは無いし、仮眠の前に何を食べていたかなんて興味がない。どうせコンビニの弁当コーナーに行って、頭の中でサイコロを転がして出た数字に従って選んだんだろう。洗剤もそうだ。いつもの事。思い入れも薄い分、余計に記憶も出来ない。世の中に興味を持てない事が多すぎるのが悪い。


 アパートから出て鍵を掛け、外伝いの階段を降りて駐輪場へ向かう。スマホで時計を見ると、20時40分だった。

 バイト先は自転車でだいたい10分ほどの場所にある。余裕で間に合う時間。自転車に乗り、夜の風を受けながら、近くのコンビニまで移動する。そこでエナドリを買って店先で一気飲みすると、あるポスターが目に入った。

『父の日ギフト プレゼントと一緒に想いを伝えよう!』

 俺はまた誰に見せるでもなく不機嫌な顔を取り出して、エナドリの缶をゴミ箱に放った。自転車に跨りながらバイト先に向かう途中、父と母の事を思い出した。


……あのポスターのせいだ。あぁ、イヤだイヤだ。嫌だねえ。


 両親の顔は思い出せる。けど細かい点はあやふや。

当然だ。もう二人が死んでかれこれ10年以上経つ。当時7歳だか8歳だかだった俺の記憶を頼るには限度がある。

 一家心中。理由はそこまで明白に伝えられてない。数年毎に入れ替わる、俺の身柄の受け入れ先の親戚たちの口は、それぞれ違う言葉と印象でその事件を語った。そのせいで未だに本当の事は分からない。知っているのは、親父が当時やっていた事業に失敗したんだか詐欺にあったんだか、社内で誰かが重大なミスをしでかしたんだか――誰一人同じ理由じゃなかったが――とにかく何かがあって親父の小さな会社は倒産した。で、自暴自棄になった親父の支離滅裂な脳みそが選んだ一番シンプルで、一番手っ取り早い解決策が、俺や妹、そして母を巻き込んだ一家心中だった、という訳だった。


……なんでこんな事、思い出さなきゃいけないんだ。もういいだろ? 今や自由の身だ。一人で暮らして、恐らく一人で死ぬ。誰も巻き込まない分、誰かさんより幾分かマシな人生なんじゃないか?


 バイト先のガソリンスタンドに着いた俺はスタッフルーム直通のドアを開けて、制服を着てネームタグを首から下げ、タイムカードを切った。オモテに出ると、バイトの先輩のタキタさんがいたので、「ちわっす」といつも通りの挨拶をする。それから二人して意味のないダベりを繰り返しながら最低限の仕事をこなし、終業までの時間を潰した。タキタさんに今流行ってるソシャゲを教えて貰ったが、俺はテイの良い返事だけした。無論、やるつもりは一切ない。タキタさんには悪いけど。

 だいたい俺はスマホが嫌いなんだ。誰かと常に連絡可能な状態が24時間365日維持されているなんて正気の沙汰じゃない。だから極力スマホには触らない。時間を確認するのに見るくらいだ。滅多に触らず、チェックもしなければ、連絡に気が付かなかったとしても罪にはなるまい。


ところで、さっきLINEを見たら知らない名前が二、三人増えていた。誰だ君ら。


 タキタさんは11時に退勤する。いつも通りの時間。俺は翌朝の4時まで。その間は一人だった。と、言ってもこんなハナタレ小僧でも割と何とかなる。問題さえ起きなければ。給油はセルフだし、洗車機も夜間は止めている。そういう訳で、俺は時々来る“お客様”の給油許可くらいしかやる事がないし、それ以上の事を自分から進んでやる気もないし興味もない。


 そんな風にしていると、あっという間に時間がやってきた。次の時間帯を受け持つ人が俺の前に顔を見せる。今日は主婦のスガワラさんだった。一年前に息子さんが大学に入学して、東京の町田に引っ越したのをきっかけにバイト応募してきたらしい、愉快なおばさん。俺より半年長く働いている、仲の割と良い、もう一人の先輩。

「あら、マスダ君お疲れ様!」

 スガワラさんがいつもの軽いノリで俺に話しかける。俺は「お疲れッス」と、何となくこの年代の人に好かれそうな言い方で挨拶を返し、引き継ぎを終えた。

 別れ際にスガワラさんは取り留めのない話を繰り出す。ほとんどは興味の無い話題だったが、なぜかスガワラさんが昔H駅前に停めた自転車のサドルを盗まれかけた話だけは、妙に俺の心を打った。スガワラさんが言うには、犯人は偶然見ていた人に現行犯でしょっぴかれたそうだ。哀れだねえ。


 そんなこんなで退勤の時間はやってきた。制服を着替えて、タイムカードを切る。帰り際にサービスルームに目をやると、窓ガラス越しにスガワラさんと目が合う。スガワラさんがにっこり笑ったのをきっかけに、俺はある事を思い出して、サービスルームに入ってスガワラさんに言った。

「そういや、すいません。この後来る社員の誰かに伝えてくれません?」

「ええ、良いけど?」

「俺の名札、漢字間違ってるんスよ。利益の益に田んぼで益田――って名札に書いてありますけど、ホントは増える方の“増す”で増田って書くんスよ。もう何度か言ってるんスけど、全然直してくれなくて――まあ、別に俺はこのままでも良いんスけど」

「あれま」と、愉快そうにスガワラさんが返す。それから「分かった! 伝えておく! 任して!」と妙に芝居がかった言い方で告げた。そのまま立ち去り、ガソリンスタンドの裏手に停めた自転車に乗ると、明け方のそよ風が心地よかった。


 昔は俺の一族(一族? 家系? 言い方は良く分からない)も結構裕福だったそうだ。特に曽祖父の代に隆盛を極めたそう。曽祖父の名はこのY市に広く轟き、商売をする者に知らぬ者のいない程の実力者だったらしい。今では見る影もないが。

 この話は二件目の親戚から聞いた。何故こんな話をしたかと言うと、今まさにその繁栄を極めたらしい時代の遺産が目の前にあるからだ。バイト先と自宅のアパートの間、ちょうど中間地点にそれはある。大きな館。バイト先の敷地より大きいんじゃないか?

 召使いとかいたのかなあ、なんて言う感想が出てくるほどでかい屋敷。縁側なんかがある、純和風のやつ。

 長い間、誰も住んでない。誰も訪れず、手入れもないせいでかなり古ぼけてはいるが、立派な門構えで、てっぺんに屋根がついてる。玄関に続く中庭も大きい。昔は入って右にある池に鯉を何匹も飼っていて、左手の広い縁側にある広場なんかでは、家族写真なんか取ってたりしてそうだった。もちろんドラマなんかで見る、写真屋を雇って撮る、あの豪勢な撮影会みたいな――

……俺はたまにこんな感じで、この屋敷の門をくぐって気まぐれに庭にお邪魔している。薄暗い、朝の来る前の時間にここでぼーっとすると、なんだか気分が落ち着くのだ。

 門の扉はなんとカギがかかってない。ずっとあけっぱ。セキュリティも無し。入り放題、出放題。玄関や縁側なんかはさすがに施錠されてるが、おかげで庭にはゴミが捨て放題。草木もボウボウで、茂り放題。窓も割れた所がいくつか見える。きっと子供が肝試しに来たり、空き巣なんかもしょっちゅう入ってるんだろう。

 なんで門が開けっ放しなのか。理由はシンプル。カギを無くしてしまったらしい。

……それならそれでこんなデカい屋敷なんだし、他の方法で立ち入り出来ないようにしとけば良いのに。心底そう思ったが、事実そうなってる。それ以上の事は知らなかった。


 過去の遺産で数分ぼんやりした後、満足した俺は自宅に向かう。途中、コンビニ(バイトに行く途中で寄った所と同じトコ)に寄って500mlのコーラを買う。それから俺のアパートの目と鼻の先にある小さな公園のベンチに座って、コーラを飲みながらまた暇を潰す……どうせ家に帰ってもやる事ないし。

 さっきもそうだが、こうやって何となくこういう風に過ごすのが好きだ。こうしてぼーっとしていると、いつの間にか雑多な考え事が押し寄せてくる。「今週のシフトってどうなってたっけ?」とか、「そういや燃えるゴミのゴミ袋切れてなかったっけ?」とか。それから、「俺はこの後どうやって、何をして生きていくんだろう」とか。

 そういうのに回答らしい回答も出さない(面倒だからだ)まま、ただぼーっと過ごす。素晴らしきかな、愛しの無意味な時間。世の中無駄なものなんて存在しないのだ。だからこそ、世の中は退屈なもので溢れている。


 スマホで時計を見る。4時37分……10分くらいいたかな? そろそろ帰るか。

俺はベンチから立ち上がる。すると、遠くにある公園のブランコの揺れる音がわずかに聞こえた。キィキィという、古い金属が擦れる音。風が強い訳でもないのに。

明るみ始めたとはいえ、まだ深夜だった。俺はちょっと怖くなった。ベンチのあるこの場所は公園の入り口に近く、ブランコはもっと奥の方にある。このまま出口に歩いて行って、立ち去る事も出来る。だが、ちょっとした好奇心が俺の頭をそっちに振り向かせた。


 女の子がブランコに座っていた。髪の長い、制服を着た女の子。

……地縛霊? え、やだ怖い。

 俺はまたベンチに座りなおして、うつむいた。

……いや、んな訳ないか。


 さっき一瞬だけ見た時の映像を頭の中で再現する。あれは中学か高校の制服だ。どこの制服だ? 地元の高校なら何となく分かるけど――この辺の学校じゃない? まあ何にしても学生だろ。何をビビってるんだ……こんな深夜に?

……ぶっちゃけ俺は昔からホラーが苦手だ。ちょっとした「心霊的な兆候」ですぐに取り乱す。テレビで心霊特集なんて組まれてたら、もう全然ダメ。ホラー映画やゲームなんてもっての他だ。

「おはようございます」

 俺の左耳(ブランコがある方向!)に、割と近距離で声が聞こえた。俺はもうすでにダメそうだった。多分「だぁぁあ!?」とか何とか、情けない声を出しながらそっちを振り向いていた……気がする。


 振り向くと、さっきの女の子がすぐ近くに立っていた。じっとこっちを見ている。対する俺の第一声は、「ある発見」からやってくる安堵の声だった。

「あ……足がある!!」

……辺りも暗かったし、さっきは遠くて分からなかった。でも今ははっきり分かった。足がある。ちゃんと。つまり幽霊じゃない。

「ええと……それって、どういう――」

 女の子は不思議そうに、丸っこい目を俺に向けている。俺はすぐに弁解した。

「いや、ごめん。こんな時間にブランコ漕いでるなんて、幽霊かと思って」

 俺が正直に情けない事情を打ち明けると、女の子は上品に笑った。肩が小さく震え、長い薄紫の髪がそれに応じて小さく揺れる。髪の色も暗くて遠くからじゃ分からなかった。

……良かった。黒髪でもない。

 女の子はにやつきながら俺に言う。

「足が無くて、長い黒髪だったらどうしよう――って?」

 俺はつい嬉しくなって言った。

「そう! まさにそれ!」

「私、聞いたことありますよ。足があって、つるっぱげの幽霊の話」

「嘘だろ……」

「だから見た目じゃ分かんないですよ。()()違いますけど」

 どうやら俺が一番恐れていた事態は起きていないらしい。安心すると、今度はこの女の子についての当然の疑問が湧いてくる。

「え、こんな時間に何してんの?」

 女の子は少し考えるように左上をみやった。そして言った。

「暇つぶしです」

「……深夜徘徊が?」

「そうですね」

「普通に危ないッスよ」

「あなたも似たようなものじゃないですか」

「違うよ。俺は男だし、バイト帰りにちょっと寄っただけだよ」

「そんなに違います?」

「いや、全然違うと思うけど」

「でも私だって、人間で高校生ですけど?」

「え、全然話通じないじゃん」

 俺が心底女の子を心配(色んな意味で)していると、女の子はまた控えめに笑った。

 それから少しだけ会話が続いた。女の子はマツモトという名前でY高校の一年だという。Y高校――最近Y市に出来た高校らしい。知らなかった。まあ最近は高校の統廃合も多いみたいだし、知らなくて当然か。

 俺の方も自己紹介をした。マスダ ツトム。19歳。フリーター。

 どこにでもいそうな名前ですね、とマツモトは割と失礼な事を言ったが、年上なので我慢した。


 短い会話をかわした後、マツモトはもう帰ります、と言った。流石に時間も時間だし送っていくと俺は言ったが、見ず知らずの他人に家を知られるのは危ないとか何とか言って、一人でさっさと帰ってしまった。数分後に俺も帰る事にした。


……大分失礼な子だったな。俺はそんな感想を抱きながら、公園の入り口に停めた自転車を転がして、自宅のアパートにたどり着いた。家の鍵を回して開けた時、俺はある事に思い至った。

 あの子はいつから公園にいた?

 俺が来た時にはいなかったと思う。ちゃんと確認した訳じゃないし、暗かったし確証は無いけど――じゃあ、俺が公園のベンチに座った後? いつの間に? え、怖い。何かやだ。

……これ以上深く考えないことにした。


参考資料

・Starship「We built this city」,1985

・ASIAN KUNG-FU GENERATION「マーチングバンド」,2011

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